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うーん、250℃、18分は長すぎたかな。胡桃とレーズンのパンです。全粒粉とモルトパウダー、味と香りが良かったので。

かつて学生に勧められて『東京卍リベンジャーズ』を読んだときに、価値観のアップデートのなされなさに相当驚いた記憶がある。大手少年誌である。

対極にあるジャンプラなどではその手の心配はほとんどないので、油断していたということなのかもしれない。しかしそれを言うとヤンキーもの自体が少年誌で成立しないということにもなり、難しい。ポリコレ的に正しいヤンキーマンガというのも形容矛盾であるようにも感じられる。

少年マガジンの作家の中に性暴力を好む人間が紛れている
anond.hatelabo.jp/202310240054

で、これだ。(リンク先のリンクはかなりどぎついので耐性がない方は踏まない方が良い)

個人的には表現の自由は守られるべきものだろうけれど、ゾーニングを理由に許されるというならば、それを内心の自由に置き換えて児童への性犯罪の欲望を持つものが教員でもいいか、というと少なくともどこかで表明された時点で違う倫理に触れるに違いないと思う。同様に、本件もこれが世間に漏れてしまった時点で、倫理的な問題に不可避的に曝されてしまう。その時、問われるのは言うまでもなく出版社の倫理だろう。

バレなきゃ何をやってもいいとは思わない。しかしバレたらもうダメだということも世間にはあると思う。

今日、ネットの記事で、「湯を注ぐだけで簡単に白湯ができます」的な記述を見た。ん?ってなって、とんちきなこと言ってんなと思ったのですが、界隈にはまさかの湯と白湯は違うという考え方があるようです。

連れ合いにそういう広告を見たんだよ、つったらケラケラ笑って、それ見間違いじゃないか、という。いや確かにそう書いてあったんだよ。何を言っているのか分からねーと思うが!とかいうネットミームじゃないけども。

白湯とお湯の違いと効果とは!水道水からケトルやレンジでの作り方! | Sodate(ソダテ)
eyefulhome.jp/sodate/article/t

「40度以上の水が湯」で「一度沸騰させた状態で温かいやつが白湯」という。マジか。初耳だ。我らが日本国語大辞典は「沸かしただけで、何もまぜないで飲む湯。」とある。いや、それだろう。何も混ぜないというところに意味の中核があるはずだ。

いやー、何がすごいってこうやって商売がクリエイトされるわけですよ。私が見た広告は、このポットにお湯を注ぐだけでどこにでも白湯を持ち運べます的なやつだった。これぞ虚業。無から概念を作り出した人が胴元になる仕組み。

なんと湯を注ぐだけで白湯になるんですよー、で、わー便利って。界隈すごいな。

全粒粉を1割、モルトパウダーをひとさじ。昨年はイースト少なめ、低温発酵のパンに随分トライしましたが、その時の材料です。

香りがすごくいい!!

なお付録に音韻論の教科書みたいなことが書いてある。これが非常にコンパクトで分かりやすい。音韻を専門にする人でもここまですっきり書けないと思います。

ともあれ、面白かった。こういう本を書けるようになりたいですね。

野村剛史2011『話し言葉の日本史』吉川弘文館、読了。現代文法の専門家が、ひょんなことから文法史、音韻史へと興味を広げ、とうとう口語史を書き上げてしまった。伝統的な日本語史の概説のありかたは、口語史を過去から現在へと書き綴るので、その意味ではかなり日本語史ど真ん中の語り方だと感じた。

音韻史の部分は、私だったらこう論じるかなと思いながら読んだが、中世の文法史の部分はさすが著者のご専門ということもあって、言葉の歴史に対するパースペクティブのようなものが面白かった。ガ格が作る連体句と係り結びの関係や、片仮名申状における漢語の広がりなど、もう一度読み直したいエピソードもある。

で、そうかなあどうだろうと思うのは、「江戸の言葉+山の手に集まった地方人の言葉がコイネー化して標準語になった」という比較的広く受け入れられている説に対して、「江戸期にすでに上方由来の共通語のようなものが存在していて、それを継承したのが山の手言葉、標準語はその意味で上方語の系譜」という説。面白い、とは思う。江戸弁に一部の語彙や文法に関西の影響が見られるとは従来から言うけれど、借用とか言語接触の枠組みで語られてきたのであって、直接的な系譜と言われるとどうかなーと思う。

比較言語学的な方法論によったものでもなし、ちょっと受け入れがたい。

今日のお遊びです。狭山湖の向こうに富士を望む。

一見すると箱みたいに分厚いのよ。アンガス・フレッチャー『文學の実効』を購入。文学の意義を人類史と脳神経科学で紐解く、と。文学部的なマインドからすると、うっせーよ!という照れ隠し的な言葉がつい出てくる。そしてそうまでして「役に立つ」を説明しなきゃいけない時代ってなんなん??と思いもするが、食わず嫌いは良くない。

それに最終章だけを最初に読んだ感触はとてもいい。だって、タイトルは「明日を発明する」というんだから。ちょっとぐっときた。

日本語学を専門にする自分ではあるが、文学部の学生にはいつもフィクションが私たちを人間にすると語っている。言語学はまたちょっと違って人文「科学」的な匂いが強いが。

マストドンの慣習に従い、カレーのご報告を申し上げます。

今週はチョコチップで。連れ合いが少し歯抜かりがする、というので250℃で12分のところを、15分で調整してみた。食べる時にはリベイクするわけで、その時にどうなっていますか。明朝の楽しみです。

そーいえば、納豆!最近の納豆は、うまみ調味料が入ったタレが附属しているじゃないですか。あれがないやつを近所のスーパーで買いまして。

monolog.r-n-i.jp/item/49765776

ネギと醤油、カラシは家にあった水で練るやつを使ったら、小さい頃によく食べた味でした。納豆の香りが、いかにタレに紛れていたかがよく分かった。

単なるノスタルジーなのかもしれませんが、こっちのほうが美味しく香りが高いように感じます。

nikkei.com/article/DGXMZO84828

70年代の終わりごろには、藁にくるまれた納豆も売っていたような記憶がある。もっとも、スーパーのは格好だけ藁で、藁からの枯草菌ではなかったかもだけど…

光の軌跡、これはやってみたかったやつ。

焼き上がりでフライパンの蓋を開けたら、辛い感じの煙が上がってむせた。だからこれは異常事態だと思えばいいのに、万願寺唐辛子にも時々当たりがある、くらいに油断していたのが間違っていたようです。

辛い食べ物は好きな方だし耐性もあるほうだと自認していますが、非常に強い攻撃性のある唐辛子でした。やばい。冷めてからもお皿の上に顔が来ると、「目が〜」ってなる。なんというかもはや「辛い」という形容詞では捉えきれない現実です。「辛い」「熱い」「痛い」に「しみる」「まぶしい」「むせる」あたりも加わって、味覚・嗅覚と視覚まで攻撃できるマルチタスクなウェポンでした。

受粉を間違えると突然変異的なものになるらしいです。知恵袋、ほんとか知らんけど。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/

食後二時間、まだ具合悪い

久しぶりに会心の出来です!嬉しい朝

食べてもないのに会心とするところが、わたくしのクオリティです

ボケまくっているけれど、スバル星団を撮影しようと頑張った…

朝から庭木の伐採をやりまくったところ、居場所がなくなったカマキリ先生ににらまれた図。

本日は昼過ぎまでバッサバッサと切り倒して、さあ昼休みというところで、謎の流しの植木のおじいさんが3トントラックで通りがかる。「俺植木屋だけど、庭みてやろっか」、からの素人では伐採できない5メートルくらいまで育ったやつを綺麗にしてもらうことにした。

80歳のご老体でゆっくりゆっくり、午後いっぱい全部使って作業をしてくれている。作業しながら昔話もしてくれて面白い。「イチゴ」の頭高型アクセントで、やっぱり群馬ご出身の方だった。

埼玉も群馬も、語法はだいたい似ていて、若い人なら「あるみたいだね」というところ「あるようだよ」というのも、関東のやや古めかしい発音で気持ちがいい。「したんだよな」の「したんだいな」という発音も。暖かな午後の日差し、ゆっくりとしたおじいさんの手仕事、のんびりしたひととき。

その話し口は、あとで国立国語研究所の方言談話資料で確認してしまった。

mmsrv.ninjal.ac.jp/hogendanwa_

これは読んでいて非常にしんどい。見えている「被害—加害」が周囲にもたらす苦しさ、それを丁寧に解きほぐそうとする回答者の苦しさ、その背後にある多重性みたいなものに胸が締め付けられる。

marshmallow-qa.com/messages/b7

(当事者でないとされる)タレントも、加害者/被害者のどちらでも捉えられてしまうように、ファンも加害者/被害者のどちらでも捉えられてしまう。ハラスメントとは少しでも関わった人たちを両義的な存在にしてしまうからこそ、罪が重いのだと思う。

「今苦しくて痛くてしんどくても、どうか外部の言葉を冷笑したり、乱暴な意見に迎合したりせず、どうして自分が苦しく感じるのか、なぜ被害者の言葉を信じられないのか、そういうことをたくさん考えてほしいです。そのことには絶対にぜったいに意味があります。」

いや、まったくそう。そうだけど、無謬で無時間的な「推す」行為が現実に曝されるのって、すんごいしんどいと思う。曝されずに済むならそうありたかったはずだし、そのためのエンタメでしょ。ファンも当事者とは次元が違えど、実はかなり爆心地に近いところにいると思う。

しかしなあ…現実を受け入れないと傷口はもっと悪化すると思う。こんなことを社会として許さないような価値観に我々はアップデートしていかないと。

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