あと513話、シャボンディ諸島でくまにゾロとブルックがやられた時に頭抱えて「目の前で二人も仲間を…!」ってやってる場面は単純に自分が仲間を守れなかったことを嘆いているだけでは。
少なくともこの描写からサンジは自己肯定感が低いに繋げるのは無理筋だと思うよ。
どちらかといえばここでのサンジの要素は「人を守ることにプライドがある」または「それが出来なかった時に冷静さを失いがむしゃらになってしまう」でないかな。
この場面バラティエの時と一緒じゃんと思いました。サンジは追い詰められると極端に視野が狭くなる性質だよね。
後々に「弱く生まれてごめんなさい」みたいな台詞があることを考えると、ここに「守るべきものを守れない=自分が弱い」になってしまうことへの負の感情も混ざるのかなとも思ったり。
どっちの描写もやっぱまだサンジはクソガキで成熟しきってないんやろなって印象を受けたので、シャボンディ諸島時点でのサンジは『バラティエを離れた時より変化しているがまだ途上にある』って感じ。
なのでサンジがショタなのはそう。でもこいつはショタよりも圧倒的にクソガキなので自分の感覚ではショタ認定できない。
ここは二人の性格の差よな。
ゾロは自分がいなくなったとしても各自上手いことやるだろみたいな感覚っぽい。雑ではあるけどある意味仲間を信頼しているしそこに気を払うのは自分の管轄だと思ってなさそう。
逆にサンジはゾロに伝言託したり自分がいなくなった後について言及しているのが本来は色んなところに気が回る性格要素なんだろうなって感触なんだけど、読み味としてはゾロとの対比で変に用意が良いように感じてしまうというか。
『ゾロは覚悟決まってるからなんとも思わないけどサンジは危うい感じがする』
っていうのはこの辺の態度の違いっぽい。でもこれは読み手の印象で実際にサンジが危ういわけではないと思うんよな。“ゾロと比べて““そう見える“という状態だから、原作での情報開示や客観的事実を伴わない感情による主観だよね。
485話。確かにサンジの行動は自己犠牲的だけど、この場面から事実としても印象からも「サンジが自己犠牲をしている」ことだけを拾うのは無理がある気がする。
同じことをゾロもしてるし、「こちとらいつでも身代わりの覚悟はある〜」あたりの台詞の前ページでは「後々この一味で最も厄介な存在になるのは…この“黒足のサンジ“だ」って言ってて、この一連の台詞からサンジは自己肯定感が低いって読み取るほうが難しくない??
ただサンジとゾロが二人とも自己犠牲的な行いをしているのに印象が違うのは確かにそうで、ゾロはルフィを守るために動くけどサンジはゾロを助けるために動いている(船長副船長みたいな明確にわかる優劣や序列を伴っていない)というのと、自分がいなくなった後のことについて言及してるせいでサンジのほうが死にたがりというか死ぬ三段を付けてる印象を持ちやすい。
まじでギンに飯を与えている描写がサンジが優しいって説明の全てかもしれん。
ストーリー進行に重ねると
ギンに飯を与える(サンジは優しい)
↓
ゼフとバラティエの話(優しさが発揮される方向性が定まるエピソード)
であって、今までの把握が逆かもなって。
こういった過去がありました→だからこういう行動を取ります
という説明の内、ストーリー構成上は『サンジの優しさの"方向性"』の説明をしているけど、読者の印象はゼフとの関係や受けた恩に対して向きがちで結果として「ゼフへの恩から店を守ろうとする」とだけ読み取ってしまうのかも。
上の読解が間違いなのではなく、バラティエ後半には「ゼフに助けられた恩がある」と「この経験から先に描いたようにサンジの優しさは飢えた人間を助ける・店を守る方向に発揮される」という別々の情報が含まれるのではないかな。
アホっていうのは良くも悪くも前向きで楽観的な性格の形容でもあるから、作中でサンジを「頑なにアホ」って言わせてるのめちゃくちゃ端的で的確な表現だなって思う。
そしてそれより前面に出してキャラ説明までしている『心優しき料理人』という要素についてはまだ作中でそこが主題になるエピソードを出してないのなんなん。
どのサンジの描写でも優しいというのが読み取れる描き方はされてるから「サンジは意地悪」とか感想言ってたらそれは違うよって反論できるけど、やっぱどのエピソードも「サンジが優しい」を描くためのものではないんよな。
正確にはギンに飯を食べさせているのが明確にサンジの優しさに主題を置いたやり取り。
なのでもしかしたら尾田先生的にはあれがサンジの優しさを表す全てで、後はその優しさを付随させてるってことなのかもしれん。
バラティエってひとまとめにしてるけど、クリーク登場後の店やゼフ云々のやり取りとそれ以前のギンに飯を与えて船に帰した辺りまでって、少なくともサンジのキャラクター描写という点では別エピソードとして捉えたほうが良いかも。
あともひとつ思ったのが、サンジって確か一味加入してからカリファ戦まで一度も敵に負けてないんよな。
それでこの負けも自分の信念を貫いた結果で実はあんまりサンジ自身には深く刺さる痛手じゃないっていう。
ゾロがミホークに負けて覚悟決めたり、ルフィがクロコダイルやルッチに勝てなくて更に強くなるために新しい戦い方を考えたような成長に繋がる負け方をまだしてないっていう意味で、サンジの特に精神的な成長はまだ先送りにされてるなって印象。
サンジ、この時点では自分がどう足掻いても勝てない相手に対峙していないしそれによって何かを失う事態にも遭遇していないんよな。
決定的な失敗が無いというのは=成長する機会が無いでもあるかなって思うし、サンジの性格だとそれくらいどうしようもない事態に発展しないと反省まで行きつかないっしょ(サンジ頑なにアホ論)。
サンジがカリファに敗北した時にナミが「あんたの騎士道…少し見直したわ」って言ってたやつ、どういう意図なのかなって考えてたんだけどあれ多分素直なナミの感想だよね。
ナミはバラティエの時いなかったし、先の展開を知らずここまでの情報だけだとまじでサンジは普段隙あらばメロリンしてる描写が主だから戦闘描写と分けて考えると基本ナミの前ではメロリンしかしてないんよな(そして戦闘は大体別行動なのでナミが活躍を目にする機会は少ない)。
そういう意味で“死んでも女は蹴らない“は読者への説明を兼ねたナミ視点でのサンジの行動への納得や意味付けなんだろうなって感じ。
これによってメロリンが今までは女好き故みたいにも取れていたのをサンジの信念を含む行動と把握できる。
逆に言うとW7までしか読んでない人がサンジをただの女好きって評するのは、ここまで何を基盤として行動しているかが描かれていないから割と正しい。
そういえばサンジの話。
カリファ戦のサンジが女を蹴らない信条を貫く姿勢については別に危うい印象受けなかった。
そもそもここで信条を曲げてカリファを攻撃するようならこれまでに頻繁にメロリンを描いたりしないのではって感じだし(メロリン自体がサンジの女性への対峙の仕方の描写なのでこれのおかげで死んでも女は蹴らないことへの説得力が産まれてる)、サンジの行動に対して違和や不自然さはあまり無いかな。
めちゃ良かったというか、より重要なのはサンジの行動よりも敗北したサンジにナミがかけた言葉のほうでは。
あそこでナミがちゃんと「ばかね」ってサンジに諭してるのが肝で、サンジ自身は他人の話を聞かないけど周りの人間がちゃんとサンジのそういう性質分かってて間違えた時には諌めてくれる安心感がある感じ。
「逃げ出すことも騎士道に反するなら…せめてそっちは捨てなさいよ!ムダに死ぬ事は話が別よ!」
がこの時のサンジの行動に対する改善点の示唆じゃん。
バラティエの時はそもそも自分の信念のための行動ではないからルフィに否定されていたのが、カリファ戦では自分の信念を貫いていて他にやりようがあるだろって怒られてる。
サンジはちゃんと成長してる(自分の人生を生きてる)けどまだ途上にあるって描写では。
最後のまとめが気に入らないのでもっかい言及しとこ。
ここの場面で見せたいのは「チョッパーが『バケモノ』を受け入れてくれる人がいることを知って心情に変化が生じる」ことであって、「サンジが優しい」では無いって話。
主題(チョッパーの心情変化)を描く過程で関わったのがここではサンジだったから彼の思考や行動方針に則ってシーンを作るとこうなる、なのよな。
だから「サンジの優しさを汲み取れるコマ」ではあるけど「サンジの優しさを描くためのコマ」ではない。
あくまで副次的な要素なのにそこだけに注目されると本来の演出意図のほうを読み取っているのか疑問に感じてしまう。
話題がサンジについての場だったり理解していてもわざわざ口にしていないだけの可能性も十分あるから上記を前提に話しているなら良いんだけど、そうでない人もいそうな感触があるのが嫌というか、良い内容なのに把握せずにいるのもったいないなと思ってしまう。
この時点でサンジはチョッパーと出会ってすぐで過去も知らんし、そもそもチョッパーへの気遣いで「あいつもバケモノだ、お前だけじゃない」って意図だとサンジもバケモノって言葉にネガティブな印象を持っていてチョッパーにマイナスイメージを抱いてることになるじゃん。
そうではなく、バケモノという言葉自体をマイナスに捉えておらず、その前にチョッパーをバケモノ呼ばわりしてたのも否定や差別ではないって意味合いでは。
140話のチョッパーをバケモン呼びした直後のサンジとルフィの会話が
「(略)バケモノで……」
「いい奴だ!おもしれェっ!」
「サンジ!あいつ仲間にしよう!!」
なのもあって、あそこは「気遣ってあえてバケモノと言った」よりも「バケモノでも気にしない人がいる」ことにチョッパーが自身の価値観に衝撃を受けてる場面かなって。
いうてこれは読解よりは解釈寄りの話かも。
ともあれこの言い回しが出来るのが優しいというのは確かに正しいので「一つの場面や台詞に複数の要素が含まれることもある」と考えるようにすると良いかなって。
サンジの優しさについて、WCI以前から優しさを描写されている部分を拾い上げる作業が無駄とは思わんけど、あまり優しさにばかり注目していると本来そういう意図で描かれていない部分も「そう読むこともできるな」って曖昧な判断で優しさ認定してしまいそうであまり推奨しないかも。
例えば146話でチョッパーがルフィの攻撃を初めて見て驚いてるところでサンジがルフィを「バケモノさ」って言うやつ、あれってチョッパーへの気遣いでああいう言い方をした『優しさ』というより、ルフィの事を「面白い奴だろ?」ってニュアンスでバケモノって形容してると思うんよな。
この前トゥートしたやつなんでこんなに違和感あるのか気付いた。
「自己肯定感が低い」から繋がる思考としては「自分に自信がない」って言葉選びのほうが自然に感じるからだわ。
「自分の価値が低い」は自己肯定感の低さのほうではなく「自己犠牲する」という結果から得た主観の印象を「自己肯定感が低い」に結びつけるための思考の流れで生じる言い回しだなって。
"(1)自己肯定感が低い"から"(2)自分に自信がなく"、それによって"(3)自分の価値を低く感じている"ので"(4)他者貢献に自身の存在意義を見出している"。そのためいつも他者を優先し"(5)自己犠牲する"
なら納得できる。
適当な言葉を挟んだけど(3)と(5)の間にも本来は(4)みたいな行動基準となる思考が存在している(でないと(3)の要素がどう発露するかの方向性が定まらない)し、でもサから(2)や(4)のような要素が拾えないから『(1)を理由に(5)をする』と繋がらないんよな。
これはまだ『(5)をするのは(1)が要因では?』という段階であって、掘り下げが足りてないって思ってしまう。
それでもし(2)や(4)の要素を拾えないなら別の仮説を立てるべきよな。 [参照]
日々思ったことをつらつら。
日常についての投稿があること、拡散や周知をしたい内容が少ないためフォロワー限定の投稿が多いです。