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田淵さんがひとり街宣してた飯田橋は私が学生時代を過ごした思い出の土地なので、景色が想像できていろいろな感情が渦巻きますね。お疲れさまでした......。

靖国と朝鮮総連が隣接するという複雑な立地のうえ、あまり近づくべきではないタイプの「学生運動」の残滓が常日頃から正門前でデモをやっていて、大学側もそれへの対応に苦慮している(大規模なものをやるときは警察が出てきて正門が封鎖される)、みたいな景色を見せられ続けているため、市ヶ谷キャンパスに通う法大生は「政治運動」に対する意識が「近づかないほうがいい面倒なもの」になりがちだと感じているので、その意識が少しでも変わるひとり街宣になってくれてればいいな、と思うんですよね。ほぼ政治に関する知識のないまま「わけわからん学生運動」「とそれを危険視する大学側」という構図を見せられるので、政治運動に対する第一印象が最悪な環境なのです......ソースは私。

毎年夏になると暑さに慣れるまでずっと断続的な熱中症みたいな感じになるのだけど、それが始まっている感覚がある。身体の順応期間。つらみ。

本をしこたま発送して開店準備もしたので、あとはアイスを食べるだけです。

この暑さでお客さんが来ると思うなよ!!(暇すぎてzoom取材まで受けられちまったぜ)

仕事がおわらん。なんもおわらん。なんもなんもなんもおわらん。(向井秀徳風味)

今日は起きたときからダウンしてるようなものだったので、お店あけてるあいだずっと倒れてた。幸運なことにお客さんはほとんど来なかったぜ。

草の根を拡げていくのなら、まずは土を耕さなくてはならない。土を耕すというのは、荒れている土地に農具を入れて掘り返し、そこに肥料だとかの栄養素を混ぜていくことであり、それはノンポリ=初心者たちが「なにを知っていてなにを知らないのか」をまず先達が知り、どのように教えていけば正しく知識を得てもらえるかを考え、実践し、改良を重ねていくことなのではないのか。誰にも手入れをされないまま痩せ衰えてしまった土に雑に種を蒔き、乱暴に水をやり、育たないことを罵ることではない。当然、種の種類や個体差ごとに育ちやすい環境も違う。そういうめんどくささを引き受けずに「教育」「啓蒙」をしているつもりになっているうちは、永遠にかれらノンポリは味方にならない。

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トーンポリシングをしてはならないのは事実だが、同時に「発言のトーン次第で伝わらなくなってしまう相手がいる」のも事実であり、後者を意識できる余裕がある者はそちらを(そちらも)意識しなくてはならないと思う。

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たとえば糸井重里のクソ投稿を引用して批判するときに、なぜ糸井のような者がSNSを離れさえすれば地獄を味わずに済むのか、逆にSNSでも現実社会でも地獄を味わわされることから逃れられない者がいるということ(なぜそうなるのか)を説明しつつ引用をすれば、善人でありたいと思っているノンポリにはある程度響くものになる。しかしその引用に罵詈雑言のように心優しきノンポリからは思えるようなものを混ぜてしまう、あるいはそれを主軸にした投稿をしてしまうと、差別だとか社会構造の偏りだとかの「前提知識」を持たないノンポリたちには、単に「口汚いことを言っている者」にしか見えなくなってしまう。

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R sekiguchi さんがブースト

lighthouseさんで「ユートピアとしての本屋」を買ったらぐう良いサインが入ってました

いわゆるノンポリ層の意識を変えるために必要なのは、リベラル側の丁寧な説明と忍耐力。「こんな簡単なこともわからないのか」みたいな態度を出した時点で負けだし、「ネトウヨは馬鹿」みたいな批判の仕方をしても負け。ノンポリがなぜノンポリであることを選んでいるのかを考えてほしい。かれらは「いいひとでありたい」と思っているし、「誰のことも傷つけたくない/悪者にしたくない」と思っている、ある意味では思いやりに溢れている善人なんだから。

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都知事選のあれこれ、立候補者に始まり箕輪の蓮舫支持します投稿とか、ようは「悪ふざけでアテンション集めて気持ちよくなる」の類なのだけど、これはリベラル側もやってしまうことなんですよね。藤井セイラの「百合子雑誌」とか典型。で、「悪ふざけでアテンションを集める」ことに関してリベラル側にはそもそもの時点で勝ち目がないわけだから、その土俵に乗ってるうちは負け続けるわけで、つまりこういう指摘をされて納得できないのであれば、当然のように今後も負け続けるだけですよね。

あと、百合子雑誌がよろしくないのは、「政治のこととかあんまり触れたくないんだよね」と思っている層が最も忌避するやり方を、まさにその雑誌風画像そのものがやらかしているところ。必要な批判と不必要な揶揄の区別がつけられないからこそ「批判しすぎ/誰も傷つけたくない」みたいなことを思ってしまうのに、揶揄風の批判を見せつけたら嫌がられるに決まっている。

R sekiguchi さんがブースト

誰に認められんでもいい、と言ってしまえばそれはそうだが、公がそういう姿勢でいてくれるというのはとても……「安心」に繋がると思います。そういう社会は誰にとっても生きやすい。「将来が不安だから結婚も考えちゃう/考えざるを得ない」という考えが驚きもなく「わかるー」ってなってしまうの、暗黒が過ぎるんだもの。

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R sekiguchi さんがブースト

BT 詳細は聞いてないのでアレなのだが、都知事選の蓮舫候補が「ひとりで生きる権利」にふれているらしくて大変あの……公からそれを言ってもらえるというのは大変じーんときますね……。結婚の平等と同列のものとして言ってくれているならなおさら。誰かと結婚するのも、結婚しなくても誰かと生きて行くのも、誰かと一緒にいたけどひとりになるのも、ただひとりなのも、同じように「個人の選択の結果」として扱ってもらえて、そこに余計な温度を乗せないでいてくれるというのほんと、思ってたよりも胸にくる。いや直接聞いてないのでどんな感じかは知らんけども……。

雨がひどくてほんとうにひとりも来ないぜ٩( ᐛ )و

R sekiguchi さんがブースト

7月19日、エッセイ集『なめらかな人』を刊行した美術家の百瀬文さんとtwililightでW刊行記念トークが決まりました!twililightでのイベントは『共感と距離感の練習』では2回目。同じ書店で何度もやらせてもらえること、あるんだ……ありがたいことです。百瀬さんとどんなお話ができるか楽しみです!peatix.com/event/4033897/view

急ぎの仕事を集中してやっつけているのだが、そのなかにしょうもないものが混じっているとうれしい。入稿しました。

あと、私が数年前に鳥取のゲストハウス「たみ」で買った、no photoとプリントされたTシャツを母が着ていたのだけど、そのくせ我々はわんころの股関節に嵌め込まれてたボルト(人工関節)が骨にくっついたまま焼け残っているようすを写真におさめたりしていた。no photoを主張しているのに遺骨の写真を撮る遺族、を目の前にした火葬場のスタッフはなにを思ったのだろうか。よい葬式だった。

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今日は早速わんころの火葬をしてきました。空に上がっていく煙を火葬場の外からお見送り......みたいなときに、あそこから出てくるのだろうと思って見ていたのが換気扇のフードでした。壁についてる銀のかまぼこみたいなやつ。煙はふつうに屋根の上から出てきました。そのとき急に野良のわんころが現れて、お見送りをしているわれわれの後ろでおしっこしてたのもよかった。よき葬式でした。

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