新しいものを表示

児島「ネクストブレイク期間が長すぎて停滞しちゃうと解散してしまう。そうするとシーン全体が盛り下がってしまいます。誰か1組が売れるとかじゃなくて、シーンが全体的に盛り上がっていたり活性化していたりしないと、みんな総倒れ、総崩れしてしまう可能性もあります」
コウテイとかコマンダンテみたいな“次来る”勢が解散すると直接のコアファンじゃなくてもなんとなく意気消沈するあの感じはこれかと膝を打つ。
 あとちょっと引っ掛かったのが「コロナが明けて」と児島気奈が言ってて───それは司会者が「コロナが落ち着いてきた今」と切り出した所からの流れなのだが───児島さんは「公式にはコロナが落ち着いて来た事にされつつある今」という意味で言ったのかもしれないが、そこは誤解を招く一助になり得る表現で良くないと思った。

【対談】TIF プロデューサー 菊竹龍×K-PRO代表児島気奈 ライブシーンを支えてきた両者が語る、お笑い・アイドル業界を後退させないための危機感と取り組みとは?

artists.tiget.net/post/intervi

最近チーズインハンバーグに突然目覚めて業務スーパーで買い求めているのだが、殆ど同じパッケージで2種類あると気づく。片方は主材料が鶏肉だがもう片方は豚ハツとの記載。かなり味や脂っこさが違うが、これが並行販売なのか商品切り替えで混在してるのかわからず当惑している。店舗によってもどっちか片方しか無かったり併売してたりなのだが。地方だと最寄りは一店舗しかない所も多いのでこういうの不便じゃないのかな。

@hayakawa2600 罹ってなくてよござんしたが日々ダルさのリボ払い的な。利払いも追いつかぬ夏。

NHK-BSでも放送してた『タリバン統治下に生きるアフガニスタンの子どもたち』イスラム神学校に通うかたわら父であるタリバン指揮官の護衛も務める8歳(!)の少年が語る「前は若い女が頭も足も出していました。顔も隠すべきです。何もかも隠してしまうと悪い奴が自爆攻撃などを企てるかもしれません、でも全身を覆うのが一番です」という言葉に胸をえぐられるような思い。どう考えても自身による見聞や考察によらない、学校や周辺の大人やタリバンに教わった事を8歳なりに纏めた言葉なのだろうが。最近の日本に於けるトランスフォビアとミソジニーを綾織りにしたような風潮とは違った歴史的宗教的経緯なのに色々共通する部分も見え隠れ。タリバン統治の内実を伝える貴重な映像、とか定型分でクールに纏めたいが、そんな言葉では追いつかない重い気分にさせられた。
nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/ep

りゅうちぇるの件、察したところで事情はわからんけど、理由を察するとボディパンチみたいにズシンと来るな。テラスハウス裁判第一回口頭弁論のニュースを見た後だけに余計効く。

Blueskyのテスト運用がいつまで続いてどういうステップで本格的にオープンとなるのかわからんけど、今のTwitterの混乱と惨状が影響を及ぼさないわけがないというかジャック・ドーシーの目にも見えてる筈で、果たしてどうなるもんなんかね? 招待コードがあっても登録停止みたいになってるらしいがマストドン同様インフラが追いつかない感じなのか。
techno-edge.net/article/2023/0

Twitter立ち往生の気配。いよいよ具にもつかない呟きもこちらですべき時期なのやも知れぬ。Blueskyの事は動き始めてから考えろ。

特になし さんがブースト

「歴史学研究」7月号の 池田嘉郎「ロシア=ウクライナ戦争とロシア史研究」で、和田春樹先生の停戦声明への批判として「世界史像が希薄なのである」「和田が同時代的事象であるペレストロイカを歴史家として論じることができたのは『世界戦争の時代』という世界史像に支えられていたからである。だとすれば今日のロシア=ウクライナ戦争に臨んでも、何らかの世界史像が必要なはずである」と歴史研究者としてはどうなのだ、と詰め寄っていてあれはしびれた。学問だ。

@pbpaste どっちかっていうとギリシア沖で沈みかけてる移民船みたいな気もしますが。

@hayakawa2600 向こうは職業農家ですからねー、仲々手強い。

@hayakawa2600 取り敢えずそこに水を撒いてる輩をどうにかするぐらいはやっておかないとあかんですね。

某「晴れの日に貸した傘を雨の日に返済させる」銀行と同じグループの大企業、先日ちょっと中を見る機会があったが見渡すフロアの中で誰一人マスクをしてなくて吃驚。リモート出勤推奨で人数が間引かれてるわけでもなく空気清浄機が完備されてる気配もない。銀行みたいに対外的な接客や来客がある業種ではないにしろ、日本の大企業のCOVID-19に対する意識の低さに背筋が寒くなる思いであった。「あった」と過去形に出来ないのではあるが。

「菊池誠」で検索しても何もヒットしないここは取り敢えず平和な空間

今はまだ、ではあるがここは“つぶやき”の場ではないのだなと何となく感じるので長文ばかり上げてるが、金も貰えずマネタイズにも繋がらんのにようやるわ自分、という気分。今後Twitterのような感じになるのかまた違う方向に転がって行くのかよう判らんね今はまだ。

スレッドを表示

NHK-BS1『最後の講義 保阪正康』
「僕らの世代は前の世代から何を伝わったかって言ったら『お前たちは良いな、戦争行かなくて済むもんなあ。俺たちなんか毎日朝から晩まで鉄砲担いでアレしたんだよ』殆ど、上の世代と酒飲むとみんながみんな言った」
「『お前ら、だからあんな戦争なんかやるような国にするなよ』って事だと思うのね」
「我々は次の時代に何を伝えるかって言う時に『俺たちはこういう風に言われたよ、だからやっぱ戦争ってのはやっちゃいけない事なんだよ』ってな事を私達の血肉化した中からその言葉が出していくんだけども、それは仲々血肉化してる人が多いわけじゃないから仲々それが上手く伝わってないってのが現状であって。同世代の人間と話すと『我々は戦争体験を直接してないけども戦争体験を伝えるという事に於いては我々はやはり失敗してんじゃないか、きちんと次の世代に伝わってないんじゃないか」
最後は殆ど自らの業績の否定に近い、敗残者の弁のよう。安倍政権以降顕著になった歴史教育の失敗が実体化して生活総てに降りかかって来つつある中、保阪正康ですらこう言わざるを得ないのをとても重い気分で見終えた。再放送か配信に期待。
nhk.jp/p/ts/4N7KX1GKN7/episode

特になし さんがブースト

劣等な映画鑑賞者なので割と最近はっきり気が付いたが、スピルバーグが製作やプロデュースをして監督を他の人間に任せた作品と自ら監督まで務めた作品には、当然の事ながら明確な差異があるのだなと。で、自分はスピルバーグの監督としての曰く言い難い、恐怖や残虐の描写に対し放っておくとタガが外れそうなラジカルさにだけ興味があるようで。エドワード・ヴァン・ヘレンのギタープレイに似た、ニコニコ健全なエンターテイメントを作ってるだけなのに制約無く自由にやらせておくとどんどんヤバい方向へと逸脱していくアメリカ人表現者特有の奇矯な発露の在りよう。何故監督が編集しないの?的な時折たけしが口にするアメリカ映画への疑問は理解するしどっちかと言うとそう思っているが、それと同時に「監督するだけで自分の色が付けられるならば自分の仕事はそれで充分!」という職人的技量と心意気も仲々興味深く思えて来た。スピルバーグが作るような映画は結局プロデュースも自分でやった方が良いのだろうけど、後進の若手にチャンスを与えるとかそんな余計な配慮はせずに面倒でも本人が監督もやって欲しいなと、それはコッポラに対しても望む事だけど。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。