婚姻制度などの社会契約におもねったり、膝を折ったりすることなく、少しずつ地道に培ってきた全国、各分野の友達と「互いにひとり同士」で協力して生きていくには一体どうしたらいいかな?
という話を最近よく外でする。

これに関しては何か特別な行動を起こす……というよりか、私達が今まで、常にではなくときどき一緒になって考えながら生活のあらゆる場面で普通に助け合ってきたようなやり方を、今後も続けてみることに意味があると感じる瞬間もある。
ひとり同士の生活を可能なかぎり続けて、どこまでの範囲でやれるのか試してみる、みたいな。
実験、また実践として。

友人たちと、相当に遠い家族のような関係を結んで今後も生活していくヴィジョンは、自分にとってはごく自然で当たり前の感覚だったので、たとえば異性同性無性を問わず、結婚こそが素晴らしいものだという社会の側の価値観にここまで激しく弾かれるとは予測していなかったというか、衝撃的だった。
「外の世界」は「内側の世界」よりもっと柔軟な場所なのだろう、と頭のどこかで思って10代を過ごしてきたので……。

ともあれ最近、形骸化した社会契約と自分達との相性の悪さがことさら浮き彫りになったので、友人と協力して暮らしている人のお話をオンラインでも少しずつ聞いていきたい気がします。

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いわゆる「クラス替え」の存在しなかった高校専門コースの3年間、私達生徒を受け持ってくれていた元担任のおじいちゃん恩師がいて、その家へとまた遊びに行く。
卒業してから定期的に招いてもらっている。

おじいちゃん恩師は今、理由があってひとりで生活しているので、こちらも様子を見に行きたいと考える瞬間が普段から多い。

私達は在学中、あまりにもエネルギーが有り余っていた、ちょっぴり元気すぎる(オブラートに包んだ表現です)生徒だった。
この先生をして「お前らはリトル・デビルども」と言わしめるくらいには沢山のご苦労とご迷惑をかけたのだけれど……
こうして卒業後約10年が経過しても、単純に存在を忘れずにいてくれていることが皆、嬉しい。

今後も相互に困ったことがあったら助け合える関係が築けるよう、日頃努力しているので、これもまた友達同士で協力して暮らして行こうとする試みの延長線上にあるなとも思う。
遠い場所に住んでいる身内を思うのに似た、けれど確かに他人である存在との間に見出している何か。
それに呼び方、名前はない。

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