昼ごはん中にアマプラで「The Night Manager」(2016年制作)をちょっと見てた。ラグジュアリーなホテルの夜間支配人(トム・ヒドルストン)が極悪非道な武器商人に挑む話のはず。

しかし第一話、なんで主人公が武器商人を倒したいのかってとこの動機付けが1000年前から使われてるクリシェ=惚れた女が殺されるやつだったのでちょっとやる気をなくした。別に悪の武器商人を倒したい理由なんかパーソナルである必要なくない? 悪の武器商人なので倒したいでよくね? って思うけどまあ第二話から見ればいいのかもしれない。

ちなみに女性の死が主人公の動機付けにのみ使われてるといういつものやつではあるけど、こういうのは一時期用語としてちょっと流行った「冷蔵庫の女(動機付けのためのみにほぼ台詞もなく残虐に死ぬ妻とか惚れた女の役)」とは言わないという理解。とくに残虐な殺し方でもないし、死ぬ役とはいえキャラクターづけもけっこうされていたので。どっちかっていうとボンドガールになれなかったほうのOO7の女。

別に冷蔵庫の女じゃないから良いってわけじゃないんだけど、物語において主人公の動機付けのための死って古今東西めっっっっちゃくちゃ普遍的に使われてるので(それこそグースの死もそうだし)、十把ひとからげに語ってもそんなに意味ないというか。
「冷蔵庫の女」ってそのうちのかなり極まった特殊なタイプで、極端な形式性と残虐性があるって指摘だと思うので。

死が動機付けに使われる女、数多すぎてほんといろんなタイプがいて、私が近年映画でよく見るものとしては「スマホ動画の女」とかもあります。すでに死んだ/殺された妻や惚れた女で、スマホ動画の中にだけ美しい思い出として残っていて海辺とかでいちゃいちゃしてる幸福な過去のインサート映像で主人公の動機付けを全編にわたってサポートしてくる女(例:ジョン・ウィックなど。ザ・クリエイターもややこの気配あった)。別名、愛という概念としての女。

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冷蔵庫の女について所感(長いからたたんだ) 

本来そういう動機付けのための死って主人公=読者や観客に悲しまれるべきもので、その悲しみを演出するために殺される人のキャラづけをしっかりやったり、いかに主人公がその人を愛していたかみたいな描写をやったりするんだけど、「冷蔵庫の女」の特殊なところってそういう手続きを一切やらずに「ショッキングで残虐な殺され方をする」という一点で主人公の怒り・悲しみを正当化するとこだと思うんですよ。

さらにメタ的にいうと、ショッキングで残虐な殺され方そのものが見世物的に客引きになって、観客を悲しませるのではなく楽しませるものになってる、という構図の歪みもあると思います。本来の目的すらちょっともう形骸化してる。だからかなり特殊で極まったタイプの死で、たしかにあんまり流行してほしくないというか批判されてしかるべきって感じの表現ではあると思うんですよね。

だから冷蔵庫の女と、物語におけるきわめて伝統的な動機付けの死=観客に悲しまれることを想定した死っていうのはかなり違うものだし、まあ違うからOKってわけじゃないんだけど違うものとして認識したほうがいいかなと思ってるって話でした。

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