奥野克巳『はじめての人類学』(講談社現代新書)を読んだ。
著者的に人類学で絶対外せない四人であるマリノフスキ、レヴィ=ストロース、ボアズ、インゴルドの仕事をまとめた内容。松村圭一郎『旋回する人類学』よりもオーソドックスな読みやすさを感じた。
マリノフスキの機能主義(部分が全体の一部として機能し、全体を動かしている、というデュルケームに由来するアイデア)の説明はすごく参考になった。レヴィストロースの構造の説明もわかりやすくて助かった。
ただボアズのチョイスが弱く感じてしまった。文化相対主義の創始者的位置づけにあり、かつアメリカの人類学の祖みたいな扱いという意味で重要だというのだろうが、マリノフスキやレヴィストロースと比べると…。
またインゴルドも詳しくまとめてくれているのだが、正直ほとんどピンと来なくて、人類学のあり方を根底から変えようとしていると言われてもよくわからなかった。
自分がすごく影響を受けたギアツは一言くらいしか言及がなくてちょっと悲しかった…。
#読書
松村圭一郎「旋回する人類学」を読んだ。
グレーバーやラトゥールの本に人類学が冠されているのはなぜなのか、長らくわからなかったのだが、本書によれば近年の人類学は科学的な場や病院・企業といった近現代的な場での参与観察も増えているようで、上の二人はまさにそうしたタイプの人類学者なのだそうだ。その説明がすごくわかりやすかった(ラトゥールのアクターネットワーク理論は近年の人類学における脱人間中心主義を代表するものだ、とか)。
近年の潮流の一つという「存在論的転回」(他者の言うこと、やること、価値観などをまるごと認めて決して否定しない)にはやや同意しかねる。グレーバーは、そうした態度は他者を尊重しているようで実際は他者との対話を閉ざしているし、自分たちの文化を固守する態度と表裏をなしている、と批判したそうだが、彼のほうに賛同を覚えた。
#読書
小熊英二『清水幾太郎』(御茶の水書房、2003年)
もともと小熊氏の著書『民主と愛国』に組み込む予定だった清水幾太郎論が、諸事情で割愛されることになったので独立して公刊したもの。
思想・立場を幾度も変転させた清水のそのスタイルがいかに形成・展開されていったのかを簡略に論じている。清水は庶民という立場を自認しており、高みに立って説教したりする知識人に反発を覚えつつ、憧憬もする。知識人から軽んじられるこの境遇から抜け出るには自分も知識人になるしかないのだと。学問や文章、名声はそのための手段でしかなく、いわゆる実存的な問題意識はやや稀薄であったことと、時代の激しい移り変わりが清水の入れ込むテーマを次々と破産させてしまったことが、彼に漂流を重ねさせた背景のようである。
かといって、清水は完全なデマゴーグとも言い切れないらしい。彼は直情径行で激しやすい気質であり、問題に全力でぶつかっている誰かを見たら心を動かされてしまうような人間でもあった。それゆえ、時々の主張や運動に真剣でなかったわけではない。むしろかなり全力で取り組んでいたようにみえる。それでも、社会や生活が変われば考えが変わるのは当然のことだとも清水は考えていたので、主義がコロコロするのも彼にとってはやましいことではなかったようである。
田邉恵子『一冊の、ささやかな、本:ヴァルター・ベンヤミン『一九〇〇年ごろのベルリンの幼年時代』研究』(みすず書房)
著者の博士論文に加筆修正を施して書籍化したもの。ドイツで編集・出版が進行しているベンヤミンの新批判版全集を活用し、『幼年時代』の習作版手稿、関連メモ、書簡などを参照しながら、『幼年時代』が完成稿へといたるプロセス、およびベンヤミンの思想の変遷を丹念にたどっている。
忘れてしまったもの、それも時間の流れという不可避の力によって忘却に追いやられてしまったものが、一人ひとりにあるのだということを読者に気づかせたい――ベンヤミンの子供時代を回想した作品でありながら、ベンヤミンの個人情報は徹底的にそぎ落とされているという特異な作品形式が採られたのには、そういう祈りが込められていたからだというのがよくわかった。この祈りが読者に届けられることこそが、あの時代に故郷を逐われた人々にとっての慰めであったということなのだろう。
「短歌タイムカプセル」
現代歌人115人のアンソロジー。一人につき20首が選ばれて収録されている。軽い気持ちでめくれる読みやすい本。
ひとまずア行の歌人まで読んだ。
◆安藤美保
君の眼に見られいるとき私(わたくし)はこまかき水の粒子に還る
◆井辻朱美
楽しかったね 春のけはいの風がきて千年も前のたれかの結語
◆岡崎裕美子
体などくれてやるから君の持つ愛と名の付く全てをよこせ
はい、あたし生まれ変わったら君になりたいくらいに君が好きです。
◆岡野大嗣
そうだとは知らずに乗った地下鉄が外へ出てゆく瞬間がすき
もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい
◆奥村晃作
犬はいつもはつらつとしてよろこびにからだふるはす凄き生きもの
恥ずかしくて晋書の話ができない