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11月1日は なのね
各お茶屋さんからメールが来て知りました

【大黒屋光太夫とエカテリーナ2世|日東紅茶】
nittoh-tea.com/enjoy/knowledge

18世紀末期に遭難・漂着した人物のエピソードに基づいて定められたみたいだけど、時期的にもかなり都合が良いな、と思う。
この季節は特に紅茶がおいしい……。
今日もラ・テイエールさんの秋冬限定「横浜元町マロン&パンプキン」をミルクティーにしました。珍しくお砂糖増し増しで。

ちなみに横浜にも昨年プラネタリアが開館していたとはまっっったく知らなかった横浜市民で……(そもそもエンターテイメント系のプラネタリウム番組を扱う施設に元々あんまり食指が動かず、いつも素朴な渋谷のコスモプラネタリウム『今夜の星めぐり』600円コースに行ってしまう)

でも地元なのだし1度くらいは覗いてみよう、と一念発起し、退勤後に訪れてました。
何を観賞しに行ってたのかというと『R18オトナ♡プラネタリウム 2回戦 -古代ギリシャのハレンチナイト-』というもの。藤村シシン氏が監修・解説をしているやつで、声優の森川智之氏が出演しているため、特にファンの人はそれらの要素も楽しいのでは。

私はもっとえげつない&詳細な古代ギリシャ性活事情(性活事情???)が聞けるかなーと期待して行ったんですけど、実際けっこうマイルドな感じで、ライトな層でも観賞が苦しくならない程度に題材を選んでいるのかなと思った。
あんまり尖ったものを放映してお客さんが来ないのも困るだろうし、できるだけ幅広い観客向けに作ると、こういうちょっと薄めの味になるだろうなとも。
コンテンツ作りって難しいね……。

とりあえず、ゼウスに対する〈風評被害〉の大きさはよーく理解できました。
最高神でいるのも楽じゃないのだ。

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コニカミノルタのプラネタリアで売られているオリジナルフレーバー紅茶 『STARRY TOKYO』、買ってみて開けたらティーバッグの持ち手にLUPICIAの文字があって、へールピシアとのコラボ商品だったんだな~と思うなど。

ラズベリー&スパークリングワインの香りで「都会の夜」をイメージしたものだそうで、目を凝らすと銀色のアラザンが茶葉にまざっている。
甘酸っぱくて爽やかな感じ。おいしい。
夏~秋にかけて味わいたい印象があったので、あんまり寒くなる前に飲み切ってしまいたい。でも、ミルクとか入れたらどんな風に変化するかな……。

オンラインショップでも買えるぽい。
planetaria.theshop.jp/items/35

10月31日に始まり、
10月31日に終わる。
そんな数ある物語の中でも、この本はいかがでしょう。

「これだ――あたしがおまえの歳に、これを知ってりゃねえ――

頃もよきかな、万聖節前夜(ハロウィーン)
仙境の民の繰り出す夜、
まことの愛を得る者は、
マイルズ十字で待つがよい。

だからそうするんだよ。はっきりしたもんだ」
「ええっ? 駅へ行くの?」
「他にあるかい?」
(ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『九年目の魔法 (創元推理文庫)』 Kindle版 位置No.5492-5496)

英国の少女ポーリィは10歳の頃、町外れの大きなお屋敷・ハンズドン館で行われていた「お葬式」にどういうわけか迷い込んでしまった。

折しもその日は万聖節前夜。
なぜ、ハロウィーンにお葬式?
おばあちゃんは、まともな家の人のすることではない、と言う。そういえばそこで、男の人「リンさん」に会ったような気もする。

でも大学生になるまで、全てを忘れていた。
加えて、その記憶に重なるようにして、現在の自分が憶えている昔の記憶もきちんとあるのだ。まるで、思い出が改竄されているかのように。

NOW HERE(今、ここ)
と、
NOWHERE(どこでもない)
を行き来して綴られる、新たな英雄の物語。

東京都にも「琵琶湖」があるらしい。

これは喫茶店の話で、一体どういう由来があるんだろう……と検索してみたら、先代の方が滋賀県出身ということらしかった。
郷土への思いを感じる命名である。
開業当時は乾物屋、それが引き継がれて喫茶店に変身したのが、昭和54年の頃だとか。

ロースハムトーストは多分バターの風味なのか、とても軽やかな感じでおいしくて、癖になる。
ミルクコーヒーにバニラアイスが浮かんだフロートは液体部分に甘さがほとんど無いのが良かった。
甘さを足したければ、シロップがあるので調節できる。

場所は大田区蒲田。
京急線の、梅屋敷駅。

このあたりの地域には何人か友達が住んでいるのに、その実これまであんまり歩いてみる機会がなかったものだから、電車を降りてからずっと周囲を眺めてきょろきょろしていた。
そうやってまわりの様子を観察するのに首や目がいくつもあったら便利そうだけれど、結局そこから得た情報を処理するのは主に脳になるはずなので、例えば眼球がふたつ増えたならその分だけ脳を新たに外付けで追加しないといけないような気がする。

もしもそうなったら移動するのに不便そうだし、皆に怖がられ逃げられてしまいそう。
想像し始めたら、にわかに寂しくなってきてしまった。

10月を愛する10月生まれのアカウントなので……

もうすぐ終わる月の余韻により長く浸るため手に取った本
短編集「十月の旅人」レイ・ブラッドベリ
そして読み終わったので、次に
同じ著者の「10月はたそがれの国」へ。

「十月の旅人」では、最初に収録されている『十月のゲーム』が私は好きだった。

事あるごとに実感するのは、夜や暗闇の中では視覚情報が制限される代わりに、何かまったく別のもの(もはや触覚や嗅覚ですらない、精神的な意味での「輪郭」)が際立ってくる……という意識。
『十月のゲーム』に描かれているのは、わずかに垣間見られる男の内情を除けばほぼそれだけの要素なのだけれど、別に足りないところなどなく、陽が落ちてくる時間帯にぼんやり読みたい一編。

短編の舞台が万聖節前夜である以外にも、この滲み出る邪悪や寂寥と10月(また、秋そのもの)という季節が結び付けられているのはブラッドベリ自身の思索から生まれた糸で、長編「塵よりよみがえり」「何かが道をやってくる」にも見出せた。

ほか、構成や結末が予想できても笑わずにいられないのが『ドゥーダッド』。星新一の短編集に交ざっていてもたぶん私は気が付かない。
「オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットにする」みたいな趣がある。

千野 さんがブースト

夏に香川で飲んだ小豆島オリーブサイダーがあまりにも好きな味で忘れられず、もう箱で買いたいこの頃……
それはそれとして最近の地サイダー(網走&福岡)メモ

・あばしりサイダー(三洋食品)

道の駅「流氷街道網走」に売っていた。
色も味もどちらかというと濃くて、シロップの甘さが強めのはっきりした感じが印象的。今みたいに涼しくなってきてからだといっそう美味しく感じられるかもしれない?
どのあたりに網走要素が取り入れられているのだろう、とラベルを見たら下に「オホーツク海の流氷使用」と書いてあって、へえ~と思う。

ちなみに網走ご当地のサイダーだと今年こういうものも生まれたらしくて↓
【網走産のブドウサイダーを商品化 高等支援学校の生徒が栽培|NHK】
www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20

飲んでみたかったかも。

・あまおうサイダー(友桝飲料)

果汁1%だけど、本物の苺らしさは確かに追求されているような気がする。苺をつぶしたときの汁の絶妙に薄い、軽やかではかない感じというか、酸味が爽やかな甘さ控えめの風味。
案外ショートケーキとかに合うのでは。
炭酸飲料なので舌がじわじわするんだけど、それがちょっと種の粒……っぽいというか、実をかじったときの印象に近くて面白かった。

高松の写真整理してたのですが、この玉藻公園のお堀のところに生息している魚、鯉(コイ)か何かだと思っていたら鯛(タイ)だったの思い出した。

真っ黒い鯛。
見ているだけだと静かでどこにいるのかあまり分からないのが、敷地内の自動販売機でエサを買って水に投げ入れると、想像以上の光景を展開して暴れ出す。しぶきが激しく散る。
全然関心がない私の横で、友達が嬉々として鯛と遊んでいるのを眺めていた。私の友達にはなぜかエサやり体験を楽しむタイプの子が多い(牧場とかでもヤギや羊のエサなどよく買っている)。

しばらくお堀の周囲を巡っていたら、たくさん鯛が集まってくるエリアからだいぶ離れたところに1匹だけで泳いでいる個体がおり、もしかしたら「穴場」でエサの獲得を狙っているのかな……と思った記憶がある。
競争を避けて待っているのかな……。

あとで調べたら、鯛は歯が丈夫なので、かなり幅広い生き物を捕食することができるらしい。
だからといって特にどうもしない話。

千野 さんがブースト

サンライズといえば、少し前に東京~徳島間の移動で長距離フェリーを利用した際、個室に備え付けられた寝具に「サンライズ商会」と記されたものがあった。
枕カバー……だったような気がする。1枚目の写真参照。

これは寝台列車のサンライズと関係があるのかな、と調べてみれば別にそんなこともないらしく、検索結果には同名の会社がいろいろヒットした。

現在、首都圏と四国各所をむすぶ交通機関には飛行機や鉄道などがあり、速さの点で便利だが、もしも興味ある人がいるなら私は「船」もおすすめする。
東京の有明から徳島の沖洲まで、約18時間。
それなりにかかるものの、荒天候時以外なら24時間大浴場が使えるし、個室ならプライベート空間でゴロゴロしていられるし、好きな本を読んだりノートに何か書いたりしているとすぐに到着する。

飲食物の調達方法が「自販機」に限られているのが唯一の難点かもしれない。
とはいえ、それも含めて面白がれるなら確実に楽しい旅になる。

いざ徳島に着いて目的に迷ったら、喫茶店巡りなどどうでしょう。
老舗のお店が多いです。

#旅行 # #フェリー
chinorandom.com/entry/2023/04/

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日本語版シリーズ名「イルスの竪琴」は、元の"the Riddle-Master trilogy"に代わるタイトルだけれど。
最後まで読むと、その文字列を目にするだけでちょっと涙が出てきてしまうからもう、ずるい。

「彼女は盾や腕輪や宝石で飾られた王冠や敷石などから光を剥ぎ取り、床の上にオエンを囲んで光の輪を燃え上がらせた。
(中略)
それから、海そのものが聞こえてきた。
海の音は、彼女が作った幻影に自らを織り込んでいった」
(創元推理文庫『海と炎の娘』(2011) P・A・マキリップ 脇明子訳 p.287)

こうした魔法の描写も、また人物の状態や周囲の情景を語るだけでその心すら描いてしまうようなやり方も、自分の好みに合っていて至福の時間だった。
でもそのせいで精神力を使い果たしたのか頭痛がすごい。
没入のしすぎは体調に影響する。

領国支配者も魔法使いも魅力的。
狼王ハールは、ヴェスト(という動物)に姿を変えることができる。
アイシグのダナンは若い頃、樹になってひと冬を過ごした。
ヘルンのエルリアローダンは特別な「眼」を持っていて、物事の裏側を見通す。

違う世界の物語なので、出てくる「人間」も私達が知る人間とはちょっと違っていそうなのが興味深い。あくまでも作中の世界でそう呼ばれている存在、というか。

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各巻読了後、いったん感じたことを書いてから最終巻に進もうかなと思っていたら、とても途中で休憩を挟むことなどできなくなって一気に駆け抜けてしまった。
何から話せばいいのか……。

『イルスの竪琴』3部作
・星を帯びし者
・海と炎の娘
・風の竪琴弾き
パトリシア・マキリップ著
脇明子訳(創元推理文庫版)

小さな島・ヘドの領主モルゴンは好奇心旺盛な若者で、例外的に〈大学〉と呼ばれる施設への入学を許され、大学都市ケイスナルドで数年間「謎解き」を学んだ。
彼はあるとき、アウムの塔に幽閉されている500歳の幽霊、ペヴンが挑戦者に仕掛ける「謎解き」の勝負に見事勝利する。

それによりアン国の王の娘、レーデルルと結婚する権利を得たモルゴンは、大陸の秩序〈偉大なる者〉に仕える竪琴弾きのデスと共に船で海を渡っていた。
そして、レーデルルはかつて親交を深めたモルゴンと手紙を交わしながら、自らに流れる魔女マディルと邪悪な変身術者の血に対し、苦悩を抱えていた。

次々とモルゴンに降りかかる試練が、一体何のためのものなのか。
誰がその命を狙うのか。

それを追いたくて寝食を忘れた。
私ももう、何百年も長い旅をしてきたような気分にさせられる、苦しくも心震わせる道筋の描写が、全然眠らせてくれない。

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いわゆる作風に大きく影響されるのが前提として、物語を読んでいるとき、昔に比べて「意図的にページをめくる速度を落とす瞬間」が増えたような気がする。

興が乗ってくると何でもいいからどんどん先に進みたくなるのには変わりないのだけれど、たとえばどこかで妙に好きな感じの言葉とか、作中に出てくる物品、あとは風景などに惹かれて、しばらく「それ自体に浸る時間」が多くなったというか。
特に小さい頃はほとんど内容だけに興味を占領されていて、あるひとつの箇所が心に残った、という感想をあまり抱かない子供だったなと振り返る。

今はマキリップの小説『イルスの竪琴』3部作、その第1巻「星を帯びし者」を読み終わったところ。これも途中で幾度となく立ち止まっては、細かい部分を味わっていた。

印象的だったのが、作中世界北方のオスターランドを治める領国支配者、狼王ハールの妻アイアが夫を指して口にした言葉で、彼女は彼の性格の一端を「夜中に銀を土に埋めるひとのように、自分の悲しみを埋めようとする」と表現する。

夜中に銀を土に埋めるひとのように……悲しみを……

この部分を目にしてしばらくページから顔を上げ、静かな真夜中の庭を想像した。
続きを読みたい、と一心不乱に駆ける足が止まって、脇にある城壁の石の亀裂から内側を覗く。

数日前まで風邪をひいて仮死状態になっており、でもそのお陰で……というか家にいてほぼ寝てるしかない時間を過ごしていたので、何か作ろうかなと思い立った結果の記録です

・カマンベールアヒージョ

これの存在を初めて知ったとき「本当にそれでいいの?」と感じたけど調理中も「本当にこれでいいのか?」ってずっと考えていた。なにせオリーブオイルで食材(味はつけるけど……)をグツグツさせる、あとローズマリーを上から散らす以外、もう人間はすることがないのである。
残った油は長ーいバゲットに少しずつ全部吸わせてあとでカリカリに焼いた。

・グラタン

顆粒コンソメって偉大すぎる!!
というのが第一の感想、これは冷蔵庫に謎に残っていたブロックベーコンを細かく刻んで使っちゃうことにした。玉ねぎと芋を炒めて塩胡椒と小麦粉を振り、顆粒コンソメを溶かした牛乳を混ぜ入れて煮るだけで、なんか勝手に味が整ってくれる。人間、ほぼ何もしていない。
上からパン粉にパセリを混ぜて散らした。

・かぼちゃのポタージュ

使ったかぼちゃの実自体が想像以上に甘くて、完成したポタージュも甘いというかちと重たすぎというか、生クリームを使ったんだけど牛乳だけで良かったような気がする。味見しなさい
別途キッシュに使ったかぼちゃの余りで。

いろいろ見てたらこういうものに出会って、使用例の写真、好きだな……と思って眺めてた。
【牛のミルクピッチャー|TEAPOND】
teapond.jp/products/7123

牛さんの口から牛乳がミ~って流れてきているのが良い。
顔にこれといった表情が浮かんでいないのも、あくまでも事務的に(事務的に?)テロテロ吐いている感じで惹かれる。あ、仕事の時間だから牛乳吐くか……ベーッ……みたいな。

口から液体が出てくる像といえば教会のガーゴイルなども真っ先に思い浮かぶ。
何かを模して作られた道具や物品の姿がわりと好きで、たとえば苺をつぶすイチゴスプーンの表面に苺風のレリーフが施されていたり、あとは少し意味合いが違うんだけれど、カニフォーク(カニスプーン)の持ち手に蟹の絵が入っていたりするのとか良いなと思う。

理由は分からない……。

江戸川乱歩の短編「パノラマ島綺譚」に登場する、人見廣介の理想郷……

その島に登場する幻惑的なアヤシイものたちの表象が、どのくらい明治~大正期の万国博覧会(もしくは内国勧業博覧会などの催し)に影響を受けているのか気になって、色々てきとうに選んで読んでいた。

私がなんとなく既視感をおぼえていたのが、小説内にある「水中を泳ぐ女」のイメージ。
これは大正3(1914)年に開催された東京大正博覧会に似たような展示物の記録が残っており、吉見俊也「博覧会の政治学」p.150に

『十八より二十二までの美人を各窟に配置し、(中略)且つ水中に裸体美人を立たしめ、微笑しつつ人を招かしむる』

と記載されていた。近い感じがする。
乱歩の「パノラマ島奇譚」が連載されたのが大正15~昭和2年ごろのことで、こうした内国博や万博が当初の学術的目的から徐々に逸れ、より「演出文化」として消費されるようになっていった過程の様子が小説にも反映されている。

日本で最初に博覧会を紹介したとされる福沢諭吉の言説が紹介される以前のことは、国雄行「博覧会と明治の日本」で詳しく紹介されていた。
「見世物」の文化と、たとえば医学の分野の研究発表の場として機能していた「薬品会」など、博覧会受容の背景がそこにもある。

ラ・テイエールさんのオリジナルフレーバードティー
横浜元町マロン&パンプキン(秋冬限定)

ミルクティーにおすすめ~と書いてあった。でも個人的には「ストレートでご飯のお供に向いた風味」を強く感じて、はじめに抱いていた印象(各種デザートに合いそう)と全然違ったのが面白かった。
なんとなく栗や南瓜の「皮」のかすかに渋い感じも出ている気がする、それこそ栗ごはんとか、煮物とかの料理にぴったりな気が……。
無論こう思うのは自分だけの可能性も大いにある。

あとすごくビスケットの類が欲しくなった。

JR北海道 石北本線・釧網本線
A69 網走駅(Abashiri)

藻琴駅のモコ、北浜駅のキマときて、では網走駅の電略はというと「アハ」らしい。声に出して言いたい。
入場券を買い改札内をうろついて、アハを体験した。
北見へ向かう列車と遠軽へ向かう列車が連結されているのを見た。

駅舎は正面の屋根に近い場所に、白い線にふちどられた赤い文字が3つ並んでいる。
その下の方に角の取れた長方形の窓が6つ並んでいる。
くるっと反対側を向くと、オホーツク・網走と文字が取り付けられた柱があって、その後ろに「ホテルしんばし」が建っていた。

このあたりにいたとき自分が何を考えていたのか思い出せるけれど、思い出した結果、とりわけ強く浮かんでくるものがないので、正しくぼうっとしていたのかもしれないし単に疲れていただけかもしれない。網走監獄を見た日は軽度の熱中症になった。
ただ、周辺の地図を眺めて想像していた風景がある。鉄道車両に駅があって本当に良かったと考えていた。
もしも途中停車駅の存在しない線路を走る1両編成の列車があったら、寂しそう。勇猛果敢な感じもするけれど、だからこそ尚更。

鉄道車両の姿はときどき伝書鳩に似ている。辿る線路があるかどうか、の違いはある。

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他人の手紙を勝手に覗き見る、というのが暴虐非道な行いであるのは間違いないのだが、この世を去って久しい人々が残したそれらを読むのはやめられない。

「それも僕が女に生れていればちよつと青楼に身を沈めて君の学資を助るといふやうな乙な事が出来るのだけれど……それもこの面ではむづかしい。」
(岩波文庫『漱石・子規往復書簡集』(2010) 和田茂樹編)

元より公開される予定のなかった、しかも自分に対して向けられた言葉ですらないものを掘り出してあれこれ言う、そういう趣味の悪さに対する思いは色々ある。
それにしても……。
友達に送られた手紙が、私はとりわけ好きだ。臆面もなく、あなたが好きだと伝わってくるものが。

仲の良い友人と、手紙と一緒に「写真」を送り合うのが慣行だった明治期日本。
それと近い19世紀の英国に目を向けると、そこでは「髪」を交換する風習に出会う。この流れの中に、シャーロット・ブロンテの手紙もあった。

「あなたが髪を送ってくれなかったので、ひどく落胆しています。分かっていますか、最愛のエレン。私は、あなたの髪を手にすることができるなら、二倍の郵便料金を払っても惜しくはありません。」
(柏書房『ブロンテ三姉妹の抽斗』(2017) デボラ・ラッツ 松尾恭子訳)

当時の郵便料金は高額だった。

高校1年生~大学中退(後者は日本じゃなかったので学年の区分が違うけど、一応2年目)までずっとファインアート(Fine Art)について考える世界に身を置いており、以来「美術やその作品を題材にしたフィクション」がどうしてもどうしても読めなくなってしまっていて、あんまり触れてこなかった。

特に登場人物が絵描きだったり、半端に美術史の蘊蓄を語り出す者だったりすると、実際と現実のずれ(いや、フィクションだから当然なのに!)がおかしなくらい気になって体調が悪くなるアレルギー……みたいな状況に陥る場合が多かったように思う。
それが、友達に押し付けられるように手に取った「楽園のカンヴァス」はなんとか読むことができたので、同じ著者・原田マハの「モダン」も借りてみた。

物語を受け取れたのは、著者の経験に裏付けられた意味でのリアリティ、があるから。
たぶんその要因は、出てくる人たちが美術作品の製作ではなく、それを収める美術館で勤務していたり、好んで足を運んだ経験があったりと、MoMA(NY近代美術館)という施設に関係する複数の視点で描かれた短編集だからなのかも。
MoMAが語る人々のおはなし、かもしれない。

収録作の中で好きだった「ロックフェラー・ギャラリーの幽霊」には最もその趣があって、広がりを感じさせた。

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