映画における「長回し」の小説における対応物って何なのかなと考えていて、長い段落なのかなと思った。
もちろん、綺麗に対応するわけではないが。
映画の場合は、ショットを切るのが「意味の切れ目」で、それを切らないことによって緊張感が高められたりする。小説において長い段落を同じ仕方で使うことは、なくはないかな。
昨日、なぜか豊島区役所でやっていた萩尾望都先生トークイベント「素晴らしきマンガの世界」に行ったんですが(自慢)、詳細なレポートが「萩尾望都作品目録」のサイトにあがっていた。
https://hagiomoto.info/?p=1041
『力の指輪』を見てたら、どう見てもピッケルであるものを指して字幕で「斧」と呼んでいた。英語だとアックスaxなのだろうけど、日本語ではそれのことを「斧」とは呼ばないのではないかというのが気になっている。(どうでもいい)
黒沢清監督『Cloud』を見た。
転売屋をやっている菅田将暉は上司からの出世の誘いや、転売屋の先輩からの儲け話を断わり、会社を辞め、彼女と一緒に田舎に引っ越して転売屋に専念する。地元の青年をアシスタントとして雇い、転売屋をつづけるが、微妙に嫌がらせを受けたりする。
そのうち、菅田将暉を恨む人々(先輩と上司を含む)が徒党を組み、銃を持って襲いかかってくる。菅田将暉は拉致されるが、実は殺し屋であったアシスタントが銃をもって助けにくる。廃工場で銃撃戦が起き、全員死んで、菅田将暉とアシスタントは地獄のようになった世界を車で去っていく。
感想:
現代的なモチーフも取り入れつつ、旧版の『蛇の道』とか、『復讐』シリーズみたいなのをまだやっていて(部分的には以前よりさらに尖っていて)すごいなと思った。
解釈はまあいろいろあると思うが、ネットのせいで無感覚になっていて、ネットの情報にしか関心をもてない菅田将暉の前に、とにかく異常なことを起こして、感情を取り戻させようとする話かなと思った
タコが言うことを聞かない魚にパンチするところがなんと動画で見られる
> タコは通常、単独で狩りをするが、他の魚と団結して狩りをする場合もあることが、計120時間に及ぶ水中カメラ映像から判明した。共同狩猟では異なる種がそれぞれの役割を担っているらしい。タコはリーダー役として、他の魚が示す作戦の採否を決めたり、働かない者を「パンチ」して叱責したりしていた。
フィクションにおける「説教」、かなりいろいろなパターンがあるにもかかわらず、どういうパターンを想定しているかを言語化せず、しかもとりあえず「説教は悪い」という結論優先で話を進めようとする人が多いので、話が混沌としがち。
住吉書房元住吉店(川崎市)が10月で閉店のお知らせ。独立系の路面店としては近隣で最大級だったのでとても残念です。
国内・翻訳の新刊が充実していて、隣の武蔵小杉駅の紀伊国屋書店より使いやすいくらいだったのに。
https://musashikosugi.blog.shinobi.jp/Entry/6617/
熊木淳『フィクションのなかの警察』ようやく読みはじめたがおもしろい。いわゆる刑事物ではなく、警察組織を書く小説を扱うということで、一章が横山秀夫論からはじまる。
河童が好きです。
「人間性と思いやりと素朴な暖かみの時代が戻ってくる。」(P.K.ディック『ユービック』)