武蔵野銀行の略称が「武銀(ブギン)」、人間科学部の略称が「人科(ジンカ)」というところから、略称になると元は呉音読みだったのに漢音読みになってしまう現象って、何だろうと考えている。すぐにでも思いつくのは、漢音読みのほうが一般的で汎用性が高い=言語学で言うところの無標だということ。
確かに呉音は、漢音の「行動(コウドウ)」に比べて、「行者(ギョウジャ)」など特殊な読み方が多い。
関連して読んでいた湯沢質幸『漢字は日本でどう生きてきたか』開拓社を読んでいたら、「京浜(ケイハン)」←東京(キョウ)が出てきて、なるほど路線名や道路名にもこの現象は多いなと思い返す。「京阪」「京王」「京成」すべてケイ。呉音とのペアでなくとも漢音で読む「名阪(メイハン)」なども類例か。
この本では、「埼京(サイキョウ)線」が特殊とあって、面白い。なぜ「サイケイ」ではないのか。いくつか説が上がっていて、「サイ」は実はサキがサ行イ音便化した訓読みなので、2字漢語を作るメカニズムにないというのにはうなずける。
略称を作るときには、何となく「漢語っぽいもの」を我々は無意識に作ろうとしていて、その「ぽさ」は漢音で表象されているようです。呉音は、語種としてはもちろん漢語だけれども、和語に近いということがここでも分かるということか。
WeChatを導入。大陸の古い友人や研究仲間と連絡を取り合うためです。
先週、台湾では本来そういう研究の目的があったわけではありませんが、台湾語を公用語にまで押し上げたいという望みを持って保存・復興運動に関わっている研究者と会いました。この研究者は大陸で研究会があっても、しばらくは出席を控えているとのこと。
一方、今年度、とある国際的な言語学会が大陸のある場所で行われる際、オンライン開催であるにも関わらず発表者のパスポートコピーの事前提出および発表資料の事前検閲があったと。これはある日本人研究者に聞いた話です。開催地の研究発表は体制に不自然なほど寄り添った内容になっていたとのこと。
この数年、先方の様子がずいぶん変わったとは各所から耳にします。でも私には大陸にも友人はいるし、研究仲間もいる。直接会いに行きたい気持ちもある。政治は政治、上部に政策があっても下部には対策があるのが、知恵といえば知恵。しかしながら複雑な気持ちになるのも確かなことです。
地名というのは、支配者が権力で変えてしまうことが往々にしてあるわけですが、表記がハブになって、違う音が生まれる事例として台湾でよく知られるのは、「高雄」です。
この地名は1895年から始まる日本時代以前は、文字を持たない原住民によるtakao的な音声を、後の漢族が聞き取って漢字で記した「打狗」としていました。
しかしこの「イヌを打つ」とでも理解される字面がよろしくないと考えた日本政府は「高雄」という表記を与えた。1945年の光復を経て、国民党はこの漢字を中国としての発音「GaoXiong」と呼んだ。かくして地名の発音が変わってしまった。
というエピソードは授業で時々話題にするのですが、実際に文字にされた「打狗」を見るのは初めてです。
これは考えさせられる。
ジャニオタの二次加害がひどすぎる
https://anond.hatelabo.jp/20230907184046
コメントを読むとファンダムのなかに共有される感覚の一つとして(これはあくまでも一部の意見ではあるだろうが)、間違いなく存在はしているんだなと。
学生さんのなかにも、これをソフトな形で発言する人もいる。解きほぐせるものなのか、ちょっとめまいがするな。
日本語学の研究者です。漢字音史、漢語アクセント史を文献ベースで狭くやってます。自己紹介的な論文に、「アニメ『ドラゴンボール』における「気」のアクセント─漢語アクセント形成史の断線から─」(日本語学2022年6月号)あり。データベース作ったり、自転車に乗ったり、珈琲を飲んだり、ジャム作ったりしています。https://researchmap.jp/read0135868