新しいものを表示

樹木の上の方に寄生するヤドリギ、まるで鳥の巣のような草の球体のような、不思議な姿をしているのは知っているんだけど、友達がこれのことを毎度「あの玉」と呼ぶのが面白くって仕方ない。
何回ヤドリギだよって訂正しても「玉」と言う。

確かに丸いけどそんな「くす玉」みたいな名前で表現しなくたっていいのに……!
多分聞いたヤドリギも泣いてるよ(泣いてはいないと思うが)

最近利用した異なる2件のレストランとティールームにて、同じウェッジウッドのワイルドストロベリー(ティーカップ)がテーブルに置かれ、そういえばこれってこの社の代表的な製品なのだよな~と思い出した。

個人的にウェッジウッドといえば、あのカメオっぽい意匠が特徴的なジャスパーウェア……が印象に刻まれており、今まであまり強い関心自体抱いてこなかったから、なんとなくV&Aのディレクターが喋っている動画を検索して見てみた。
面白い内容だった。

初代ジョサイア・ウェッジウッドが生まれたのは英国ストーク=オン=トレント。
製作と素材の実験に没頭する職人気質な感じがありつつ、陶製界で多くの企業が倒産しているのを幼少期から目撃してきた経験から、マーケティングとマス・プロダクションに意識を向けていた。初期の頃から大衆を視野に入れた売り出し方を模索。
さらに商品が世に溢れかえると、また新しいデザインを考え出したり、今度は王室のお墨付きを得て、中間市場で覇権を握ったりすることも考えた。

気になったのは彼の奴隷廃止運動への関わり方かな?
奴隷を売買する邪悪な三角貿易が砂糖を扱っていたことから、紅茶と並んでティーセットも売り上げを伸ばし、おかげでウェッジウッドも富を築けたのだが、色々と思うところがあったよう。

いわゆる「クラス替え」の存在しなかった高校専門コースの3年間、私達生徒を受け持ってくれていた元担任のおじいちゃん恩師がいて、その家へとまた遊びに行く。
卒業してから定期的に招いてもらっている。

おじいちゃん恩師は今、理由があってひとりで生活しているので、こちらも様子を見に行きたいと考える瞬間が普段から多い。

私達は在学中、あまりにもエネルギーが有り余っていた、ちょっぴり元気すぎる(オブラートに包んだ表現です)生徒だった。
この先生をして「お前らはリトル・デビルども」と言わしめるくらいには沢山のご苦労とご迷惑をかけたのだけれど……
こうして卒業後約10年が経過しても、単純に存在を忘れずにいてくれていることが皆、嬉しい。

今後も相互に困ったことがあったら助け合える関係が築けるよう、日頃努力しているので、これもまた友達同士で協力して暮らして行こうとする試みの延長線上にあるなとも思う。
遠い場所に住んでいる身内を思うのに似た、けれど確かに他人である存在との間に見出している何か。
それに呼び方、名前はない。

スレッドを表示

図書館で借りた本

(1)「明治物売図聚」三谷一馬

江戸から明治にかけて、どのような商売を生業(もしくは季節労働や副業)としていた人たちがいたのか簡潔に紹介され、絵も添えられているのが参考になる。

表紙に描かれた蝙蝠傘を持つ人の仕事は「千金丹(薬の一種)売り」。夏にのみ、町に姿をあらわす。

また「人形使い」の項では小野不由美の小説《東亰異聞》を思い出した。
明治の人形使いには一般に女性が多かったみたいです(だから、作品に登場する人形使いが男であるのは意外な要素として描かれる)。

(2)「二壜の調味料」ダンセイニ
小林晋訳

ファンタジー作品で特に名を馳せた著者だけど、なんとなく目についたものを借りたら推理系の、また昔懐かしな趣のある短編集だった。
スメザーズ&リンリーの2人組が活躍する話にはナムヌモ、っていう「肉と塩味料理専門」の調味料が出てくるんですが、どんな種類の肉でもおいしく食べられそうで魅力的。

そう、どんな種類の肉でも……。

読後感がポーの『モルグ街の殺人』に近かった部分は、本当に推理小説の原型というか、これって当時ならとても新しいアイデアだったのだろうなと各要素から伝わってくるところ。
今では使い古されているあれこれも多いのでむしろ新鮮で。

婚姻制度などの社会契約におもねったり、膝を折ったりすることなく、少しずつ地道に培ってきた全国、各分野の友達と「互いにひとり同士」で協力して生きていくには一体どうしたらいいかな?
という話を最近よく外でする。

これに関しては何か特別な行動を起こす……というよりか、私達が今まで、常にではなくときどき一緒になって考えながら生活のあらゆる場面で普通に助け合ってきたようなやり方を、今後も続けてみることに意味があると感じる瞬間もある。
ひとり同士の生活を可能なかぎり続けて、どこまでの範囲でやれるのか試してみる、みたいな。
実験、また実践として。

友人たちと、相当に遠い家族のような関係を結んで今後も生活していくヴィジョンは、自分にとってはごく自然で当たり前の感覚だったので、たとえば異性同性無性を問わず、結婚こそが素晴らしいものだという社会の側の価値観にここまで激しく弾かれるとは予測していなかったというか、衝撃的だった。
「外の世界」は「内側の世界」よりもっと柔軟な場所なのだろう、と頭のどこかで思って10代を過ごしてきたので……。

ともあれ最近、形骸化した社会契約と自分達との相性の悪さがことさら浮き彫りになったので、友人と協力して暮らしている人のお話をオンラインでも少しずつ聞いていきたい気がします。

さらさらした雪が降る山の上にしばらくいて、吹く風が恐ろしく冷たいけれどその他は過ごしやすく快適だ~と安らいでいたら、平地の世界に帰ってきてすぐ39度の高熱が出た……。
それも病院に行って薬を飲み、1日寝ていたらあっという間に下がってしまった。

幼少期から体調を崩しやすく、頻繁に小児科のお世話になっていたので、成人して昔よりは身体が丈夫になってからも発熱に「懐かしさ」のようなものを感じる。
親しみ、と呼ぶほどではなく、できるだけ忌避したい程度には嫌なもの……でも、自分にとても近いと判断できる何か。
頭痛に筋肉痛にのどの痛み、また寒くて震えていたかと思ったら今度は熱の塊が内臓の奥でごろごろして目も虚ろになるあの状態、そう、風邪をひくって確かにこういうことだったと鮮明に思い出される。

起き上がるのにも寝返りを打つのにも低い呻き声を上げずにはいられない、のたうち回るほどの発熱の苦しみは、だから懐かしい。

こういう状態にある時の、ほとんど唯一といってよい利点は、果物が世界で一番おいしいと感じられることかも。
特に、冷やしたキウイやモモ。
もう素晴らしくおいしい。熱を出していると。
それらが何にも勝るごちそうだと実感できるのは、私にとっては良くない状態の中に見出せる、数少ない良いことだった。

そして、宿泊施設内の売店で取り扱われており、各部屋の浴室でも利用可能だった入浴剤。花びら形。
スヌーカーの後これを買ってみて「じゃあ今度は薔薇の泡風呂で遊ぼう!」などと意気込んでいたのに、なんか内容量が想像以上に少なくて、ものすごく寂しい絵面になった浴槽を見てください。

頑張って花弁を全部千切って散らしたのに、枚数、これだけ……!?

いやきちんと泡も立ったし良い香りもしたので商品には何も問題ないんですけど、ただただ思っていたよりもはるかに量が少なく、貴族になりそこねました。
3個くらい買おう。

スレッドを表示

ほとんど無経験に近いド素人の友達同士で「スヌーカー(ビリヤードのプレイ形態の一種)の1ゲームを最後まで終わらせないと出られない部屋」とか言いながら遊んでいたのですが、相互にときどき偶然に赤い球を落とせるだけでまったく先に進まず、普通に時間切れになった。
そして経験値に差がないのに私より友達の方が全然上手でした。悲哀。
また挑戦したい!

錦糸町に用事があったついで、あるきっかけで出会って以来、とても仲良くしてくださっている優しい店主ママの喫茶店へ足を運ぶ。
墨田区、東駒形。
先代のお母様から継がれて、結構長く続いているところ。

もとはスクエニが出している某ゲームのロケ地になったというので、私が興味を持って訪れたのが最初。
置かれている椅子の形がびっくりするくらい魅力的だ、と思っていたのだけれど、話を聞けば聞くほどに他の建材や意匠のこだわりもどんどん伺えて、建物好きでもあった自分はすっかりこの喫茶店の虜になってしまったのだった。

私のような素性もよくわからない一見の小娘が、いきなり「ゲームの背景に描かれていたこのお店の椅子が……とても気になって……」とひとりで押しかけても親切にしてくれたのが嬉しくて、何度も通っている。
行くたびに増えていくパフェの上のバナナは、はじめは3つだった。
今回は7つも乗せてくれた。

季節ごとのご挨拶がメールで届くのも定期的な楽しみなのである。

連日忙しくて半目になってますが今日もヌワラエリヤ(ペドロ茶園)いれました。
口当たり軽めのクッキーと共に~。

[参照]

物語の中にしか存在できない海の深いところと、浅いところの水を汲んできて、きっかり半分ずつ混ぜ合わせ作られたソーダ水。

金沢八景の駅を出て、シーサイドラインの高架橋を辿るようにして進み始めると、少しして頭上を走る列車に追い越される。
姿が見えなくても、音がするので分かる。

右手側に住宅街、そして左手側には小型の船舶が横付けされた岸。
陸地と海との境をなぞるような位置を通る高架橋の軌跡は、長く伸びて……やがて大きく海の側に逸れた。並ぶ太い柱は視界の外に続いてゆき、野島公園や八景島がその先にはある。

横から風を受けて歩道を道なりに歩き続ける。

しばらくしたらコーヒーと書かれた旗がはためいているのが見えてくるだろう。
不思議な形にまるく切り抜かれた白い外壁から奥まった場所、水色の扉には営業中の札がかかっていて、取手を引くと想像以上に軽い感触でベルの音とともに開かれた。


chinorandom.com/entry/2023/12/

繁忙太郎(ルビ:はんぼう・たろう)って看板を首から下げてた方が良いんじゃない? ってくらい今月繁忙期で忙しくて、不定休&シフト制の会社なんですけど、非出勤日でもたまに在宅で仕事してる!!
簡単な絵の依頼を受けたり、取材して何か書いたり、いろいろです。

で夕飯食べたらやっとお茶いれて本読むとか、深夜のタイムライン眺めるとかしてリラックスし寝る……って感じ。
でも業務内容は別に苦ではないのと、一緒に働いている人たちのことも嫌いじゃないので、そのへんはまぁ全然大丈夫なのですが。
ただ「空白」がなくてめっちゃフルスロットルで動いてるなという実感だけはわりと積もってる。ぽっかり空いた自由時間が好きなのでそれは多めに欲しい。欲しいよー。

今週、都内へ音楽を聴きに行く予定があって、さらにその次の日から友達と福島の雪山で1泊、また帰りの新幹線を降りたらそのまま忘年会の会場(横浜)まで向かうことになってるんですけど、自分でも笑ってる。しかも次の日も朝から出勤だし。
動くのが得意な人はこういうの普通にやっていそう……しかし基本出不精で体力もない私がこんなに外に出てるのは、激レアですよ。滅多に引けないSSRカード。

🌼だからといって特にどうもしない話🌼

東京都・江東区
友人のご両親が経営されていたレストランが12月中で閉店するというので、今回足を運び、それが最後の利用になった。
約20年。庶民的なイタリアンを提供するお店として地域に愛されてきた場所だった。

高校時代の同級生と5人くらいで連れ立って行ったので、沢山料理を注文して、どれも少しずつ楽しめたのが良かったな。
複数人でご飯を食べる最大の利点、ってそれかもしれない。

書き出すと幸福感で頭がくらくらしてくる……
ハウスワインの赤&白から始めて、生ハムサラダ、ポテトサラダ、野菜のグリル、エビのソテー、ホタテのカルパッチョ、こだわりボロネーゼのピザ、タリアータ、アラビアータ、ペンネパスタ、包み焼きハンバーグ。
おわりにパンナコッタと紅茶!
紅茶はおいしいアールグレイだった。

閉店の主な理由は、健康上の懸念なのだと伺って。

しばらくしたらレストランがあったこの場所にはまた異なる施設か店舗が入る。
オーナーとミュージカル好きのマダムからそのあたりの話も聞きつつ、私は「もしも永遠の命が獲得できたら永遠にお店続けてくださいますか?」とかわけのわからないことを尋ねていた。
記憶に残る飲食店があるというのは良いものだと思う。しみじみ。

セイロンのルフナ紅茶
パニルカンダ茶園 OP1

秋の森! って感じのお茶だった。
かさかさした枯葉を踏んで歩く晴れた日の、空気の香り。
渋くなく、ごくわずかな苦味も全体のまろやかさ(黒糖に似た……)に内包されている。いれたて熱々の状態から少し冷ますとコクが顕著にあらわれるような気がする。
継続して何度も飲んでみないと分からなかった。

レンチンであたため簡単な市販のスコーンと共に🍂

友達に「屋内で服を着るのが嫌い」な半裸族の子がおり、あと「あまり布を纏いたくないから季節は夏がいい」という子もいて、私はむしろガッチリ服を着ている状態が好き&秋と冬が好きなので話を聞くたび感覚の違いが面白く思われる。

この人達と一緒に、パリとその周辺を旅行したことがあった。

おおむね楽しくやっていたんだけれど、当時の私は今よりずっと脅迫的な不安にすぐ苛まれる性格で、現地のよくない人に嫌なことを言われたせいで、帰国前日にだいぶ落ち込んで泣いていた。
そうしたら「食べるもの買ってきてあげるから部屋にいな!」と言われたので、アパートみたいなホテルの部屋の一室で引き続き泣いていたところ、マクドナルドの袋を手にした2人が帰ってきて、しかも喧嘩していた。

なんで喧嘩しているのか聞いたら、店頭でナゲットのソースをバーベキューソースにするかチャイニーズソースにするかで、熾烈な争いが勃発したらしい。
その後「服を着ていない方が落ち着く」2人はほぼ下着姿でくつろぎ、私はベッドでバーガーとナゲットをモソモソ食べていた。
ほぼ下着の女達といじけて泣いている女がホテルの一室でマックを食うよくわからない光景。

この人達とは今でも仲良くしている。
それにしても変な思い出だよねぇ……。それが好きなんだけど。

私、幼少期に預けられていた祖母の家にあるキジのはく製を、クジャクのはく製だと長らく思い込んでいて。
こちらのトゥート見て、自分以外の子供(人間)も同じ勘違いするんだ……となんだか新鮮に思いました。>BT

キジとクジャクって実際ぜんぜん似ていないんですけどね。
毛の艶とか、角度によって少しずつ色が変わっていく感じが「想像の中のクジャク」と重なって、そう思い込んでいたのかな……。

千野 さんがブースト

こないだは、井の頭動物園でぼけーっとしてたら、キジ舎の前で「おー、くじゃくだぞ」「わーいくじゃくだー」と盛り上がる親子がいて、やっぱり何も言えず煮え切らない気分でした。仲よしファミリーが楽しくやってるとこに、子も連れずに動物園に来る怪しい中年が、いやそれキジですよ、なんて言えないっすよ。

しかし、動物園は鳥インフル厳戒態勢でした。難儀やね。

あとは以下のやり取りにもニヤリとした。
書物に、物語に、一度でも夢中になった経験があるなら思わず微笑んでしまう言葉ではないだろうか。

"(レイドリーがネペンテスに)信じがたいという口調で言う。「そんなに夢中になっているっていうのかい? 何千年も前に塵に還った相手なのに」
「好きになる対象は選べないもの」"
(マキリップ〈茨文字の魔法〉(2009) 原島文世訳 p.82-83 創元推理文庫)

そう、好きで、読むことによって会いたくて、だから書を手に取って開く。

ページから眼で文字をひとつひとつ拾って飲みこみ、噛み砕き、頭の中である一幅の画を織り上げているあいだ……実際の身体の周囲にある音も、色も、暑さも寒さすらも消え失せる瞬間が確かに訪れる。
私の場合は電車も乗り過ごす。
それを称して「本には魔力が宿る」と比喩されるのだが、今回ネペンテスが捕らえられた魔力というのは、単なる比喩とは種類を異にする特定の魔法だった。

書記組以外のキャラクターにも魅力が多く、若き気弱そうな女王テッサラと、その側近の魔術師ヴィヴェイの描写なんかも良かったな。

スレッドを表示

崖に建つ王宮と、その地下に築かれた図書館。

レイン十二邦の王立図書館に勤める書記レイドリーは、同僚のネペンテスが謎の書物を構成する〈茨文字〉の翻訳に異常なほど熱中する様子を眺め、愚痴のように零した。
それを受けて空の学院の生徒、ボーンが答える。

"「亡霊に心を奪われてる。誰だってあくびが出てくるような歴史の断片にだぞ。あれを読んでいるとき、ほかのものが話しかけて、こっちには見えもしなければ聞こえもしないものを伝えてるんだ」
(中略)
「それが魔法の始まりなんだ。想像力を自由に働かせて、あとを追ってみる」"
(マキリップ〈茨文字の魔法〉(2009) 原島文世訳 p.178 創元推理文庫)

……終盤の激情・苦痛・渇望など感情全般の描き方が美しく、その点で同著者の《妖女サイベルの呼び声》に並ぶ作品だと思った。
面白かったし、私の好み。

一番良かった部分に言及しようと思うとすべてがネタバレになってしまうのが惜しくてしょうがない。
ただ、古代の世界でそのようにしか生きられなかったある人物が、これまでには考えられなかった選択をする部分……全てを自分以外に捧げてきた者が初めて己のために願ったことが何か、感慨深かったとだけ。

chinorandom.com/entry/2023/12/

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。