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テクスト論でも

>書かれてある言葉に注目し、テクストを多様に解釈していこうという立場

とあったので、別になんでも自分好みに受け取って良いという読み方ではないよな。
読書自体は本人が気にしなければ本来の内容と違う受け取り方をするのは自由だけど、「好きに受け取る」と「内容を曲解する」は別物なのでそこの区別は必要。

作者主体で完成された『作品』に読者が触れ意図された内容を読み解いていくのが作品論で、作者を切り離した『作品』を認知した読者主体で咀嚼していくのがテクスト論なのかなと。
軽くさらった印象では作品読解の際に作者側と読者側どちらに重心を置くのかの違いという風に理解した。
全然違ってたら指摘してほしい。

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テクスト論とはなんぞと軽く検索したら、これ読み手の解釈が大事とかより作品と作者を切り離して目を通すかどうかっていう読書姿勢の話では。
解釈と読解が一緒になっている読み手に対してのものではなく、作者の思想や背景を前提にして作品を読み解くことが多い批評家や研究者の姿勢と異なる読書姿勢の提唱みたいなものに感じる。

自分が作品に目を通す時になるべく前提知識や他人の感想を目にしたくないのも作品論ではなくテクスト論的な読書姿勢なのではとか思う。

「自分が犠牲になれば他が救われる」はどう読んでも「自分または命の価値を高く見積もっている行動」なんですよね・・・

むしろサなら初めからそれくらい自分の命を高く見積もっていて差し出そうとするほうがまだ納得できるかもしれない。

いやそもそもどの場面もそういう勘定をして命を差し出している描写ではないだろとは思っていますが。

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作業しながら聴いてたのでまとめの内容全然把握できてませんでした :gomenne2:

おぼろげな記憶と合わせると、多分描写のショッキングさによって意図せず強調されてるのは"文脈"よりもエピソードの"印象"ではないかあというのと(印象が強まることで他の描写と紐づけて考える際に最初に浮かびやすくなる感じ)、ついったでも一回触れた記憶があるんだけど「出来損ない扱いと虐待の事実→自己肯定感が低い」の思考には納得できても、そこから「自己肯定感が低い→自己犠牲する」は全然繋がって無くない!????って思うんですよね。

そもそも「自己肯定感が低い」と「自分の価値が軽い」も近いけど同じではないと思うので、そこを同列で扱う感覚の擦り合わせと、どの場面からそれぞれの要素を拾えるのか確認から始めたいとか思いました。

「(1)自己肯定感が低く(2)自分の価値を軽く考えているので(3)自己犠牲する」
(1)(2)(3)はそれぞれ独立した要素でそこを繋げるためにはそれぞれに裏付けとなる描写が必要に思えるんですけどこれは私の認識がずれているのか??

あと虐待された・自分の価値が軽いから優しいは謎理論すぎる。(傷付いた人が誰しも他人に優しくなれるは性善説すぎて理想論だよ!!!!!となる) [参照]

10000000回言ってるけど分冊版でなくまとまったコミックス販売してくれ。紙でも発売してくれ。

キラキラしても、しなくても
第15話 あおととまこと③
comic-action.com/episode/14079

あと性的なものや性の揺らぎについて扱うものも端的な内容でも読み手に印象付けやすいからSNSでは伸びやすいのかなとか。

SNS漫画での過多な感情表現は個人の内面の露出よりも共感を寄せるためのパフォーマンスになりつつあるからかなって思う。
意識が登場人物の内側でなく読者の反応のほうに向いてる印象。

キオ さんがブースト

なんかこう、SNSのマンガで見かけがちな大袈裟な感情表現がだいぶ苦手になってきた

皆さんお忘れかもしれませんが最高気温25度以上の日は「夏日」なんですよ。もう10月やが。

あとこれはついでのぼやきなんですが、ヒーローコンプレックス(同作者別作品)で兄が雨の中走る見開きで笑顔だったの作劇としてあそこで笑顔持ってきたい気持ちはわかるが感情の変遷を追ってた人間としてはびっくりするほど予想外で「あのモノローグからのこの顔は絶対違くない!???」って何回読んでも思います。

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タイザン5氏、恐らく必要な情報は画面内に詰め込めるだけ詰める分ノイズになったり関係ないものを省きがちで、東くんの母親の顔がほとんど画面に描かれていないのも作品の本筋と関係ないからで読みやすさの上では正しいけど、東くん視点でその描写をされると母親の言葉ばかり耳に入って顔をまともに見ていないようにも受け取れる。
でも母親からの愛情に飢えていた東くんが怯えや恐怖があったとして、印象が「母の顔<パンケーキ」になるわけないんよな。なのでこれも実際は客観視された東家の情報で東くん主観の画面って実はほとんど存在しない。物語に必要な情報しか読者には与えられてないんだよな。

東くんの感情を上手く読み取れないのここよな。外側からわかる事実のみで本人の内面描写は実は思っているよりずっと少ない。他キャラクタの内面を描く際もこの描き方(物語に必要ない情報を画面から削ぎ落とす)だと同じようにわだかまってしまいそう。
全体的に話の構成はとても整っていて取捨選択の結果だろうとは思うので、やっぱり何度検討しても最終的に『作者と演出の好みが合わない』が答えなんだよな・・・・・

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多分タイトルが「一抜け 東直樹」とかだったら納得できた。
でも家庭で抑圧されてる東くんに劣等感の元である兄が『俺たち家族だろ』的な言葉をかけてそれで彼が救われるの情緒面で本当に全く分からない。だいぶ頑張って噛み砕いてそれらしい理由考えたけど未だに納得いかん。

兄の言葉で東くんを救うには東くんが兄からの感情を求めてる必要があるけど、この話では兄と距離を置いてたのは東くんのほうだし、認めてほしかったのは兄<母という印象が強い。
「俺たち家族だろ」に救われるためには東くん自身に家族に対しての執着や帰属意識が必要で、それがいまいち伝わらなかった(共通認識で片付けられてしまった)のが納得しにくい部分。
描写がどれも東くんの気持ちではなく「この状況なら兄への劣等感と母親に縋るのは当然だよね?」という風な感じ。
ただ東くんは比べられつつも万能な兄なら自分を救えると期待していてそうしてくれない事に憤ったりしたのかもなとは思うので、その辺膨らませたらある程度理解はできるかなあ(納得できるとは言ってない)
それでも最後は家族に依存しない形で締めてるから『兄必要だった?』とは思ってしまう。

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タコピー東兄弟のエピソードにいつまで経っても納得いかないのは描き方以上にタイトルが「東くんの救済」だったからだなあと思い至った。

自分が納得出来る形に咀嚼すると、ここでの「救済」は『しずかちゃんに巻き込まれなくなった』ことなんよな。その意味合いでは間違いなく救われているので。でも描かれ方がどう見ても東くんがこれで救われました!という風で「これのどこが救われてるんだよ!!!!!!」と荒ぶってしまう。

兄の言葉でしずかちゃんからは離れられたけど、そもそも東くんが抑圧されているのは兄ではなく母だから何も根本は解決しておらず、事実を知って母親の態度が軟化するのか、兄が家を離れたらどうなるのか、その後の家庭で彼は救われるのか等々、あのあと東家が幸せになるビジョンが描けない。
本編での描かれ方は確かに彼への救済なんだけど、あれは全て『東くんを客観的に見ての救い』であり『画面に映る範囲での幸せ』でその外側に頓着してなさそうなのが本当に作者と感情面においての反りの合わなさを感じる。

恐らく自分が一番納得していないのはタコピーの内容よりも、この作品が「鬱作品」「考察が深まる作品」として認知されてるところ。途中までは作者と闘ってたけど後半はほぼ読者の反応を倦厭していた。
タイザン5氏がそこまで読み手の把握と予想をした上で、辛い環境に置かれた子供たちをそうやって消費する読者を揶揄するようなメタっぽい終わらせ方をしていたら性格悪すぎて大好きになってたな………というか若干これを期待しつつ読み進めていたけど、めちゃくちゃストレートに模範的な回答を出されて作者と決定的に反りが合わないと理解出来たんだよな。作中のタコピー、美化された読者たちだからもっと精神的にボコボコにされてほしかった。

ただ3人の境遇の酷さも含めたエンタメとして見るととても面白かったし、作者の意図とは違う方向だろうけど感情を揺らす作品で楽しかった。それとは別に、テーマとメッセージは表層的であのハッピーエンドは大衆への救いで当事者の絶望では?と思えるのでヒューマンドラマとしては評価できないです。

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タコピーの最終話、とてもきれいにまとまった反面物語の外側というか、画面の外側については全く気にかけてなさそうで「きれいな箱庭みたいだな」と思ったんよな。
この傾向は作中ずっとあって、それはやっぱり作者の描き方がそうだからで好みの範疇になる。「他者の視点からに感じる心情描写」「物語の外側を汲み取りにくい画面演出」「タコピーという異星人視点」等々。読者の関心を上手く誘導してるとも言えるし、別の視点を追わせないつくりとも言える。
この描写の仕方の影響もあると思うんだけど、テーマも作中のメッセージも優等生の回答で当事者目線では無いよなと感じてしまう。『大勢に当てはまる正しい回答』で『一人だけに当てはまる最適解』では無かったし、現実に近しい境遇だったら多分「それが出来たらこうなってねーよ!!!!」ってキレてた。

描写もメッセージもどこまでも当事者ではなく客観的な位置からのものに感じてしまうのが消化不良の原因かなと思ってる。でもそれは転じて、大衆には分かりやすく受け入れやすい内容なんだよな。

『誰かが隣に寄り添ってくれることで救われる』というテーマを描くのならもっと日常的な題材のほうが好みというか、そっちのほうが丁寧に関係を描いてじんわりと染みる作品に出来たのではって思うけどそれはこの人の作風と合わんよな。再三言ってるけどこの描き方が悪いんじゃなく好みと合わないだけ。
『タコピーが居ても事態が好転しなかったけど、それでいてタコピーの存在で救われた』という着地とてもきれいで救いがあるんだけど、印象が違うベクトルに向くとやばいくらい心に響かず『無』になる終わり方でもあるな。そこに行き着くまでの描写が共通認識の積み重ねだったのもあって割と無だった。

ストーリーはかなり綿密に練られていてテーマもしっかりしてるんだけど、それ体現するキャラクターにあまり人間らしさを感じない(物語の担い手としてのキャラクター性以外の要素を感じない)から最終的な作品の印象が「骨組みのしっかりしたテント」になるんだよな。

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タイザン5氏、タコピーの無自覚に他人を傷つけてしまうところも読者からしずかちゃんの考えが読めないところも東くんの視野の狭さも理解した上でああいう描き方してるんだなと分かったので、最後まで読んだ結論はやっぱり『作者の演出構成が自分に合わない』だった。

この作品は『他者に認めてもらう・寄り添ってもらえることでの救い』をテーマに据えていて、しずかちゃんまりなちゃん東くんの三人とも誰かが手を差し伸べて寄り添ってもらうことで救われる、というのが作者の目指した形なんだな。

しずかちゃんとまりなちゃんは基本的に環境や状況からくる行動や感情で本人の気持ちがどうこうという部分が少なく、理不尽な目に遭ってるけど逆に言えばそれしか情報が無いから大きな破綻も感じず語ることも無いっていう。
「この環境ならこうなるよね」「この状況ならこう思うよね」が前提にありすぎて本人の自我をあまり必要としない配置だなあという感想で、本筋のストーリーについては環境のエグさを子供視点で描くから救いが無いねとしか。


>エロさで価値を決める…ただエロが見たいだけ…それは本当にアニメや漫画が好きだと言えるのだろうか…。オタクなのか!?ただのスケベじゃないのか!?…それもありだ!どこがどれだけエロいのか語り明かすのもまた一興! T.Yめもり~ず/第9話

これ9話だからゆうたが宇野くんに他にどんなアニメ見てるか聞いたらなんかエロいやつって返ってきて、それにちょっと悩んだ結果の返答でこれ聞いて宇野くんがゆうたくんにドン引きするやつじゃん。存在しない記憶だけどめちゃくちゃやり取りが浮かぶ。
このやり取りの前に宇野くんの借りたDVDがゆうたが好きな作品+おたく友達出来るかもで迫ってくるけど宇野くんは衣装がエロいから見てるだけのにわかで、他どんなの見てるって質問につい口が滑って正直にエロいやつって答えちゃったし、それを気持ち悪く肯定してきたゆうたにドン引きするやつ。

これだけ解像度あっても全部捏造で妄想かもしれないから原作が存在しないの本当に困るし、自分の性癖で無意識に原作を捻じ曲げていそうで油断ならない!!!!!!!!普段二次創作する時もこのくらいの解像度のプロット出来上がるからまじで判断が付かん!!!!!!

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原作存在してたら絶対円田がゆうたに対してどれくらい友情持っているかとかそもそも円田の友達に対する態度から汲み取れる身内への信頼や甘えみたいなものについて呟き落としてるし、ゆうたとT郎の関係性がゆうたのコミュ力不足にどれくらい影響しているのかにも言及してるからな。

ゆうたはT郎の存在と本人の顔の良さのおかげで今まで自発的に友達をつくる必要が無かったんだけど、趣味が同じ(勘違い)宇野くんの登場によって多分本人も気付いてなかった対人能力不足が露呈してるんよな。これT郎がちゃんとコミュニケーション取れるおたくだからというのかなり影響してるじゃんよ〜!

無限にこういう話したいのにそれを示すためのエピソードが圧っっっ倒的に不足しててキャラの性格や行動についてなんとなく記憶してる内容でしか推し量れないのが気持ち悪いから原作を掘り起こすしかないんよ。この呟きを落とすための発掘作業なんよ。やりたくねーーーーーー直でこの話をさせてくれ!

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