カレーの起源をめぐる記事。書いているのはお好み焼きの起源でお馴染み、近代食文化研究会。美味しんぼの記載に間違いがあることを、嘘と表現する。その「嘘」という言葉に厳しいという声がはてブに並ぶ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/ksk18681912/n/nafabf62d4588
嘘と間違いの境界線に関わる興味深い一事例がまた増えた。
「嘘」という概念は、論理命題的な「偽」とは違って非常に文化的だなあと常日頃から思うわけですが、この事例を使えばうまく整理できるなと思いました。「嘘」は倫理的な正しさを含む概念で、その社会で信頼を失う問題行為であるのに対して、「偽」は必ずしもそうではない。
明日行きます→来なかった、ということが嘘になるかという問題は、留学生と接しているとよく発生する事例で、海外で生活されている方は類例によく出会うでしょう。ああいうのに怒りの感情を伴って「お前は嘘をついた」というのは、ちょっと待てと思うのですね。…ということの専門書を読んでみたいとずっと思っているけど、出会えてない
調べてみて間違っていたのは、約束ではないから「嘘」とは文化的に見なさないのが我らが社会の合意と思うけど、比喩的に「嘘」という。なんだろう、謝罪が必要な場面を作って、相手の立場を上げるような待遇的な効果があるんだろうか。
じゃあホントの嘘ってなんじゃいというと「騙す意図があったかどうか」で、でも話し手の意図とは別に受け手が「騙された」と思うかどうかが問題になる。そこんとこがコミュニケーション上の摩擦になるんだろうな…
面白い事例、ありがたいです。
QT: https://fedibird.com/@tina_na/112686101206498297 [参照]
今日は新任教員が自分の研究を紹介するイベント。良い企画だと思います。
皆さんライフヒストリーと絡めて、研究のきっかけを語っていらした。私もそうしたけど、こういうのはホントに現在から過去を想像・創造している面があって、ストーリーは面白くても本質的にはフィクションではないかと思います。
だからこの話題の扱いは少し慎重になってしまう。自分の場合は漢語アクセント史研究をやっていることは、たぶん台湾ハーフとしてのルーツが関わっている。でもそれを語ると、その属性と研究が強固に結びつくでしょう。
見え方としても自分の無意識としても、そういう意味づけで研究を拘束することは多分良くない。本当はもっと多面的で複合的な出会いや要因が、今を作っているはず。だから自分のこれからも多面的に開かれているはず。
ということでルーツからの語りは、今日はしなかった。機会があればそれはまたでいいでしょう。語りはいつも開かれているのだから。
クロ現「女性はなぜ地方流出するか」番組内で「東京が令和なら地方は江戸」というコメントをFBで取り上げた女性のコメント欄に、地方は刺激が少ないから〜などの「共感してます」的な男性コメントが並んでいるところに闇の深さを見る。
地方を去る女性たち・・・ なぜ地元に戻らない?女性流出 本音を聞いてみた - クローズアップ現代 取材ノート - NHK みんなでプラス
https://www.nhk.or.jp/minplus/0121/topic101.html
番組はジェンダーロールの押しつけ、ジェンダーギャップの問題をど真ん中に取り上げているのだが、見る側が違うと解釈がこれだけ変わるという案件です。
無邪気で好意的なほうが対処が難しい。
先住民目線で語る、Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題
https://www.yuroksmomlife.com/mrs-green-apple/
色々出てくる批評、批判の中で飛び抜けて説得的なのが出てきた。なお私は削除前にMVを見ましたが、声はいいのにノリが自分とは全く合わないなというところにばかり目が行って、こんなに細かく問題点を発見できてませんでした。
で、このテキスト勉強になるのはもちろんのこと、当事者ポジション取ってからの論理で穏やかに詰めていくのが、もううまい!としか思えません。私も当事者ポジションで語る時は、攻撃力をきちんと調整したいと思うのでした。
ともあれ、あのやばいMVがそこまで丁寧に地雷を踏み抜いたものだとすれば、狙ってやったという見方は現実味がある…アーティストではなく作り手の方でしょうね。しかし、ならば逆になぜ?と問いたい。悪意を込めたなどという単純な意志ではなく、敢えての逆張りだろうか。
コカコーラ社の弁明が意味不明というのも含めて…何かが噛み合ってない印象ですね。
無知の方が救いはないと思うが、意図的であったとしてもこれはこれでしんどい案件でした。
それはそうと、メトロイドバニアの名作「Hollow Knight」の続編「Silk Song」が待ち遠しくて、原稿の合間にちょくちょくやりなおしていたホロウナイトですが、超絶アスレチックコースとして知られる「白い宮殿」を久しぶりにクリアしました。2018年にやったやつだから、6年ぶりか。
オーストラリアのチームが作っているゲームです。なかなかの難易度です。
鈴木史朗がいい年してバイオハザードがうまいという話がありまして、ああ何歳になってもこういうのが上手になるっていうことはあるんだ、という気持ちでクリアしたのが6年前。
https://www.cinematoday.jp/page/A0005339
この年になると「何かが上達する」ということへの期待ってあんまりなくて、どうせやってもな、と思っていたりしたのですが、ホロウナイトを通じて「うん、まだ大丈夫なようだ」ということを今月も確認しました。免許返納はまだまだ先でよし。
ちなみに、群馬が元々「くるまの国」とはどういうことか、ですが、それは私は知りません。が、木簡にも出てくる表記として知られています。以下、木簡データベースから、藤原宮出土「上毛野国車評」。便利になったものだ。
https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJEKN29000113
「○あゆかは 愛甲(相郡) 阿由加波(アユカハ) 甲(カフ)ヲカハニ用ヒタリ。愛(アユ)ノコトハ下ニ出」と。なおこの項目は何を言っているのかというと、「甲」はもともと唇内入声韻尾といってカフという字音でして、その音の聴覚印象に「川(カハ)」を寄せてこの表記を作り出したということです。愛甲(アイカフ)←鮎川(アユカハ)ということ。
「くるま(kuruma)の国」に「群馬(gunma)」を当てるも概ねこの方式で、ruとnuがギリギリ似ていることに寄せているわけですが、カハをカフに寄せるか!と漢字音研究をしていても意外な印象が拭えません。「あたご」を「愛宕(aitang≒アタグ)に寄せるのよりも、かなり距離があると感じられるのは何でだろう…
『地名字音転用例』には群馬の「おはらぎ」を「邑楽郡(おうら<オフラ)」に寄せたというのもあるから、いいのか…。「あまみ」を「奄美(ammi≒アムミ)」に寄せるくらいだからな。u-aはいいのか。
ちなみに今野真二さんがエッセイでこれに触れているが、宣長や好字二字令には触れていらっしゃらない。(2/2)
神奈川県の「愛甲郡」はもと「鮎川(あゆかは)」だった、という説を本居宣長の『字音仮名用格』(PDFの31枚目)で見た。
https://dglb01.ninjal.ac.jp/ninjaldl/bunken.php?title=zionkana
「相模ノ郡名愛甲ハ阿由加波(アユカハ)」とある。これはどうやら『和名類聚抄』のことを差しているらしい。二十巻本で見てみると、なるほど次のリンクの通り。https://dl.ndl.go.jp/pid/2544218/1/15
界隈ではお馴染みの和銅6年「好字二字令」によって、それまで万葉仮名で統一感のない表記だった地名を唐にならって2文字にしてしまえということで、スルガが「駿河」アマミが「奄美」シタラが「設楽」と表記されるようになったという案件でした。…とこのあたりは宣長の『地名字音転用例』でもまとめられていることで、見てみると思い切りこっちで論じてました。https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ho02/ho02_04601/ho02_04601_p0011.jpg
(1/2)
山形の「ずんだ餅」の語源が「豆を打つ」から「豆ん打」という話は、語源俗解・民俗語源だと思われます。日国では糠味噌を意味する近世期の「糂汰(じんだ)」からの転義と考えていて、そちらのほうが語源としての蓋然性は高いでしょう。枝豆や大豆をすり潰して和え物にしたものを「じんだ」と呼ぶのは、富山にも岐阜にも比較的広域に存在しています。それが東北のいわゆるズーズー弁地域で「ずんだ」に変化したと考えるべきで、「豆(ず)」が語源とはほとんど考えにくいです。
もっとも、豆屋さんが語源を豆の音読みに結びつけて理解するのも自然な話で、それはそれとして面白いと思います。
やばい、これは涙が止まらん。
「超客観的基礎ラブロマンス概論」
https://tonarinoyj.jp/episode/2550689798664237776
かつてWindowsで使っていた電子版の大漢和辞典をMacでも使いたい。しかし使うことはできません。
人文系研究者でMacユーザは少なからずいると思うんですが、どうでしょうかね。一太郎というソフトもWin版しかないのは、そもそも一太郎自体のユーザが少なく、今後はロストテクノロジー化していくだろうから、開発コストに合わないだろうというのはあるけれど。
大漢和辞典を購入するのはそもそもコアなユーザなわけで、かつ人文系研究者はこれからも大漢和を使い続けていくだろうことからして、Macユーザにもそのコア層がそれなりにいることからすると、Mac版を開発していただいてもいいのではないかと思われますがどうでしょうか。
という話を大修館書店のかたにしてみた。さて、どうなりますか。
紙版持っているからいいといえばいいんですけど!語彙検索までできるというアップデートをしていただけるのであれば、他のOSにももう少し目を向けていただけますと幸いに存じます。マジで。
録画していた「光る君へ」を見た。越前で藤原為時が中国語でドタバタするお話。いつもは歴史学クラスタ、文学クラスタ、日本語学クラスタが騒いでおりますが、この話では中国語教育学クラスタ、中医学クラスタが騒ぐことだと思われます。まことに賑やかで喜ばしく思います。
私は修士論文を、平安後期の医学書『医心方』の漢字音で書きましたことと、配偶者が鍼灸師の資格を持つということで、日本語学クラスタでありながら中医学に右足の小指だけが入っているくらいのクラスタであります。舌診、脈診をきちんとするのでこれも喜ばしく思ったことでした。最近のスポーツ針で育った若い鍼灸師はそういうことしないですからね!
松原客館でのくだりは、もうちょっと前の時代(9世紀)だと渤海からの使節団がやってきたということが知られる。そこで、国守が本当に中国語ができたのかだが、少なくとも漢詩の応酬があったということで、コミュニケーションが取れた部分もあったとは、湯沢質幸『古代日本人と外国語 東アジア異文化交流の言語世界』に書いてあります。「光る君へ」で宋人に漢詩を披露するシーンは、そんなことを思い出したのでした。
長らく使ってきたコーヒーメーカーが壊れた。新しく購入するか一瞬考えたけれど、場所を取り過ぎるので、かつて職場でやっていたようにケトルからでいいかと思って、先月からケトルでドリップしている。
それで…結論、コーヒーが各段に美味しくなった。ただ沸騰したてで注ぐというだけのことだが、お湯の温度がここまで効いてくるのかと思う。先日、ライトローストはあまり美味しくないとか、スタバの豆は苦いだけみたいなディスりかたをしたが、この方式で入れると不思議ときちんと美味しくなる。いや、不思議じゃなくて単にこれまでやり方が間違っていただけということでしょうけれど…。罪のない豆には心よりお詫び申し上げたいと思います。
あんまし技術的なことは調べてないです。が、スタバの豆は苦みの奥にある爽やかな酸味とか香りが出てきて、スタバで飲むコーヒーよりずっと美味しく感じられる。ライトローストのほうは、これは豆によるんでしょうけれどある種の穀物臭が奥へ消えて好きな香りだけが前景化する。気のせい…ではないと思います。
昔非常勤先のコーヒー好きのおじさま先生が、①沸騰したてのお湯を使え、②できるだけゆっくり一滴ずつ垂らすように湯を入れろ、この2つだけを強調していたが、まさにこれだけを実践している。ほんとに美味しくなるものですね。
日本語学の研究者です。漢字音史、漢語アクセント史を文献ベースで狭くやってます。自己紹介的な論文に、「アニメ『ドラゴンボール』における「気」のアクセント─漢語アクセント形成史の断線から─」(日本語学2022年6月号)あり。データベース作ったり、自転車に乗ったり、珈琲を飲んだり、ジャム作ったりしています。https://researchmap.jp/read0135868