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鬱と研究室のあれこれ(悲観的でない) 

ひとまず指導教員と助教には自分が双極性障害(といってもかなり鬱がち)であることを明らかにしているのだけれど、体調不良としてしんどいときは休ませてもらいつつ、いろいろな仕事の打診をひとまずは出してもらえていて、某氏のトランスヘイトはほんとうにしんどいのだけれど、研究室のほうが鬱に理解があってその点で疎外されないのはありがたいところ……

観念して重い腰を上げ、いまさっきドイツ語に着手したのですが、もっと早く学習をはじめておけばよかった……

学会から帰って倒れるように眠り続けて知るのが遅くなってしまったのですが、経口中絶薬10万円はひどすぎる、リプロに関しての自己決定権を蔑ろにしているとしか思えない……

( ˘̥̥̥̥̥ ᵕ ˘̥̥̥̥̥ ) 

影響力の大きい人の差別/疎外/排除につながる発言についてできるだけ言葉を尽くして指摘したとき、相手を怒らせるのみに終わったいくつかの経験から、それをしなければならないかも、と思うだけで気持ちが竦むようになってしまった……

SNSの投稿は散逸しやすいこともあり、掲載誌の発売から時間が経ちましたが、以前Twitterとマストドンに上げた「現代詩手帖」2023年3月号に寄稿した「分かれ道——フェミニズムとハンマーの共鳴性」の註釈のはなしをまとめ直しました。文章全体のモチベーションや「アイデンティファイ-する」という表現について追記もしています。
note.com/namitominatoto/n/na29

Twitterでまじめな話をしてマストドンでくだけるのあんまりよくないかもなのですが、学会に着ていく服は普段着のなかでも衣裳になるものを選んで着ていくので、応用哲学会で服についていろいろなひとから言ってもらってそれもうれしかったです!
それと、性に関すること全般や婚姻をテーマにしていてもフェミニズムやクィア理論が先行研究として参照されないものがあることへの呆れを二次会で共有できたのも、応用的な分野でフェミニズムの話をしている人たちとたくさんお話できたのもとてもよかった。

トランスヘイトを繰り返しているアカウントが駒場のD&I授業立ち上げ記念シンポジウムに呼ばれていない人が云々……というツイートをしていて、一介の院生に過ぎないわたしもなぜかその中に入っていて、それだけだったら擦り減れどほんとうにくだらないと思うだけで済んだのですが、(researchmapに載せているとはいえ)顔写真が脈絡なくツイートに載せられていて、悪意の文脈で自分に言及したものに顔写真が勝手に付けられるのはとにかく怖いなと思いました……

研究室の心理的安全性の話 

今年度からたとえばクィアな表象などについていくぶんか込み入った話ができる程度には個人的な信頼を寄せている人が研究室の助教になり、助教とはいえなにかあったときに相談しても大丈夫だと思うことのできる人が研究室の運営に関わっていることで心理的安全性がぐっと増すのを感じています。とはいえ、心理的安全性を損なっているのは研究室の教員のトランス差別をはじめとする諸々の発言なので根本的解決には至らないのですが……。
(前の助教の方への不信感があったわけでは一切ないけれど、初対面からの3年間研究室がほとんど閉じているのに近い状態で運営されていたので最後まで人となりを掴めずにいた、かつわたしがするような相談は相手の価値観を見極めつつすることになる類のものだったので難しかった)

学振1年目でも申請ができることを知らなかったので修士入学時ぶりの授業料免除申請なのですが、独立会計の申請にも親の所得に関する書類の提出が必要な理由がよくわからない、と思いました。親に連絡を取れない事情がある人がいる可能性もあるのに……。

院生室で授業料免除の手続きをようやく始めたけれど書類が煩雑という話をしたらみんな存在を忘れていて、いろいろな人の家計を救ったかも

久しぶりに大学に行ったら院生室にも研究室にもたくさん人がいて、D2にして大学院生活がやっと始まったなと思いました。うれしい〜〜〜!!

それが爆音かどうかは曲によるけれど、音響のいい空間で曲に合わせてしかし大きめのボリュームで聴きたい

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文章を細かいところを詰めつつ読むということは訓練の結果できるようになることですが、その訓練を積んだという前提に職を得ているはずの人が恣意的になにかを読み落とす/読み替えるということがトランス差別に関することではままあり、その恣意を働かせる心理を悪意と呼びたい気持ちがある、あります。

Dembroffの "Beyond Binary: Genderqueer as Critical Gender Kind"について紹介した「二つでない性別を生きる人たちは性別をどう捉えているのか?」(『世界最先端の研究が教える すごい哲学』所収)の最後の見開きの転載をもとに、この定義ではフェミニストは全員ジェンダークィアになる、とジェンダークィアのカテゴリーの抹消しようとするツイートを見ました。(拡散になるので引用はしませんが、すごい哲学でサーチをかけると当該の転載があり、それにつらなる引用ツイート)
それは「ジェンダークィアとは性別二元論に抵抗する人たちを指し、この抵抗とは二元論の外にあるジェンダーを感じることや望むことから生じる」の後半部分を恣意的に読み落とす、あるいは二元論の外にあるジェンダーがあると感じ、そこをみずからの安らう場所として望むことがどんなことであるかをひどく軽視することによって成り立つものだ、ということをひとまず書いておきます。
ただ、どうしてデンブロフがこのように定義する必要があったのか、ということを書けなかったことがこのような反応を可能にする部分はあり、全訳と解題を出せるものなら出したいです……。

友人のひとりから修士を修了したよ!と連絡がきて、思わずおつかれさま、と返したのだけれど、誰に対しても修士修了はおつかれさまかもしれない、と思いました 博士はまだ経験がないからわかんないですが!

BTs まだ投稿をしていないのでわたしの査読らしきものの経験は修論の諮問のみなのですが、(バトラーにしたがって)シスノーマティヴ・ヘテロノーマティヴな前提に疑問を付すわけですが、それについて「客観性」ないしは暗黙に「常識的に」といった前提を持ち出して否定されて、しかし、その前提こそが疑われているものなのですが……と思うも諮問の磁場に固まってしまう……ということがありました。クィアな読みを提示するとき、それが疑問に付しているまさにそのものによって読者から否定される可能性をつねに想定しなければならない理不尽さがあるというか。

青本柚紀 さんがブースト

クィア理論の観点から哲学の論文を出すと鬼の首をとったかのように査読で否定される、それも徹底的に。これを何年も何年も続けてきた。正直疲れたし、僕が奮闘して傷ついて得られるものがないので、心が折れている。

青本柚紀 さんがブースト

査読が落ちた。提出前に読んでもらった方々からもよいコメント頂いて、発表でも前向きな議論ができた。それが査読になると途端に全面否定される。毎回このケース。やっぱり哲学をクィアに読む作業はできないのか。というか、自分にその力がないのか。うちひしがれている。

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