選挙行くくらいなら…ちゅうて行くようになって約20年。選挙行くだけやったらあかんなあと思ってからが本番のような気がする。今更だが。
マジ、政治のことなんも知らなくても投票だけはできるからな。お手軽なもんだ。
だが、それだけじゃ足らんよね。当たり前だけど。
権力の争奪戦というのは古来から熾烈なもんだったはずやねん。
ワシら一般民衆に選挙権=権力者を自分で選ぶ権利が与えられた歴史は浅い。浅いから脆いとも言えるわけで。だから死守しないとあかんもんなんやけど、ワシら個人の身で言うと元から与えられて当たり前になってしまうとそういう感覚が薄れる。感覚が薄れているから言うてほんまに当たり前のものかというと全くそうではないのだが奪われないとわからんのだろうなとも思うが…はよ気づいた方がいい気がする。
日本社会には極秘で行われた原爆調査団には当時東大医学部副手であった加藤周一さん(血液学博士)も参加している。
ちなみに広島・長崎の原爆被害の情報は米占領中は報道禁止だった。占領終結後、1952年の新藤兼人監督、乙羽信子主演の『原爆の子』ではじめて全国に知られたと言われる。
草野さんは理論物理学者の川崎昭一郎さん(1932生)等とともに、戦後の原水爆禁止運動の中心となる。川崎さんは、ビキニ環礁で被爆した第五福竜丸保存運動の責任者だった。
川崎さんは千葉大理学部物理学科教授でもあり、つい最近まで千葉大の理学部がリベラル左派多数だったのも、それと無縁ではない。
今年のノーベル平和賞は被団協が受賞したが、2017年は市民団体核兵器廃絶国際キャンペーンが受賞。この市民団体の日本事務局長が川崎昭一郎さんの息子、川崎哲さん(ピースボート共同代表、1968生)である。
川崎さんは私立武蔵ー東大法学部ー平和運動家という、今や「絶滅危惧種」のエリートで、私もお名前は知り合いを通じて四半世紀前から存じ上げていたが、直接お会いしたのは、今年の4月の「地平社」立ち上げレセプションが初めてである。
父の昭一郎さんが2年前に亡くなった際、メディアに「父は家では運動のことは語らなかった」と語っていたのは含蓄が深い。
1930年に千葉医専卒業、亀有をはじめとする無産診療所の医師を務めるが、治安維持法違反で検束後、盲腸炎を患い、同愛記念病院に入院。ところが、治癒していないのに強制的に退院、1932年に27歳で死去した中島辰猪という人がいるらしい。
千葉医専門というと、今の千葉大医学部だが、えらい変わりようだなー
ま、これは千葉大に限ったことではなく、戦前にはいわゆる「セツルメント」運動の一環として「無産者診療」、「無医村診療」運動に東大医学部や千葉医専の学生達がかなり参加し、結果として治安維持法違反で逮捕された。
戦後長野県に有名な佐久病院を開設した若槻俊一氏(1910生)もその一人。自身医者でもあった加藤周一さんも佐久病院にお世話になっていた。
加藤さんの親友の福永武彦(池澤夏樹の父)が癌出術の後、脳溢血で亡くなったのも佐久病院だったと思う。また東大仏文科渡辺一夫門下で、「背教者ユリアヌス」などで知られる辻邦生が心不全で急逝したの同じ軽井沢。ともに加藤さんがその場に居合わせて対応したと記憶している。
戦後原水爆禁止運動の中心の一人となった病理学者草野信男さん(1910生)も「セツルメント」に参加、虐殺された小林多喜二の遺体の周囲にいた。草野さんは45年8月末の広島に原爆調査に入る。(続く)。
自衛隊との連携強化に期待「次の段階へ」 オーストラリア国防省高官
https://mainichi.jp/articles/20241104/k00/00m/030/122000c
憲法を守り活かしていく政治を ~ 11・3国会大行動で社民党の福島党首が訴え
https://sdp.or.jp/sdp-paper/keupo/
私が生まれて70年代から80年代の、小学校から高校までの学校教育で。
そりゃ社会科、政経の授業はあり、三権分立とか議院内閣制とか、言葉は習った。そして、学級委員から生徒会まで、選挙制度の実践もあったけど。
大学、会社員生活を始めて「社会人」になり、選挙に行くようになっても「政治」は一向に私のものじゃなく、むしろ怪しげな、できれば避けて通るものだった。政治家とか政党というのはどちらかと言えばダークな世界であり、関わるものじゃない、と。
私にとっては3.11を経て、私の一部であった「科学技術」の「敗戦」からようやく政治が私の問題になった、気がしている。残された時間はそれほどないけど。
むしろこの国で選挙に行こう、という人がなお半数いることの方が驚くべきことなのかも知れない、とも時々思う。
選挙の時だけ政治があるわけじゃない。だけど、この国の「政治」は大多数にとって、未だ祭りとしての選挙でしかない。私たちの日常の中の「政治」の姿を作れていない、私たちの手の中にない現状は直視するしかない。
北海道新幹線開業に伴う並行在来線の函館本線函館〜長万部〜小樽のJR経営分離問題についてまとまっている記事。
補足すると函館長万部間は本州と北海道を結ぶ唯一の貨物線でここが廃線になると飛行機か船舶で輸送するしかなくなる。
長万部小樽間は記事中にあるとおり原発事故時の避難に必要であるほか、2000年の有珠山噴火時には被災した室蘭本線の迂回路として札幌函館間の輸送を確保した。
国土強靭化(きらいな言葉だけど)は新幹線整備だけではないという事例。
地元自治体も新幹線駅ができる町と通過する町で足並みが揃わず、道知事の鈴木氏は夕張市長時代に積極的に鉄道路線を廃止した実績がある。赤字額を過大に見積り沿線自治体で負担できないし道も助けないという態度。JRは並行在来線だから経営分離は当然という感じでそもそも交渉に応じない。鉄道廃止後に転換されるバスは運転手も車も足りないし、輸送密度2000人を超える小樽余市間はバスでは運びきれない。
本来国が積極的に関与する事案なのに、新幹線で移動できる大きい街に住む経済的余裕のある人利便のために地元の交通手段が奪われるのは「交通権」が確立されてないから
本当に献身的に愛情をもって介護ができるひとも確かにいるのだと思うけど、それには金と時間がまずいるし、関係性とかよりも介護に回るひとの性格? でいいのかな……がかなりデカいのではないか、と考えています。簡単に憎しみと疲労が生まれるよ。真面目なひとは「ちゃんとできない」自分を責めてしまうし。母上はとても優しく丁寧な訪問介護のスタッフの仕事を見て自分を責めていた。なんかもうそれがおかしいし悲しい。あの方たちは仕事でやっているし、他人だからこその距離感を保てるところがある。
同時に、こういうものすごく大事な各方面を救うような仕事が、金銭的にも社会的にも、国からも市井からも明らかに軽視されているし、実際に数を減らされている、ということにものすごくやりきれなさを感じる。その先にあるのは「女性は家に」でもあると思うけど、女性の人生も介護という職業も高齢のひとの命もまとめてすげー軽くされてんな、というのを思います。
在留資格を持たず退去命令となっている日本生まれの外国籍の子どもについて、出入国在留管理庁は、約8割の212人に特例で「在留特別許可」を与えたと発表した。同時に親やきょうだいの多くも許可したが、同じような境遇なのに救済されていない家族もいる。
救済措置の対象は仮放免の中でも国外退去を命じる「退去強制令書」が出ている子どもだけ。男性の一家はいずれも、その前段階で施設収容を命じる「収容令書」だったからだ。
入管行政に詳しい駒井知会(ちえ)弁護士は「いつ退去強制令書が出るかは入管の判断で誰にも分からない。同じように対象外になった子どもは他にもいるが、手続きの段階が違うだけで日本で生まれ育ち、在留資格がないことに苦しんでいる点は何も変わらない。非常に不均衡で、国は速やかに許可を出すべきだ」と唱える。
クルド人男性が4年間かけ資格試験に合格 在留資格なくても「日本の役に立てば認めてもらえる」と信じて…:東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/364613
アルブレヒトデューラーのメランコリアにある魔法陣、最初に知った時に凄まじく驚愕しました。縦横四隅、斜め、全て34に。神と人間の数。政策年も。コンピューターの演算でもこの数を選ぶのは不可能と聴いたので、数学者としてのあまりに奥が深くて仰天したとこがあります。
QT: https://fedibird.com/@yoshiomiyake/113419433077509434 [参照]
モンテーニュ、ラブレーなどの「超大物」を擁しながらも、ヨーロッパ研究者に「フランスにもルネサンスがあったのですか?」と何度も聞かれて渡辺一夫が慨嘆したことは投稿しました。
ところで、ルネサンス以来の「油彩」の技法を元来発達させたのは、「北方ルネサンス」とも呼ばれる15-16世紀のネーデルランド。
日本では、ヴァン・エイク兄弟、ブリューゲル、ボスなどの名が知られる。
またデューラーは北方とイタリアを繋ぐ巨人。サルトルの『嘔吐』の初版表紙はデューラーの「メランコリア」。
美術史では北方ルネサンスは「古代復興(ヒューマニズム)を欠く」ともされるが、これは正確ではない。エラスムス、フッテンなどの人文主義の巨人がいる。
またライデン大学はリプシウスを代表とする後期人文主義の拠点となる。ボダンの同時代人、リプシウスはキケロを批判し、セネカを擁護する新ストア主義の国家哲学を展開。
この新ストア主義、マウリッツの軍事革命を起点として近世・近代の「規律=権力」の基礎となる。
この後期人文主義、視覚芸術ではレンブラント、フェルメールの時代。
フーコーはリプシウスに言及しないが、『監獄の誕生』は事実上「リプシウスの長い影」を追跡した書物とも言える。
左)メランコリア
右)「死の勝利」(ブリューゲル)
なにやら「秋の叙勲」という行事があるらしい。
全く興味がなかったのだが、ふと新聞に「漫画家のつげ義春さん(87歳)が旭日中綬章」という見出しをみつけてちょっと驚いた。
たぶん、審査関係者のなかにファンがいたのだろう。
私もつげ義春さんの漫画は白土三平と並んで子供の頃からよく読んでいたし、別につげさん個人の選択には何か言うつもりは全くない。
ただ「あの」つげ義春と「旭日」という組み合わせに、ある意味「つくづく時代は変わった」と感じる。
つまり、かつて「サブカルチャー」とされたジャンルが完全に体制に公認された、ということ。仄聞する所では、『ガロ』を出版していた青林堂も今はすっかり右派系出版社になったと云ふ。
ところで、大江健三郎は文化勲章を断ったけれども、渡辺ー大江的な知識人を断罪しながら、東大文学部全共闘(というかセクト)で暴れた挙句、後韜晦的に自分達を「サラリーマン」と自嘲しながら、定年まで東大教授を続けた人達、これには感心しない(ついでに言うと、この自称「サラリーマン」を反復している東大教授がいる)。
どうも、そのうちの一人は、「秋の受勲」どころか文化功労者になっているらしい。「文化功労者」と言えば、終身年350万の年金が出る。もし、事実だとしたら、ちょっと呆れる話である。
[沖縄戦80年][社説]軍官民共生共死 軍の方針が惨劇を招く
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1465229
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陸自、祭りに「一撃必墜」 石垣 旗掲げパレード 迷彩服で「活動PR」市民団体は反対
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1465294
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