SFはいかに安全かみたいな主張もがっかりした、筒井康隆のくたばれPTAみたいのから最近だとまくるめがグレタ・トゥーンベリを若いだけと皮肉って若さを求めて胎児の活動家が出てきたとかいう小説書いてたのとか冷笑皮肉バックラッシュ創作ってみんなやってて創作がいかに"口実"に悪用されてきたかの批判が足りてないのはみんな知っていたはずだし、SFそれ自体にすぐ倫理的な瑕疵がなかったとしてもイーロンマスクが人権や倫理を軽視して人類スケールの利益を考える長期主義者になったこととか安野貴博の都知事選での主張があまりにもテクノクラート楽観主義者で(Github使って政策を議論~とか、IT業界というインテリ男の多い世界だけに門戸を開いてなんか意味あるんですかね?)だとか明らかにSFの影響があるでしょう
全然安全ではないと覚悟して相互批判精神を持ったり組織内のジェンダーバランスをマシにしたり対策を講じられる体制を取る、劇薬だから使い方を誤らないようなんとかしていく(していっている取り組みを紹介する)みたいな話に全然なっていないことが、なんかショックもいいところで……
小松原織香『当事者は嘘をつく』(筑摩書房)を読んでいたら青い芝の会への言及があって不意を突かれました。
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480843234/
国家による生殖の管理としては、戦中の「産めよ殖やせよ」がよく言及されるけれど、戦後においても、生殖の支配は苛烈でありつづけた。
敗戦後、人口爆発による飢餓と貧困を恐れる指導者層にとっての懸念は「逆淘汰」だった。本来は淘汰されるべき「劣った人口」が増加してしまい、残るべき「優れた人口」の割合を圧倒するという懸念。―-信じられないほど差別的だけれど、優生思想とはそのようなもの。 この「逆淘汰」を防ぐためにできたのが、優生保護法(1948~1996)。
優生保護法は2つの役目を果たした。
1つ目。「不良な子孫」とされる(障害のある)人たちの生殖能力を合法的に奪うこと。これは強制不妊手術問題として知られており、今年やっと(!)最高裁で賠償判断が下され、賠償法ができた。
2つ目は、中絶を可能にしたこと。刑法堕胎罪によって、中絶を原則として犯罪化しつつ、「犯罪の例外」として、条件付きでの中絶を可能にした。その目的は、女性の健康や権利を守るためではない。貧困層の増大を防ぎ、「逆淘汰」を食い止めるためだ。
これは「SF」ではない。現実。百田の発言の怖さは、それが十分に「SF的」でないことにある。
ドイツは、イスラエルを批判した者には市民権を剥奪するという罰則を求める新たな決議を可決した。
(※ほんとうにクリスタル・ナハトが再現されるのではないか)
https://x.com/redstreamnet/status/1854480388078350774?s=61&t=eNW1E6xssDfg2IkioUVPyg
大統領選の陰でひどいニュース 沖縄も
抗議文 統幕が「受取拒絶」 日米演習反対 石垣の市民団体送付 開封後返送 ミスと釈明
2024年11月6日 3:58 #沖縄タイムス
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1466390#google_vignette
#沖縄
親切な研究者の方から、唯物論研究協会編『唯物論研究年誌第29号 特集:ケアと資本主義』(大月書店、2024年)をもらったので読み始めるも、特集冒頭の「ケアと資本主義――特集にあたって」に、
「〈ケア〉の議論が盛んになった背景には、言うまでもなく新自由主義、グローバリズムが進めた市場化、商品化の徹底がある。ケア領域も商品化、市場化の対象となり、ケアの営みは市場や商品としての性格を帯びるようになっている」
――という一節があって、金子ハルオを筆頭として70年にわたって積み上げられてきた「サービス労働論」の枠組みが(たとえそれが瓦礫の山であったとしても)みごとに蒸発しており、「ケアの営みは市場や商品としての性格を帯びるようになっている」って最近そうなったのかよ的な新鮮さで書かれていて、なんとも引っかかってしまい一旦閉じた。
All those in power must immediately stop using violence against the people.
すべての権力者はただちに民衆への暴力行使を停止せよ。