2024年1月3日付
グローバルなマクドナルド・ボイコットの呼びかけです!
https://bdsmovement.net/Boycott-McDonalds
10/7以降もBNC (BDSの呼びかけをしているパレスチナ市民団体のハブ団体) はものすごく対象を絞ってきましたが、ここでマクドナルドが明確な「ボイコット」の対象になりました。ここまでのお話:
1) マレーシアでBDS運動を展開するMalaysia BDSは、イスラエルのマクドナルドがイスラエル政府と軍を積極的に支援している件を批判して、マレーシアでマクドナルドへのボイコット運動を展開していた。
※BNCはMalaysia BDSの運動を支持して圧力をかけるよう呼びかけはしたが、グローバルなボイコット運動の呼びかけはしてこなかった。https://bdsmovement.net/Act-Now-Against-These-Companies-Profiting-From-Genocide
2) マレーシアのマクドナルド(サウジアラビア資本の同ブランドの小売店を経営する企業)が、BDSマレーシアを訴えた。
3) イスラエルによる戦争犯罪、ジェノサイドと、それによるガザの窮状についてはみなさまご存知のとおり。
ということでマクドナルド! いよいよ世界規模のボイコット呼びかけですよ。
ボイコットの呼びかけのときは、何のためにやっているのか、だれに何を要求してのアクションなのかをちゃんと伝えていきましょう。
BDSの3つの要求(占領の終結と壁の撤去、イスラエルでの平等な人権保障、難民の帰還権の保障) は最低限のものですが、「パレスチナ解放」がどのような姿として描かれるかは結局のところ、地球上のすべての人と、いまは人でないとないがしろにされているものについても、かかわってくるはずなので。
“The BNC calls on all supporters of Palestinian rights to escalate the global boycott of McDonald’s until the parent company: (BNCはパレスチナの権利を支持するみなさんに、マクドナルド本社が以下の要求を満たすまで同社へのボイコット運動をグローバルな段階に引き上げることを呼びかけます。)
1-Terminates its agreement with its Israeli franchisee over its support for Israel’s war crimes, crimes against humanity and genocide; and (イスラエルの戦争犯罪を支援し、人道に対する罪でありジェノサイドを支援する、イスラエルのマクドナルド小売店経営企業との契約を解消すること)
2-Terminates its agreement with its Malaysian franchisee, unless it drops its frivolous lawsuit against BDS Malaysia and apologizes for smearing the group and its leaders. (マレーシアのマクドナルド小売店経営企業がBDSマレーシアに対するふざけた訴訟を取り下げ、同団体とその指導者らへの中傷について謝罪がない限り、同社との契約を解消すること)”
『…
突き詰めれば映画の評価は個人の好き嫌いだが、それではすまない問題もある。被害者の描かれ方だ。行商の子孫は作品を見てどう感じたのか。今も差別に苦しむ香川の犠牲者の故郷を訪ねた。その末裔(まつえい)に当たる男性は怒りを含んで私に言った。「行商を面白おかしく描き、ばかにしていると思った」
部落差別は現に存在し、男性の詳細は明かせない。彼は映画のおかしな描写を列挙した。行商のリーダーが道中、怪しげな山伏姿で薬を売るシーンもその一つだ。「がまの油みたいなニセ薬を売る設定だが、事実に反する。当時の行商はまっとうな商売をしていた」と言う。
男性の住む地域は差別を乗り越え生き抜くために、困難を伴う行商に活路を求めた歴史を持つ。男性の祖母や母は反物から呉服を仕立てて売り歩き、各地に得意客がいた。「祖母は懸命に働いて家を何軒も建てた。呉服も薬も信用が命。まがい物を売るなど考えられません」
…』
『野田市で事件の掘り起こしに長年取り組む元同市職員の市川正広さん(80)はこれを「複合差別」と呼び、襲撃の背景として重視する。研究者の間では、行商が讃岐弁で朝鮮人と間違われたというのが定説とされてきたが、市川さんは「加害者側が言い訳に使った理屈だ」と単純な讃岐弁誤認説を否定する。』
『この国の負の歴史を直視しようとする監督の問題意識は評価する。「善良な人びとが不安や恐怖で正気を失い、集団で暴走する」というテーマも大切だ。しかし、それを描くために「福田村事件」を借り、史実を矮小(わいしょう)化したという印象が、私の中でどうしてもぬぐえない。
森監督本人にそんな感想を伝えると、こんな答えが返ってきた。「史実にインスパイア(触発)されているが、会話など細部は創作だ。あの惨劇はどこでも起きうると訴えたかった。その意味で事件名をうたえば問題を矮小化しかねず、別のタイトルにすべきだった」。大切なのは福田村事件という史実の重みか。特定の事件を超えた人間にかかわる普遍的なテーマか。やりとりは平行線だった。』
井上英介の喫水線:映画「福田村事件」の軽さ | 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20231209/ddm/005/070/013000c
ほんこれなですよ。Xにいると誰も何事もこうなっちゃう。「哲学」ってなんだべ。
https://font-da.hatenablog.jp/entry/2023/12/30/103256
ていうかさ!ヘイトに自由なんかないというのは大前提じゃん。それは大前提なのでもうそれで話は終わってるんだけど仮に相手の話に乗るとして、いったいどんな注釈をつければ意義があると思うのだろう。絶対そこまで考えてないよね
美術業界が常に心身を犠牲にして作品のクオリティを上げることを求めてるのは本当にやめないといけないと思ってる。それは、アーティストの意識やキュレーターの意識だけではなく、批評や観客の側からも辞めていかないといけない。線引きは難しいしケースごとに考えるしかないけど、美術批評や評論で、クオリティに関することやアーティストの労働時間を削りやすい規模や大きさを過剰に褒めることを、ちょっとずつ辞めていった方がいい。これは今労働問題が吹き出している、アニメや映画、演劇、歌唱についても同じ問題がある。クオリティにかんすることをどれだけ評価していいのか、そのことを問い直していくしかない。評価基準による競争がある以上、それはまた別の心身の削り方を求めることになるだろうけど、それでもやっぱり考えながらやっていく方がいいのではないかな。
今年は音楽をほとんど聴かなくなっており、たまにはと思っても何を聴いても鬱陶しく感じてすぐ止めたりしていたのだがアウトキャスで久しぶりに落ち着いた。だいたい好きだけどATLienかSouthernplayalisticadillacmuzicをかけることが多いですね
それでもガイナコロジストにはかかった方がいいと思う
ネットや人伝てによいという評判を見てから行くのに次々にろくでもない医師に当たりながらも私が諦めなかったのは、おそらくいちばん最初にかかった医師がとんでもなくいい先生だったからだ。たぶん高校生の頃だったと思う。地元のもうすでにおじいさんの先生だったのだが、くわしく症状を聞き取ってくれ、まだ若いし内診は最低限にしたい、どうしても嫌なら遠慮なく言ってと言ってくれ、安心して診察を受けることができた。当時はまだ低用量ピルもなかったし生理痛の軽減という目的では保険も効かなかった中用量ピルを治療目的ということで保険で処方してくれ、身体への影響を考えて半年ごとに休薬して経過を見るなどほんとうに細やかに診療していただいた。おかげでガイナコロジストの診察に対する心理的抵抗が最初から低かったのだと思う。私の場合いい医師はその人が最初で最後だったのは不運だったけど、でもひどい生理痛は鎮痛剤で耐えるだけが対処法ではないので、そういう人はまずは産科がメインではない女性医師のクリニックからgoしてみることをおすすめします。予約何ヶ月待ちみたいなところもザラなのでけっこうめげるけどね…
かかったガイナコロジストたちを許さない話
AFABで救急車で何度か運ばれたことがあるぐらいに生理痛が激甚だったので日本語でいうところの婦人科、キモすぎて言いたくないのでガイナコロジスト、に長年お世話になった。というかならなかった。ならなかったというのは、私の症状について親身に考えてくれる医師にはとうとう最後まで当たることができなかったからだ。生活に多大な支障があったし、親身に相談に乗ってくれる医師を見つけたくて何ヶ所も探したが運悪く巡り会えなかった。ほとんどが男性医師で、私の痛みの訴えを大袈裟だ、心理的なものだと婉曲に伝えてきて、ソリューションは考えてくれなかったし、女性医師はあれこれ面倒なことは最低限にピルを出してくれるというだけで、長くかかっていたのに検査もせず、ピルが効かなくなった時に調べたら筋腫ができていて、何で検査しなかったの?と病院で言われたりした。かかりつけのあんたがなんにも言わなかったからじゃない?と言えばよかった。その数年後に子宮を全摘し、生理痛の恐怖から解放された第2の人生が始まって10年ぐらい経ち、心の底から手術してよかったと噛み締めているが、出会ったろくでもない医師たちのことはいまだに腹が立って忘れられない。
冷蔵庫の女について所感(長いからたたんだ)
本来そういう動機付けのための死って主人公=読者や観客に悲しまれるべきもので、その悲しみを演出するために殺される人のキャラづけをしっかりやったり、いかに主人公がその人を愛していたかみたいな描写をやったりするんだけど、「冷蔵庫の女」の特殊なところってそういう手続きを一切やらずに「ショッキングで残虐な殺され方をする」という一点で主人公の怒り・悲しみを正当化するとこだと思うんですよ。
さらにメタ的にいうと、ショッキングで残虐な殺され方そのものが見世物的に客引きになって、観客を悲しませるのではなく楽しませるものになってる、という構図の歪みもあると思います。本来の目的すらちょっともう形骸化してる。だからかなり特殊で極まったタイプの死で、たしかにあんまり流行してほしくないというか批判されてしかるべきって感じの表現ではあると思うんですよね。
だから冷蔵庫の女と、物語におけるきわめて伝統的な動機付けの死=観客に悲しまれることを想定した死っていうのはかなり違うものだし、まあ違うからOKってわけじゃないんだけど違うものとして認識したほうがいいかなと思ってるって話でした。
"今日は南京大虐殺の日。日本は「匪民分離」に基づいた集団部落政策〔パルチザンに協力していると見なした村を焼き払い集団疎開させる政策〕を実施しながら数多くの民間人を虐殺し家と財産を燃やした。匪民分離とは遊撃隊を魚にたとえて水に該当する住民たちを疎開させ、つまり水を抜き取って魚を捕る討伐戦術という(韓洪九)。いまイスラエルがパレスチナに行っていることと瓜二つ。日本の植民地支配を見ていくと、現在のパレスチナ虐殺が植民地主義史上でつながっていることがわかる。
「水を抜き取って魚を捕る」と言っても、誰が魚(パルチザン)かわからない。ならば結局は水ごと乾して敵と見えるものは民間人だろうと殺していくほかない。フィリピン戦を記録した大岡昇平『野火』にもそれは描かれていた。「デ・プロフンディス」──「この言葉が私の口から洩れたことは、事実私が深き淵におり、聖者でない証拠である。」"
via 逸見龍生 Twitter (X)
https://twitter.com/camomille0206/status/1734716961429565677?s=46&t=m7QWmvJ0RtNoAaXlFEiP-g
⚠️
jacksonhinklle@twitter/x disclosetv@twitter/x
Megatron_ron@twitter/x
ShortShort_News@twitter/x
sharenewsjapan1@twitter/x
以上は右派のプロパガンダで誤情報を広めるためのアカウントなので、シェアしないでください。確信が持てない場合はブックマーク利用推奨。
上記のアカウント群からの発信には、事実だけでなく日付や地名が変えられている、文脈が正確でない、画像がAI生成であると明示されていない、逆にリアルなのにフェイクというといった誤情報に加え、*差別煽動目的の修辞*も含まれている。
拡散したい情報は同じ動画・画像・ニュースを報道機関のサイトで確認し、その記事のリンクを共有してください。
movies, books, music, queer
シスへテロマジョリティの物語はすでに一生分以上見せられてきてもうこれ以上1本も無理だよというスタンスで映画やドラマや本を選んでいます