リベラルがすべきことは、このヤンキーの心理を「自分事として受けとめる」ことだと思いますね。こういう心理になってしまうことを批判するのではなくて、自分自身もそうなる可能性のある存在として認識して、そこから脱出するためにはどうすればいいのか、という思考回路を辿ること。でも引用を見るとダメそうですね。だいたいがヤンキーを切り離して批判してる。
https://x.com/investerao/status/1809937492118036576?s=46&t=chyQfs6W2RfeREPFeTQ2mA
蓮舫の順位が正式に2位で確定したのなら、蓮舫は「今回にかぎっては2位じゃダメなんですよ〜!!」と明るく(悔しさを滲ませながら)コメントすべきだと思う。そうすれば例の発言の本来の文脈を説明する機会も生じるし、「よい印象」とともにその「新事実」がノンポリ層には届く可能性があるから。「あれ?いつも怒ってるイメージあったけど、意外とユーモアあるじゃん。ていうか2位じゃダメのやつってこういうことだったの?なんか記憶と違うんだけど」となる人が必ずいる。もちろんこれに対して嘲笑してくる者らも出てくるが、そういうのは無視でよい。ノンポリにとって、今回に関してはその嘲笑的反応のほうが悪印象になるはずだから。むしろ思う存分馬鹿にさせてやればよい。
BT 「家系とかいろいろキツくて生活苦しくなってはいるけど、政治のこと考えたり、差別?マイノリティ?とかのなんかとかに首突っ込むのも面倒というか、そっちに関わるほうが大変そうだし、それならいまのまま「ちょっと生活大変だな〜」くらいを維持しておけばいいかな、とりあえずなんとかなるし」みたいな感覚の〈庶民〉が大多数だとは思いますね。だから絶望が足りないというのは納得。
「気にせずに済む人たち」は、ほとんどの場合、ギリギリまで「気にせずに済む」という特権を手放さないもので。まあそういう人たちが形成してるのが「無党派層」とか「ノンポリ」とかだったりするんだと思うんだけど、彼/彼女らの政治的な行動(行動しないことも含む)は、ただの無知とか無関心の産物ではなく、もっと積極的な特権の行使なんだよね。
そして、それはそれで、個人的な快楽の総量=不快さの低減という意味においては、ある種合理的でもある。残念ながら。
Twitterに久しぶりに長文投稿してきたけど伝わるだろうか。それともストレートに「石丸や暇空に投票した者らを馬鹿にして他者化して切り離すような言動をしているうちは、かれらの心変わり=投票先の変更は叶わない、つまりリベラル政党など誕生しえない」と言わないとダメかな。
選挙でクソな結果が出るたびに300年生きて世界が変わるのを見届けてやろうという気持ちを抱きますね。
本屋lighthouseのナカノヒト。おぺんのおともだち。