ていうかさ!ヘイトに自由なんかないというのは大前提じゃん。それは大前提なのでもうそれで話は終わってるんだけど仮に相手の話に乗るとして、いったいどんな注釈をつければ意義があると思うのだろう。絶対そこまで考えてないよね
美術業界が常に心身を犠牲にして作品のクオリティを上げることを求めてるのは本当にやめないといけないと思ってる。それは、アーティストの意識やキュレーターの意識だけではなく、批評や観客の側からも辞めていかないといけない。線引きは難しいしケースごとに考えるしかないけど、美術批評や評論で、クオリティに関することやアーティストの労働時間を削りやすい規模や大きさを過剰に褒めることを、ちょっとずつ辞めていった方がいい。これは今労働問題が吹き出している、アニメや映画、演劇、歌唱についても同じ問題がある。クオリティにかんすることをどれだけ評価していいのか、そのことを問い直していくしかない。評価基準による競争がある以上、それはまた別の心身の削り方を求めることになるだろうけど、それでもやっぱり考えながらやっていく方がいいのではないかな。
今年は音楽をほとんど聴かなくなっており、たまにはと思っても何を聴いても鬱陶しく感じてすぐ止めたりしていたのだがアウトキャスで久しぶりに落ち着いた。だいたい好きだけどATLienかSouthernplayalisticadillacmuzicをかけることが多いですね
それでもガイナコロジストにはかかった方がいいと思う
ネットや人伝てによいという評判を見てから行くのに次々にろくでもない医師に当たりながらも私が諦めなかったのは、おそらくいちばん最初にかかった医師がとんでもなくいい先生だったからだ。たぶん高校生の頃だったと思う。地元のもうすでにおじいさんの先生だったのだが、くわしく症状を聞き取ってくれ、まだ若いし内診は最低限にしたい、どうしても嫌なら遠慮なく言ってと言ってくれ、安心して診察を受けることができた。当時はまだ低用量ピルもなかったし生理痛の軽減という目的では保険も効かなかった中用量ピルを治療目的ということで保険で処方してくれ、身体への影響を考えて半年ごとに休薬して経過を見るなどほんとうに細やかに診療していただいた。おかげでガイナコロジストの診察に対する心理的抵抗が最初から低かったのだと思う。私の場合いい医師はその人が最初で最後だったのは不運だったけど、でもひどい生理痛は鎮痛剤で耐えるだけが対処法ではないので、そういう人はまずは産科がメインではない女性医師のクリニックからgoしてみることをおすすめします。予約何ヶ月待ちみたいなところもザラなのでけっこうめげるけどね…
かかったガイナコロジストたちを許さない話
AFABで救急車で何度か運ばれたことがあるぐらいに生理痛が激甚だったので日本語でいうところの婦人科、キモすぎて言いたくないのでガイナコロジスト、に長年お世話になった。というかならなかった。ならなかったというのは、私の症状について親身に考えてくれる医師にはとうとう最後まで当たることができなかったからだ。生活に多大な支障があったし、親身に相談に乗ってくれる医師を見つけたくて何ヶ所も探したが運悪く巡り会えなかった。ほとんどが男性医師で、私の痛みの訴えを大袈裟だ、心理的なものだと婉曲に伝えてきて、ソリューションは考えてくれなかったし、女性医師はあれこれ面倒なことは最低限にピルを出してくれるというだけで、長くかかっていたのに検査もせず、ピルが効かなくなった時に調べたら筋腫ができていて、何で検査しなかったの?と病院で言われたりした。かかりつけのあんたがなんにも言わなかったからじゃない?と言えばよかった。その数年後に子宮を全摘し、生理痛の恐怖から解放された第2の人生が始まって10年ぐらい経ち、心の底から手術してよかったと噛み締めているが、出会ったろくでもない医師たちのことはいまだに腹が立って忘れられない。
冷蔵庫の女について所感(長いからたたんだ)
本来そういう動機付けのための死って主人公=読者や観客に悲しまれるべきもので、その悲しみを演出するために殺される人のキャラづけをしっかりやったり、いかに主人公がその人を愛していたかみたいな描写をやったりするんだけど、「冷蔵庫の女」の特殊なところってそういう手続きを一切やらずに「ショッキングで残虐な殺され方をする」という一点で主人公の怒り・悲しみを正当化するとこだと思うんですよ。
さらにメタ的にいうと、ショッキングで残虐な殺され方そのものが見世物的に客引きになって、観客を悲しませるのではなく楽しませるものになってる、という構図の歪みもあると思います。本来の目的すらちょっともう形骸化してる。だからかなり特殊で極まったタイプの死で、たしかにあんまり流行してほしくないというか批判されてしかるべきって感じの表現ではあると思うんですよね。
だから冷蔵庫の女と、物語におけるきわめて伝統的な動機付けの死=観客に悲しまれることを想定した死っていうのはかなり違うものだし、まあ違うからOKってわけじゃないんだけど違うものとして認識したほうがいいかなと思ってるって話でした。
"今日は南京大虐殺の日。日本は「匪民分離」に基づいた集団部落政策〔パルチザンに協力していると見なした村を焼き払い集団疎開させる政策〕を実施しながら数多くの民間人を虐殺し家と財産を燃やした。匪民分離とは遊撃隊を魚にたとえて水に該当する住民たちを疎開させ、つまり水を抜き取って魚を捕る討伐戦術という(韓洪九)。いまイスラエルがパレスチナに行っていることと瓜二つ。日本の植民地支配を見ていくと、現在のパレスチナ虐殺が植民地主義史上でつながっていることがわかる。
「水を抜き取って魚を捕る」と言っても、誰が魚(パルチザン)かわからない。ならば結局は水ごと乾して敵と見えるものは民間人だろうと殺していくほかない。フィリピン戦を記録した大岡昇平『野火』にもそれは描かれていた。「デ・プロフンディス」──「この言葉が私の口から洩れたことは、事実私が深き淵におり、聖者でない証拠である。」"
via 逸見龍生 Twitter (X)
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なお、公共図書館側が紹介している、トランス支援資料リストは次のもの。
Supporting Trans Youth
https://halifax.bibliocommons.com/list/share/1135550427_hfxpl_adults/1907110149_supporting_trans_youth
こうした対応は、公共図書館ならでは、という感じで、個人的には好感が持てる。
その一方で、記事では、それなら図書館はユダヤ陰謀論本も同じように所蔵するのか、と問い返す批判も紹介されている。シュライアー本は、トランスの人々に対して、ユダヤ人に対するユダヤ陰謀論本と同じような効果を持ち、「地域社会でトランスの人々に対する憎しみを定着させる可能性がある」のではないかという批判。言論の問題ではなく、地域に住むトランスの人々の安全の問題なのだ、という形で、図書館の姿勢に問いを突きつけている。
#図書館
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例のシュライアー本を北米の公共図書館がどう扱って、どういう議論があったかに関する記事を、知人の識者から教えてもらったので、こちらでもおすそ分け(一部自力で見つけたものも追加)。
一つ目は、カナダの例で、シュライアー本を公共図書館側がスタッフおすすめ本にしてしまったというケース。
Controversial book on 'transgender craze' no longer staff pick at Whitehorse library (CBC)
https://www.cbc.ca/news/canada/north/whitehorse-library-book-irreversible-damage-decision-1.6882585
結果として、抗議を受けて、おすすめ本からは外したものの、蔵書としては維持、という扱いになっている。
#図書館
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批判殺到を見越してあらかじめ極右のインフルエンサー的なの複数にサポートを依頼することまでしてたということは完全にわかっててやってたはずなのに逆になんで即中止にしたのだろう
KADOKAWAの例の本は、不確かな説を含み医療を受けた本人の語りで構成されているわけでもないが、加えて倫理的な問題もあるという瀬戸マサキさんの指摘。https://twitter.com/MasakiChitose/status/1732245671443681774
トランス男性/AFAB /FT系当事者の身体的特徴を揶揄する(「こんなに女の子に見えるのに」=気の迷い、思春期にありがち)のは、「女子ども」扱いした上での主体性の否定であり、当事者の気力を繰り返し奪ってきた。トランス医療の議論に資するような内容ではない。
そもそもKADOKAWAは「不妊化要件が違憲となった今」という煽り文句も付けていたが、この本に鑑みれば手術の可能性が減るのは歓迎すべきことではないか。実際の当事者の身体を本当に慮っていればこういう書き方にはならない。
「言論弾圧」だ、知る権利があると言う人々は、日本の医療状況に目を向けたことがあるのだろうか。本人が希望している以上の手術を勧める医師がいる、正規医療の手術で満足できず他所で修正する当事者もいることは15年前から書いてきた。そうした足元の現実はどうでもよく知ろうともしてこなかったのに、この翻訳は大切だと思うなら、何によって気持ちが動かされたのかを考えてみてほしい。(下に続く)
movies, books, music, queer
シスへテロマジョリティの物語はすでに一生分以上見せられてきてもうこれ以上1本も無理だよというスタンスで映画やドラマや本を選んでいます