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早川タダノリ さんがブースト

『戦後の言説の変遷などを研究している福間良明・立命館大教授(歴史社会学)によると、このフレーズは元々、多くの国民を死に追いやった国の責任を追及し、補償を求める意味も含む言葉だったという』
『「尊い犠牲のおかげで今の平和があると言うだけなら、遺族も納得しやすく、政府は『戦争責任』に触れずに丸く収まる。だから、特に追悼の場で使われ続け、今に至ったのだろう」』

せっかく問題提起をした記事なのに、朝日新聞、見出しを修正してるんですよね。「なのか」を削除。これ、あるとないとでは大違いです。
修正前『「今の平和は、尊い犠牲のおかげ」なのか 決まり文句を憂う元特攻兵』
 ↓
修正後『「今の平和は、尊い犠牲のおかげ」 決まり文句を憂う元特攻兵』
asahi.com/articles/ASS8H3K3SS8

政治的対立、誹謗中傷に拍車 ボクシング女子「トランスジェンダー」決めつけ パリ五輪:朝日新聞デジタル
asahi.com/articles/DA3S1601267

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日本帝国は植民地支配はしなかった、みたいなトンチキまでは言わないものの当時の"原住民の子供と触れ合いました""食料をあげました"みたいなプロパガンダには容易に引っかかる人に、埒があかないので日本軍が証拠隠滅しようとした虐殺写真見せたらネトウヨに転向した、という実体験ならあります。

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お米コーナーが空っぽだと、そりゃあ焦る気持ちはわかるが、もちっと推移を観察したり情報を集めてはどうか

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お米の買いだめをしている人いるんだ……

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@hayakawa2600 卓球だし中国の選手は「早田ひな選手、是非中国人民抗日戦争紀念館にもお立ち寄りください」とか呼びかけていただきたいものです。

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若い世代への戦争体験継承について、とにかくマイルドにして間口を広げる手法ってどれだけ意味があるんだろうと思う。
私は小学生のとき学校の体育館で『はだしのゲン』アニメの上映があり、半ば強制的に原爆を知った世代。言うまでもなく『はだしのゲン』は何一つマイルドじゃない。だからこそ強烈に印象に残った。その強烈さは、とても大切なことじゃないのかな。
「間口の広さ」というのは何も作品の性質だけに依存するものじゃなく、大人がそれを伝えようとするかどうかも大きい。なにせ私が小学生だった時代、『はだしのゲン』は間違いなく、読んだことのない人がいないくらい広く読まれている書籍だったから。
「継承の困難さ」を産み出しているのは、強烈なものを強烈なまま伝えることを阻む人たちであって、強烈な作品そのものではないように思う。

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荒ぶる川を見に行くのは田舎の貴重な娯楽。

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究極Q太郎さんのXでの引用ポストに関心を持ち、引用元が見られないのでログアウトして確認したら東浩紀の投稿だった(ブロックされているので見えないのだったw)で、ちょっとあんまりと思ったのでスクショ。子ども向けの歴史学習漫画で1983年の小学館のと2015年の角川のとで秩父事件の扱いが全然異なることを左翼の信頼低下の結果だって。
角川の方の扱い方(東の引用元2つの連ツイもスクショ撮りました)、それこそ極中道(エキセン=エクストリームセンター)そのものって感じ。

知覧には行くのに、大久野島には(松代には、長生炭鉱には……〔長いリストが続く〕)行かないのは何故じゃ

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少し前に読んだ梯久美子『戦争ミュージアム』をまたパラパラと読み返していますがやっぱりいいな 中国各地で毒ガスを使い、遺棄してきたことなんかまだ終わっていない・これからも長く続く加害の話で、もっと勉強しなければという気持ちになる あと梯さんは石内都さんの写真から、凄惨なもののなかに存在する美しさについて繰り返し書いているけど、それもすごく気になる。この本だと原爆の図や第五福竜丸など。

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早田ひなの特攻資料館に行きたい発言しかり、水谷が過去にやった「中傷DMしてくるのはきっと某国(中国)の人」ツイートしかり、こういうの批判すると「アスリートへの誹謗中傷」にカウントされるの本当に納得いかないし、異様なまでのアスリートへの特別扱いなんやねんと思う。
この人たちだっていい大人で、社会を生きる一人の市民なんだから、意見を言う権利もあれば周りが意見を批判する権利もある。そういう当たり前のことが許されない存在になってるの気持ち悪すぎる。そういう意味不明なまでにぬくぬくした場所で甘やかされるから引退後に自民党議員なって裏金使ったりするんですよ!

「宮崎や鹿児島でスポーツ選手が合宿をおこなう際に、知覧特攻平和会館訪問を日程に組み込むことは、よくあります。」

「「特攻平和会館で選手たちは「みな、肩をふるわせて泣いていた」けれども、それは特攻隊員が可哀そうだからではありません。眞鍋政義(一九六三年生)監督はその経験をふまえて「日の丸の重みを認識させ」、「我々が負けると日本が負ける」と言い続けたそうです。彼女たちの涙は、究極の「日本代表」である特攻隊員と自分たちを重ね合わせ、日の丸の重圧をプライドとパフォーマンスに転化するために流されたのです。」

井上義和『未来の戦死に向き合うためのノート』(創元社、2019年)118-119頁より

*上掲の眞鍋監督のエピソードは、注によれば伏見学「勝利をたぐり寄せる全日本女子バレー・眞鍋監督のコーチング哲学」に拠るとのこと。

知覧に行かなければ「当たり前でない」ことがわからないのだとすれば、相当に歴史意識として危機的であるという自覚がなさそうなところがこれまたやばい。:「鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、当たり前に卓球ができることが当たり前でないことを感じたい」
QT: fedibird.com/@hayakawa2600/112
[参照]

早川タダノリ  
今知った。生きて卓球できることがあたりまえじゃないということを確認したかったら、パリからの帰りにガザに立ち寄ればよかったのにね。こうした気合入れのネタ元チョイスにあらわれる思想性 :「鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、当たり前に卓球ができることが当たり前でないことを感じたい」
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あと、起請文だったら、最後に「この誓いを破った場合は、現世では神罰を被って苦しんで死に、来世では地獄に堕ちても異存ありません」と最後に書くべきかと。

このへんとか

(2019年03月06日)

『日本主義と東京大学』を書いた井上義和さんの新刊『未来の戦死に向き合うためのノート』(創元社、2019年)を購入。「特攻の歴史と自己啓発」の2つの章が猛烈に面白い。知覧平和記念館でのビジネス界・スポーツ界の研修の「活入れ言説」を詳細に分析している。

x.com/hayakawa2600/status/1103

今知った。生きて卓球できることがあたりまえじゃないということを確認したかったら、パリからの帰りにガザに立ち寄ればよかったのにね。こうした気合入れのネタ元チョイスにあらわれる思想性
:「鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、当たり前に卓球ができることが当たり前でないことを感じたい」

@c_ssk ほんとそれ!=「単に"一家言ある"だけのヘイターを連れてくるんじゃなく(ましてそれで雑誌まで作ってしまうんじゃなく)」

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