他人の手紙を勝手に覗き見る、というのが暴虐非道な行いであるのは間違いないのだが、この世を去って久しい人々が残したそれらを読むのはやめられない。
「それも僕が女に生れていればちよつと青楼に身を沈めて君の学資を助るといふやうな乙な事が出来るのだけれど……それもこの面ではむづかしい。」
(岩波文庫『漱石・子規往復書簡集』(2010) 和田茂樹編)
元より公開される予定のなかった、しかも自分に対して向けられた言葉ですらないものを掘り出してあれこれ言う、そういう趣味の悪さに対する思いは色々ある。
それにしても……。
友達に送られた手紙が、私はとりわけ好きだ。臆面もなく、あなたが好きだと伝わってくるものが。
仲の良い友人と、手紙と一緒に「写真」を送り合うのが慣行だった明治期日本。
それと近い19世紀の英国に目を向けると、そこでは「髪」を交換する風習に出会う。この流れの中に、シャーロット・ブロンテの手紙もあった。
「あなたが髪を送ってくれなかったので、ひどく落胆しています。分かっていますか、最愛のエレン。私は、あなたの髪を手にすることができるなら、二倍の郵便料金を払っても惜しくはありません。」
(柏書房『ブロンテ三姉妹の抽斗』(2017) デボラ・ラッツ 松尾恭子訳)
当時の郵便料金は高額だった。