街を歩く人々が上着を羽織り、さらにそのうち半数くらいが首にマフラーを巻きつけるようになる頃。
色々なお店に「赤い服を着て白く長いひげを生やしたおじいさん」の描かれた商品が、たくさん並ぶ。
そのおじいさんの絵が印刷された品物の数々を見ていると、温かいような寂しいような気持ちになって、家に帰りたくなったり、でも同時にそのまま違う土地に行ってみたくなったりもする。
不思議。
赤い服を着て白いひげを生やしたおじいさんは、絵の中では大抵、微笑みを浮かべているようだ。
その周囲にいる子供たちも、背中に翼を持つ小さな者たちも、リスやクマやノウサギなどの動物も誰ひとりとして悲しそうな顔や怒った顔はしていない。星の見える夜空の下、世界は危険な場所ではなく、家屋の開口部から漏れる橙色の灯りで照らされるための舞台になっている。
綺麗で、だからこそ私はむしろ奇妙なほどはっきりとした疎外感を感じるのだろう。でも、決して入れない場所は、足を踏み入れることができないから美しいままで在る。
窓に穴を開けて紐が結ばれたような商品を1つ買った。
深緑の針葉樹が茂る区域に設けられた柵の内側で、おじいさんが大きな布袋(革袋かも)を逆さにし、建物の中に大量の小箱を注いでいる。
天使たちがその傍らで、果物を手に順番を待っている。
ピーター・S・ビーグル〈旅立ちのスーズ〉井辻朱美訳を読み終わる。
〈最後のユニコーン〉の続編にあたる〈二つの心臓〉と〈スーズ〉が収録されている1冊。
前作で「何かを信じられなくなった王様」としてのハガードに思いを馳せていたから、今作では一方「何かを忘れつつある王様」リーアに目を向け、それから「時」というものが人間(つまり、永遠に生きるわけではない存在)にどう影響するのかを見た。
私は〈スーズ〉を読んでいてどこかの地点で一度泣いてしまったのだけれど、振り返ってみると、それがどこだったのか覚えていない。
『スーズ、スーズ。死にたくないわ。永遠に生きられるって言われた……あたしは昔からみんなの女王になるはずだったって』
P・S・ビーグル〈旅立ちのスーズ〉(2023) 井辻朱美訳 p.169 ハヤカワ文庫FT
「何物も永遠には続かず、故に心を投げ出すほど価値のあるものはない」と述べたハガードが作中で「いつも年老いている」ことと、森の奥に住むドリーミーたちの王が「ほとんどのものより年を取ってる」と説明される意味を思う。
年齢や性別や種族を超越して存在できる。そうジーニアが言うドリーミー達の世界は素晴らしそうなのに、ここでの彼らがそのように描かれていないのはなぜか……。
高校時代の友人と一緒に、久しぶりに元担任の恩師にご挨拶しに行こう、という話になった。
恩師が個展を開催しているので事前に連絡して、在廊されている時間帯に顔を見せますねー、と話を通して。
その日は休日だったから昼間はついでにご飯を食べたり散策したりして遊び、帰りがてら夕方に赴くつもりだったのが、なんと「調子に乗ってお昼ご飯を食べ過ぎて体調不良」になり、結局個展のギャラリーまで辿り着くことができなかった。
友人ともども気分が悪すぎて家に帰るはめになった。
ものすごく愚かなエピソードを積み重ねてしまったと思っている!!
食べ過ぎで体調不良、って、本当になんだろう。あんまり聞いたことないよ。あまりにも愚か……。なぜ胃袋の限界を見極められない……?
ある程度までは際限なく食べてても全然大丈夫なのが、どこかのラインを超えた時点で一気に無理な感じに襲われる。なんか時間差で来る。
いくら心がおでかけとご飯を楽しみにしていたからといって、体の方がそれについてきてくれるとは限らないん、だね(当然)
昔の写真。
英国湖水地方のクロマック湖、またその双子(氷河湖の成り立ちからいえばそう……かな? 面積が異なるので、印象は兄弟?)のバターミア湖は18世紀末、画家ターナーが描いていた大きな大きな水たまり。
両者を分かつようにある谷間の陸地には、小さな「ブリッジホテル」が建つ。
砂利道の端にロープを引いただけの駐車場に友人の車が止められ、ほぼ助手席で寝ていただけの私も外に出て、ブリッジホテルの横をぶらぶら歩いていたら、近くの家から犬が登場した。
見たことのない種類で、まるでモップのような粗めの毛並みと、目の周りから顔の側面にかけてだけがクリーム色になっているのが忘れられない特徴だった。
耳が蝶々か、角度によっては触覚を思わせる形をしている。
うす茶色と灰色の混ざった鼻は栗と見紛う。柔らかく煮て、甘く味をつけた栗。マロングラッセ。そーっと触りたいけれど、野外では動物には触らないよう幼少期から教えられていた。
首輪はしていない。でも、民家の塀の内側から出てきてこちらに近寄ってきた犬。話しかけて、しばらくしたら早々に別の場所に行ってしまった。
この道はよく動物が通るらしい。帰りに、群れからはぐれてしまったのか、体に識別の印がついた羊を2匹見たから。きっと後で回収されたのだろう。
基本オタクだから……という言い方が適当であるとは全然思わないんですが、まあ基本オタクなので、生きている間にものすごく気に入った物語とか登場人物などに出会ってしまうと、同じものを胸に抱いて何カ月も何年も継続して考えているようなことが少なくない(一応熱しやすく冷めやすい人間ではあるはずなのに稀に沼に落ちちゃうんですね)
それで今は先月読み終わった長編『イルスの竪琴』の感想とか、まだ全然考えをまとめきれてなくて再読もやめられず、「あの部分の文章表現がめっちゃ良かった……!」とか「改めてみると誰かの心情がこういうところからも読み取れて、やばい」とかをひたすら書き出しているんだけど、所謂何か見たり読んだりするのが好きな人の中でもそういうタイプと別にそうではないタイプがいる気がする。
だから趣味つながりでも、時によっては「えっ、こ、この人まだ同じ話してる……この前もうなんか喋ってなかったっけ?」と訝しがられてる場合もあるんだろうな~と。
だからどう、という話ではなくて今なんかぼんやり思ってた。
スーパー多読で読むのが早い人達、いつも読了したタイトルと簡潔な感想を残してどんどん新しい作品に手を伸ばしているが(すごいよね)私は味がなくなるまで同じスルメをしゃぶっていることが多いなぁみたいな。そして味がなくならない。
ピーター・S・ビーグル〈最後のユニコーン〉鏡明訳、読了
本を開いている間ずっと、ハガード王のことを考えていた。
マキリップの〈妖女サイベルの呼び声〉を読んでドリード王に延々と思いを馳せていたみたいに。
あーあ、また「何かを信じられなくなった王様」のこと考えてるよ、この人……って自分に対して呆れていたら、この〈最後のユニコーン〉のあとがきで乾石智子氏が実際にサイベルの作品名を出したものだから、ちょっと面白かった。同じ文庫から出ていて絶版なんだけど復刊しないかな。閑話休題。
『だが、わしにはわかっていたのだ、自分の心を投げ出すほどに価値のあるものはないことを。なぜなら、何物も永遠には続かぬのだから。そしてわしは正しかった。そこで、わしはいつも年老いているのだ』
『それでも、自分のユニコーンたちを見るたびに、いつもあの森の朝のように感じる』
P・S・ビーグル〈最後のユニコーン〉(2023) 鏡明訳 p.296-297 ハヤカワ文庫FT
今の私の内側には作品について語れる言葉が一語としてなくて、だからただ、続編という位置づけで存在している〈二つの心臓〉と〈スーズ〉に手を伸ばす……。
続きがあるのなら読まなければならない。
ユニコーンの貝殻色をした角が視界の端にある。
なんか今日……すごく、暑い……!?
食器、具体的にどんなものが好きなのかと聞かれても、あまりはっきりとは答えられない。ただティーカップなどで色々なメーカーの製品が棚一面にバーッと並んでいたとして、特に柄が素敵かも……と感じ自分が手に取る確率が高いのは、ノリタケみたいだった。
あ、これ、良いなぁと思って裏側を見るとだいたいその名前が書いてある。
有名すぎる老舗。
名古屋で洋館巡りをしたり、明治期の陶製業について追っていたりすると、ナルミと並んで必ず行き当たる存在。普段からなにげなく触れることができるのは所謂「オールド」ではない、第二次世界大戦以後のブランドから世に出たもの。
そういえば2月に九州、福岡をぶらついていた際に小倉の土地とTOTO(東洋陶器)の関係を知ったのだけれど、調べたらノリタケもTOTOも森村グループというくくりに入っているらしい。
全然詳しくないので、そうなんだ、と思う。
トレーを買ったのと同じ店で中古のティーカップをぼんやり探していて発見したのが、ノリタケの骨灰磁器(ボーンチャイナ)から、現在は廃盤になっている「カリフパレス」のカップ&ソーサーセット。
口径が広く、いれたての熱いお茶を飲むのに適した、ごく浅いつくり。薄く、唇や舌に感じる表面のなめらかさ。忙しくない夜などに出してきたい。
モーニングセットの定番、ゆで卵とトーストと、珈琲か紅茶の注がれたカップ。
それらが1枚の重たいトレーの上に乗っていて、なおかつトレー自体が銀色をしている金属(そして願わくは、左右に持ち手が付いているもの!)だと、何か特別なはからいを受けているような気分になる。そういう話を前にしていた。
中古品を扱うお店の生活雑貨コーナーで見つけたのは、そういうトレーの特徴を部分的に持ちつつ、でも幾分かサイズが小さくなったもの。10×20cm程度の。
ところどころメッキが剥げており、裏側にも経年の使用感が蓄積されている感じに惹かれ、値札を見たら「350円」と書かれていた。よし、買いましょう、と思って手に取り、さらによく値札を見ると、5枚セットで350円なのが分かった。
5個……?
気に入ったものを廉価で手に入れられるのは嬉しいけれど、同じものを5枚もいるかと聞かれたら、別にいらない。でもバラ売りはしていないみたいだった。そしてこれ自体、欲しいことには欲しかった。
なのでとりあえず5枚を購入して帰り、残りの2、3枚は友達に贈れば良いではないかと考えている。古いものやこういう雰囲気のものが好きな子はわりといる。
机に置いて眺めるほどにやっぱり好きで、七尾製菓のフレンチパピロを並べてみた。
自販機やコンビニで買えるペットボトルのお茶製品としては、これがわりと好きだった。
タリーズ×伊藤園の……
今年の夏は外で見かけたら買っていたような。
【TULLY’S &TEA LEMON TEA &モヒート】
https://www.itoen.jp/products/47231/
甘さのあるレモンティーなんですが、品名からも察せられる通り後味がミントで、スッと抜ける爽やかさがなかなか癖になる味。
ちょっと散歩中に糖分ほしいなぁという気分のときに重宝してた記憶。
紅茶に最も合う食べ物、ポテトチップスだと思っていて(ちなみにこれを友達に言うと「すごくわかる」と「ん~好みは人それぞれだからね(微妙な顔)」に反応が二分される)、ゆえに横浜ホテルニューグランドの通常アフタヌーンティーで『バスケットに入ったポテチ』が一緒に提供されるのとても好きだった。
最後に食べたのもう数年前だけど、今でも出してくれるのかな?
サイトのメニュー表記を見るとポテチは書かれていない。
https://www.hotel-newgrand.co.jp/menu/afternoontea_n/
仮になくなってたら悲しいなぁ
来年のひとり旅、どうしようかなと悩んだ末、2月に「流氷観光砕氷船おーろら」に乗ってみようかなと。
1月の諸々はまだ未定。
あら、今年の夏にも網走行ってなかったかな?
という感じだけど、また足を運びたくなった。これまでに流氷を一度も直接目にしたことがない。7月にオホーツク流氷館で見た映像と、聞いた音だけ。
もちろん流氷の状態によって、本当に当日現地で見られるかどうかは運次第なのですが(流氷なしの場合は料金割引で船が海上回遊する)まぁその結果も楽しみということで!
これまでに「わりと寒い場所」といえば真冬のイギリス北部と真冬の函館にはいたことがある、けど、2月の網走は多分私が訪れた中でもいっちばん寒い。絶対にやばい。
頑張って生き残る。
夏に撮ったオホーツク海の写真(添付)と、冬の様子を比べてみることにする。
アザラシ……会いたいな……。
11月1日は #紅茶の日 なのね
各お茶屋さんからメールが来て知りました
【大黒屋光太夫とエカテリーナ2世|日東紅茶】
https://www.nittoh-tea.com/enjoy/knowledge/knowledge05.html
18世紀末期に遭難・漂着した人物のエピソードに基づいて定められたみたいだけど、時期的にもかなり都合が良いな、と思う。
この季節は特に紅茶がおいしい……。
今日もラ・テイエールさんの秋冬限定「横浜元町マロン&パンプキン」をミルクティーにしました。珍しくお砂糖増し増しで。
ちなみに横浜にも昨年プラネタリアが開館していたとはまっっったく知らなかった横浜市民で……(そもそもエンターテイメント系のプラネタリウム番組を扱う施設に元々あんまり食指が動かず、いつも素朴な渋谷のコスモプラネタリウム『今夜の星めぐり』600円コースに行ってしまう)
でも地元なのだし1度くらいは覗いてみよう、と一念発起し、退勤後に訪れてました。
何を観賞しに行ってたのかというと『R18オトナ♡プラネタリウム 2回戦 -古代ギリシャのハレンチナイト-』というもの。藤村シシン氏が監修・解説をしているやつで、声優の森川智之氏が出演しているため、特にファンの人はそれらの要素も楽しいのでは。
私はもっとえげつない&詳細な古代ギリシャ性活事情(性活事情???)が聞けるかなーと期待して行ったんですけど、実際けっこうマイルドな感じで、ライトな層でも観賞が苦しくならない程度に題材を選んでいるのかなと思った。
あんまり尖ったものを放映してお客さんが来ないのも困るだろうし、できるだけ幅広い観客向けに作ると、こういうちょっと薄めの味になるだろうなとも。
コンテンツ作りって難しいね……。
とりあえず、ゼウスに対する〈風評被害〉の大きさはよーく理解できました。
最高神でいるのも楽じゃないのだ。
コニカミノルタのプラネタリアで売られているオリジナルフレーバー紅茶 『STARRY TOKYO』、買ってみて開けたらティーバッグの持ち手にLUPICIAの文字があって、へールピシアとのコラボ商品だったんだな~と思うなど。
ラズベリー&スパークリングワインの香りで「都会の夜」をイメージしたものだそうで、目を凝らすと銀色のアラザンが茶葉にまざっている。
甘酸っぱくて爽やかな感じ。おいしい。
夏~秋にかけて味わいたい印象があったので、あんまり寒くなる前に飲み切ってしまいたい。でも、ミルクとか入れたらどんな風に変化するかな……。
オンラインショップでも買えるぽい。
https://planetaria.theshop.jp/items/35718620
10月31日に始まり、
10月31日に終わる。
そんな数ある物語の中でも、この本はいかがでしょう。
「これだ――あたしがおまえの歳に、これを知ってりゃねえ――
頃もよきかな、万聖節前夜(ハロウィーン)
仙境の民の繰り出す夜、
まことの愛を得る者は、
マイルズ十字で待つがよい。
だからそうするんだよ。はっきりしたもんだ」
「ええっ? 駅へ行くの?」
「他にあるかい?」
(ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『九年目の魔法 (創元推理文庫)』 Kindle版 位置No.5492-5496)
英国の少女ポーリィは10歳の頃、町外れの大きなお屋敷・ハンズドン館で行われていた「お葬式」にどういうわけか迷い込んでしまった。
折しもその日は万聖節前夜。
なぜ、ハロウィーンにお葬式?
おばあちゃんは、まともな家の人のすることではない、と言う。そういえばそこで、男の人「リンさん」に会ったような気もする。
でも大学生になるまで、全てを忘れていた。
加えて、その記憶に重なるようにして、現在の自分が憶えている昔の記憶もきちんとあるのだ。まるで、思い出が改竄されているかのように。
NOW HERE(今、ここ)
と、
NOWHERE(どこでもない)
を行き来して綴られる、新たな英雄の物語。