BTs まだ投稿をしていないのでわたしの査読らしきものの経験は修論の諮問のみなのですが、(バトラーにしたがって)シスノーマティヴ・ヘテロノーマティヴな前提に疑問を付すわけですが、それについて「客観性」ないしは暗黙に「常識的に」といった前提を持ち出して否定されて、しかし、その前提こそが疑われているものなのですが……と思うも諮問の磁場に固まってしまう……ということがありました。クィアな読みを提示するとき、それが疑問に付しているまさにそのものによって読者から否定される可能性をつねに想定しなければならない理不尽さがあるというか。