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「マジョリティ属性の主人公を成長させたり動機づけさせたりするギミックとして雑に殺されて物語から退場するマイノリティ属性のサブキャラ」くらい「冷蔵庫の女」と同等な表象としての問題点がないならば、わざわざ「冷蔵庫の〜」という既存の用語を流用しないでほしい。
「冷蔵庫の女」と同等の問題意識や批評性がない表現(キャラ・脚本・表象)について「冷蔵庫の〜」と持ち出すのは、全くの無意味。
そして、あらゆる「死亡するキャラ/死亡しているキャラ」を全て「冷蔵庫の〜」と呼ぶことは、ある意味でwhataboutism(じゃあアレはどうなんだ論法)のように、その件の批判点を無関係な別の行為への批判とすり替えて元の件の問題点を矮小化しうやむやにさせる論理的誤謬を誘発させる。
つまり、作中でキャラが死亡するあるいは死亡している展開を手当たり次第に「冷蔵庫の〇〇」と呼ぶのは、批評・分析としてもミスリードが過ぎていて無意味に近く、そして「冷蔵庫の女」の持つ批評性を毀損している。
なんでもかんでも有名な用語やフレーズをモジッたキャッチーな単語にすればいいわけではない。既存の言葉の持つ意味と働きを損なわせる流用でないか、既存の言葉に寄せるとき、そしてそれがマイノリティによる抵抗の言葉であるとに、特によく考えてほしいなと思う。 2/2

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フィクションの作中で死亡する(死亡状態にある)キャラのことを全て「冷蔵庫の〇〇」と呼ぶの、既存の「冷蔵庫の女」という用語に寄せ過ぎていてミスリードを招くし、感想としても分析や批評としても雑すぎる、と見かけるたびに思っている。
物語から退場する展開や、キャラの属性と役割、メインかモブか、主人公との権力関係、作品のテーマなど、あらゆる要素を無視して「作中で不遇な死を遂げるキャラ」を十把一絡げに「冷蔵庫の〇〇」と呼ぶのはあまりに雑なので、表象を分析して言語化を試みるなら、まず用語を適切に使ってほしい。
「冷蔵庫の女/fridging」は「男性主人公を成長させたり動機づけさせたりするためのギミックとしてヒロインの女性キャラが都合よく殺害される展開」を指すフェミニズム批評の用語。
1994年『グリーンランタン』で主人公の男性キャラがヒーローとしての覚悟を抱くにあたるオリジンとして、恋人の女性キャラが無惨に殺害され「冷蔵庫に詰められている」のを主人公が発見するエピソードがあり、フェミニストのコミックライターやコミックファンからの批判が集まり、該当エピソードを批評したサイトが発表された。このサイト「冷蔵庫の中の女たち(Women in Refrigerator)」が、「冷蔵庫の中の女/冷蔵庫の女」の語源。 1/2

Ubu さんがブースト

【書きました】名古屋地裁でのダブル違憲判決を傍聴。自然とわき起こる拍手、涙を流し抱き合う姿。「普通じゃない」「生産性がない」などと社会によって抑圧されてきた人々の尊厳を回復する、そんな判決だったのではと思います。改めて判決の内容と意義を振り返りました。
news.yahoo.co.jp/byline/matsuo

入管法改悪および改悪案の強行採決に反対です。不透明で信用ならない審査による入管法改正案は廃案を。

「年1000件」審査したと主張する難民審査参与員、ふたつの「立法事実」に浮かぶ疑問 | Dialogue for People d4p.world/news/21191/

そもそも、特高が前身である入管は解体を目指すべき。
「収容者の相次ぐ死亡事件や長期収容など、(中略) 入管体制をどう変えていくか。歴史にさかのぼって転換の道筋を考える」
駒井洋監, 加藤丈太郎編『入管の解体と移民庁の創設 出入国在留管理から多文化共生への転換』
akashi.co.jp/smp/book/b627146.

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特高(特別高等警察)は戦前の国家で思想弾圧と外国人弾圧を担ってた拷問組織で、戦後その特高のシステムと人員を引き継いだのが入管と公安で、本来ならこんな特高の残党は解体すべきなのにずっと残してきてしまった日本の社会………。
入管や公安という特高の残党が今なお市民を弾圧して死者まで出しているの、特高を反省していないということだから、結局この国は戦争を反省していないんだなって思い知らされる。嫌すぎる。
公安が格好良い感じに描かれてる作品も「特高残党の暴力装置がよぉ……」って気持ちになるので全くノレない。格好良くないよ。

誕生日でした〜☺︎ たくさんお祝いして貰えて嬉しい。

追記。
マティスの「豪奢、静寂、悦楽」は印象派から影響を受けて描かれた絵画だけど、マティス自身は印象派の画家というわけではないです。
マティス展を観て最終的な感想が「印象派って面白いな〜」になるの、私が捻くれてるだけかもしれん。マティスの作品も勿論よかったです。

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個人的に一番良かった作品は、「豪奢、静寂、悦楽」(1904)だったかもしれない。
目を患ってから最初に実物を観た点描画の名画が、この『マティス展』の「豪奢、静寂、悦楽」(1904)だったんだけど、本当に色が混ざって見えてめちゃくちゃ綺麗だった。
点を打たれていることは見えているのに、その点の色が隣接する点の色と混ざって見えるのよ。元から私はド近眼で乱視が入ってるんだけど、近視と乱視だけだった頃とはまた違う見え方だなぁと実感した。
印象派って目を患ってからの方が楽しめるのかも。これはポジティブ過ぎるかも知れないが、見ても分からん物や見えない物が増える代わりに、今から本当に楽しめる物もあるんじゃないかと思える。
点描が印象派から誕生した技法で、物の輪郭や色ではなく光や雰囲気を描こうとした模索であり、代表的な画家に眼病を患っていた人物が多いこと、無関係ではないんだろうな。
みんなが観て感動している(そして私も観て感動した)「睡蓮」とか、私はこれからもっと楽しめるんじゃない?! と、眼病の進行を恐れるだけでなく楽しめる気持ちになれるので、美術館は好きだな。
私は見えなくなっても美術館や映画館に通うと思う。その時は、盲の芸術家が見た世界が見えるでしょう。 4/4

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しかし、マティスが良くも悪くも自身の芸術に"利用"した非西洋はアフリカだけでなく、アジアや中東、東欧もだけど……。
展示にも着物を着た官能的な女性画「アルジェリアの女性」や、アングルやドラクロワの"東方趣味"作品と同じ題材である「赤いキュロットのオダリスク」、制作助手であったロシア人女性リディア・デレクトルスカヤをミューズにした作品は着物やカミーズを着たものから裸婦まで多岐にわたる。
このように、明らかに「エキゾチック」な「新しい美」の題材として選ばれた非西洋としての"東側"があるのだけど、これに対する植民地主義あるいはオリエンタリズム批評は図録にさえ登場しない。どころか、「オリエンタリスム絵画とは違って(中略)新たな発想を指しているのである」(p.76)と肯定的評価をされている。
いやいや、マティスの作品も立派なオリエンタリズムですよ。芸術的・歴史的価値もあるし美しいけど、それはそれとして、オリエンタリズム・植民地主義を内包した作品だよね。
この点は残念だった。

物販コーナーはめちゃくちゃ豪華で楽しかった。グッズがたくさん。景気がいいね。
限定ショッパー(物販の買物袋)が、マティスが手がけたヴァンス・ロザリオ礼拝堂のステンドグラスを模したデザインなの可愛くて良いね〜。 3/

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「伝統的な美」からの脱却と改革は面白かったし、マティスの描き創る肉体も色彩も美しいのだけど、そこに至るために非西洋の芸術や美的感覚をマティスは吸収していて、そのインプット/アウトプットについては肯定的評価だけ終わらせて良いものではないとも思う。
展示においては、マティスが当時の伝統的な美を脱しようと模索していたことを年代毎に紹介し、キャプションにも「エキゾチック」等の語彙が登場するが、肯定的な評価のみに留まっている。マティスが「伝統的な美」を脱却・改革しようとしたとき非西洋の芸術を"利用"したことについては、植民地主義/オリエンタリズムであり、それへの批判的検討が展示に全く無かった。
図録に収録されたアラステア・ライトによる論考『「プリマティヴィズム」─アフリカ芸術的との出会い』(p.206-215) では、マティスの視線と芸術に植民地主義が含まれていることが批評されていた。 2/

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東京都美術館『マティス展』観てきました。

初期~中期は裸婦を丸く誇張された乳房と曲線的な体勢で装飾的に表現していたのに対し、晩年は裸婦像やマリア像が軽業師やキリスト像と変わらぬアングルと筆致で描かれるようになって、年代毎に性差の表現が変化していくのが興味深かったな。
胸の丸さの表現は最晩年の最も簡素化された女性表象にもあったけど、同時に男性表象にも股間の丸さの表現があって、筋肉や尻はおそらく性別に関係なく丸い人は丸く描かれていて、最晩年に集大成として描いた聖母子像もその描き方だった。
写実的なデッサンに始まり、「女体美」の誇張した表現を通り、女性的な肉体を「美しいもの」としてのみ表現するのではなく、出てるところは出てる、凹んでいるところは凹んでいる、分かれてるところは分かれている、と人間の肉体って全部面白いし美しいよな、という肉体美に変遷していく様子、模索していく様子がが年代別展示だったのでよくわかった。
晩年の人物画は全部「人間のアウトライン」って感じなの、結構好きだ。 1/

Ubu さんがブースト

トランスジェンダーへの「排除」や「差別」について改めて考えるために、原則的なところから議論を組みました。長いので読むのに時間がかかると思いますが、よければ読んで、拡散してください。記事の後半では、その原則的な議論を、公共の場におけるトイレのあり方に応用して、目指すべき未来についてわたしなりに説いています。本当はトイレの話なんかしたくないけれど、どこへ行ってもさせられるので、1回もう全部文章にしようと思いました。よろしくお願いします。
yutorispace.hatenablog.com/ent

今更ながらEEAAOについて感想をまとめた。長いよ。
移民の映画である『EEAAO』への感想。 - UNITAMENTE ubuhanabusa.hatenablog.com/ent

GWは愛犬ズとピクニックしたり、友人ズとお酒飲んだり、友人とショッピングしたり、アフタヌーンティーに行ったりして、なんだかんだで遊びました。

"てにをは"の誤字が多くなっちゃった…補完して読んでね…。わては誤字の申し子なので…。
あと、上記には少し前まで観ていた人の名前も載ってるよ。知ったのでもう観ないけど。「知ったのでもう観ない」という話なので。
(人名を誤記していたので投稿し直しましたが文章は同じです)

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観たくないものを観ない選択は、私の消費者としての権利であり、倫理的に受け入れられないものにお金を落としたくないという個人的な主義。観たい人は観ればいいけど、問題ある作り手や役者による問題含みの映画であることは認めるべきだと思うし、その問題や差別を擁護してはいけないと思う。
そして、アレは批判してコレは観るというのも、そりゃ誰だって人間だし面白そうだと思ったりファンだったりすると観たくなる気持ちもわかるけど、「二枚舌」であることは自戒すべきだと思う。
問題ある作品を観て問題のある人物にお金を落とすなら、やっぱりその問題を解消するための行動もセットで行うべきだと考えてるので、倫理的に問題ある作品は基本的に観ないけど、仕事で観る必要がある/単純に観たい等の理由で観るならせめて寄付すると2019年に決めました私は。

「彼らが何をしたか認めてから、彼らの作品を好きというべき。 少なくとも問題を起こした人を支持していると認めるべき。性犯罪者や差別者の曲や映画を聞いたり見たりしたら、1ドルを性暴力の被害者を支援する団体に寄付する」twitter.com/ubuhanabusa/status

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具体的には、ガル・ガドットがシオニストだと知ったので『ワンダーウーマン2』観てないし、ドニー・イェンとリウ・イーフェイが華夷秩序ナショナリストだから『ムーラン』観てないし、JKRがトランスと移民差別してるから『ファンタビ3』観てないし、エヴァンジェリン・リリーが反中絶の陰謀論者でビル・マーレイがレイピストだから『アントマン3』観てないし、ザッカリー・リーヴァイが極右だから『シャザム2』観てないし、ジェームズ・ガンが性犯罪をジョークしてたから『スースク2』観てないし、クリス・プラットが宗教右派の広告塔やってるから『ジュラワ3』観てないし、ジェームズ・ガンとクリス・プラットの映画だから『GotG3』観ないし、井上雄彦は極右と繋がっているから『スラダン』観ないし、ブラッド・ピットはアジア蔑視繰り返してるから出演作観ないし、マッツ・ミケルセンやマシュー・マコノヒーやチャーリー・ハナムも陰謀論者で差別主義者と仲良くラジオしてるので観ないし、プリヤンカ・チョープラーはヒンドゥーナショナリストなので観ないし、園子温やロマン・ポランスキーやウディ・アレンらは性暴力を告発されているので観ないし、エズラ・ミラーも悪質な犯罪者なので『フラッシュ』観ない、という感じで、観ないと決めた映画いっぱいあります。(これは一部)

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作り手や演者が問題起こしたり差別発言していたり、製作過程での搾取が告発されているような作品は、倫理的に受け入れられないなと思ったら基本的にもう観ない。それでも観る場合は、私は、該当の問題や差別を解消するため尽力している団体等に少額でも寄付することにしている。

親の店の近所にあった喫茶店で店主のおじいちゃんが作ってくれてた旬の果物いっぱいのミックスジュースとか、私が赤ちゃんのときからお世話になってた香港人の方が作ってくれてた酔蝦とか、同じく私が赤ちゃんのときからお世話になってた天ぷら屋のご夫婦がオヤツに揚げてくれてたサツマイモとバナナのデザート天ぷらとか、好物だったけどもう作る人がいなくなってしまったから二度と食べられないものがいっぱいあって、それらが記憶の中で無限に美味しくなり続けてるから、「このまま記憶だけ大事にしとこうかな」の気持ちと「どうしてももう一度食べたい」の気持ちで未だにいつも引き裂かれてる。

論文が掲載されました。
『包括的「常民」の可能性 ─マイノリティによる芸術活動を読み解く─』
好きなアーティストや作品の話を織り交ぜつつ、「常民 (common people)」を「クィアする (queering)」ために必要な視点とは何かを探ろうと試みました。なんとか形になって良かったです。

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