新しいものを表示
とりゅう さんがブースト

魚の話は幻想小説が合うけど鳥の話はSFが合うんじゃないのか?と思っており、鳥の話はSFを書いているが、文フリ東京で「アホウドリの繁殖ボランティアでSFなんてできるわけないだろ」ってお客さん(なのか?)に言われてからずっと怒ってるし悲しいしつらい。

とりゅう さんがブースト

アルバトロスは飛び立つときに助走が必ず必要で、陸地では人間に襲われても「逃げられない」鳥で、おもしろいくらい捕殺できて、そのせいで人間に一度は絶滅させられた、んだけど、「飛び立ちに助走が必要」「逃げない」と言うことが、「愚かである」と判断するような能力/知的基準しか持たない人間たちよ…そしてそれを名付ける人間たちよ…という愚かさすら象徴するよなあと思っている。
絶滅宣言が出されたけど、いま「いる」のは、幼鳥が性成熟するまでに四~五年かかって、そのあいだはずっと海の上を飛び続けていたからで、その習性のおかげで、人間に陸上の個体が殺され尽くしても、海上にわずかにのこっていた個体が繁殖できたから…という。
そもそも「○○日から採取禁止にします」って言ったら、「今のうちに全部取っておかなければ!」って取る人間のがおろかだろ…。資本主義の呪いのような、ほんとうにおろかなのはどちらだったんだ、という歴史を我々に残した鳥だと思っている。

「引き返す」映画といえば2023年のベスト映画(当社調べ)である『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』もそうだったので、どこかでおれもやりたいぜ、と思います。

『マッドマックス フュリオサ』観ました。 

腹痛に苦しめられながら観たので、分析的な見方がほとんどできなかったんですが(それはそれでいい鑑賞体験だった)、それでも、移動そのものがアクションである映画において、ドラマをどうやるのか?→目的地の選択、という回答が見事すぎて唸りました。思い返すと前作でもそうだったわけですが、重要な局面においてこの映画はたびたび「引き返す」ことを選択するんですよね。困難から逃げるのではなく、困難に向かって「引き返す」。それがドラマを生み出していて、超かっこいい。一方で敵役が引き返すときは、奸計のためだったり逃走だったりする。それは意識してやっている気がします。
たおれは『スプリット』以来のアニャ・テイラー=ジョイのファンですが、それでもさすがに前作を思い返して、フュリオサとしての肉体的説得力が足りない気がした瞬間がいくつかありました(腕が細すぎる!)。外見からいわゆる「強い女」のイメージを感じる俳優以外が「フュリオサ」を演じるべきだ、というのもよくわかるので、むしろ、だからこその配役かな、と思いもします。

映画館の便所で「アイムソーリーヒゲソーリーチンゲソーリー! アムソーリーヒゲソーリーチンゲソーリー!」て連呼しながら練り歩く少年三人組と出くわしたので、『マッドマックス フュリオサ』への期待が高まってきました。

そういえば先日は祖父の一周忌だったので、「勝つぜ!」と言ってきました。

ウォー承認欲求を満たしたいぜ! → いい小説を書くか! → HAPPY END

ファッションSFはさすがに嘘かもしれない

小説の執筆でも五指に入る苦手な作業、登場人物の服装決定をやっています。なぜってファッションの知識がないから。じゃあなんでファッションSFを? さあ?(大げさに肩をすくめる)

またしても、おれってどうすればいいんですか? になりましたが、習慣に従ってカフェに赴き、手を動かすことで最低限のノルマを達成して事なきを得ました。

Netflix版『三体』全部観ました。勘所を外さない物凄い圧縮手腕を目の当たりにして、幼少期に映画版〈ハリー・ポッター〉シリーズの(特に3作目以降の)省略の酷さに目まいがした頃とは隔世の感があるなあ、と感動しました。一方で、「AとBは役割が一緒だよね。同じキャラにしよう」「バックストーリーをまとめるために全員友人にしよう」「ここはプロット的に同じシーンだからカットバックで繋げよう」という会議の様子がチラついて見えたのは正直ありましたね。わりとその会議を観に行ったところはあるのでそれでいいのですが。

劇場版ウマ娘の話2 

ウマ娘アニメ(TVシリーズ)のいちばん退屈なところって「レースシーン」で、相当がんばっていたRTTTですら観ているとだいぶバカバカしくなっちゃったわけですが、新時代の扉はその谷から脱出していたと思います。
どうやっていたかというと、画としては、いちばんダサい「縦や横に列になったキャラクターたちがバタバタ足を動かしている中で背景が横にスライドしていくシーン」を極力減らして、カットを割ったり、主観視点を入れたり、正面から顔のアップを撮ったり、中継にしたり、と、ようは「実写(映画)」の手法の援用、をおれは見て取りました。あとは音ですね。とにかく音がいい。声がいい。足音がいい。劇伴がいい。レースの劇伴はあれ、あれだけなんかカーレース映画みたいじゃなかった? マジでかっこよかった。

『劇場版ウマ娘プリティーダービー 新時代の扉』を観ました。 

「全編バトルシーンだけで小説を成り立たせられるか?」という個人的な問いがあり、(小説ではないが)できらあっ!! という感じでした。精密に組まれたプロットを超絶技巧とアイデアを蕩尽したアニメーションがサポートし、かなり前述の問いの答えとなる作品として追い込んでいると感じたものの、とはいえドラマは正直どうしても食いたりない印象はありました。ウマ娘を知らなくても面白い、という評価は微妙に嘘で、バトルを追うだけなら可能でしょうが、ドラマを受け取るのにはノイズが多すぎ、少なくとも相応の文脈の共有が必要だと思います。アニメにはアニメーションの快楽さえあれば面白い、というのは既に一定のリテラシ
ーがある前提でしょう。
と、ずらずらいちゃもんを付けた上で言うと、初めてアニメでウマ娘の「走り」を観たと思って何度か涙ぐみました。傑作。前述のカテゴライズを使わせてもらえば、初の劇場アニメとして、今までのTVシリーズと違い、「ドラマ」ではなく「バトル」に振り切ったのは英断だったと思います。血圧めちゃくちゃ上がった。

ウマと『関心領域』のパンフレットを買いながら、読みもしない雑誌をエロ本の上に重ねて買うガキみたいでええね、と思いました。

連載再開後の『ルリドラゴン』めちゃ面白くなっていてビビりました。が、さすがにこれをジャンプの誌面でやろうとしていたわけじゃないんだよね……?(だとしたら傑物すぎて怖い)という思いがわきますね。個人的には、思いがけないヒットと休載・移籍によって「強み」を掴んだのだと解釈していますが、ここにアーバンファンタジー要素を上手く載せられたら(おれの)天下獲れるよ。

正確に言うと「高校生部活モノ」ですかね。「青春」はここに自動的に付与されるものだから。

どこかで高校生青春モノを書かねばならない、という謎の使命感が出てきました。題材はもう決まっています。

漫画を読んで、人間関係ってエスピオナージなんだ! と発見するやつ、何度でもやっています。今回は『ふつうの軽音部』でやった。

『関心領域』は観客がダレてきたり気を抜いたりした瞬間に「お前がいま『慣れた』ものは『忘れた』ものは何なのか思い出させてやるよ!」と突きつけてくる/突きつけることができる映画なので、その仕組みからして絶対に勝てないわけです。そこが鼻につくというのはわからないでもない。倫理を勝敗で語るなという話ではありますが……。

はあ、はあ、はあ、今週はいっぱいメールを送ったぞ!→3通

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。