児島「ネクストブレイク期間が長すぎて停滞しちゃうと解散してしまう。そうするとシーン全体が盛り下がってしまいます。誰か1組が売れるとかじゃなくて、シーンが全体的に盛り上がっていたり活性化していたりしないと、みんな総倒れ、総崩れしてしまう可能性もあります」
コウテイとかコマンダンテみたいな“次来る”勢が解散すると直接のコアファンじゃなくてもなんとなく意気消沈するあの感じはこれかと膝を打つ。
あとちょっと引っ掛かったのが「コロナが明けて」と児島気奈が言ってて───それは司会者が「コロナが落ち着いてきた今」と切り出した所からの流れなのだが───児島さんは「公式にはコロナが落ち着いて来た事にされつつある今」という意味で言ったのかもしれないが、そこは誤解を招く一助になり得る表現で良くないと思った。
【対談】TIF プロデューサー 菊竹龍×K-PRO代表児島気奈 ライブシーンを支えてきた両者が語る、お笑い・アイドル業界を後退させないための危機感と取り組みとは?
https://artists.tiget.net/post/interview-kina-kojima-ryo-kikutake
@hayakawa2600 罹ってなくてよござんしたが日々ダルさのリボ払い的な。利払いも追いつかぬ夏。
NHK-BSでも放送してた『タリバン統治下に生きるアフガニスタンの子どもたち』イスラム神学校に通うかたわら父であるタリバン指揮官の護衛も務める8歳(!)の少年が語る「前は若い女が頭も足も出していました。顔も隠すべきです。何もかも隠してしまうと悪い奴が自爆攻撃などを企てるかもしれません、でも全身を覆うのが一番です」という言葉に胸をえぐられるような思い。どう考えても自身による見聞や考察によらない、学校や周辺の大人やタリバンに教わった事を8歳なりに纏めた言葉なのだろうが。最近の日本に於けるトランスフォビアとミソジニーを綾織りにしたような風潮とは違った歴史的宗教的経緯なのに色々共通する部分も見え隠れ。タリバン統治の内実を伝える貴重な映像、とか定型分でクールに纏めたいが、そんな言葉では追いつかない重い気分にさせられた。
https://www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/episode/te/5NM77LK1R4/
Blueskyのテスト運用がいつまで続いてどういうステップで本格的にオープンとなるのかわからんけど、今のTwitterの混乱と惨状が影響を及ぼさないわけがないというかジャック・ドーシーの目にも見えてる筈で、果たしてどうなるもんなんかね? 招待コードがあっても登録停止みたいになってるらしいがマストドン同様インフラが追いつかない感じなのか。
https://www.techno-edge.net/article/2023/07/02/1526.html
@hayakawa2600 向こうは職業農家ですからねー、仲々手強い。
@hayakawa2600 取り敢えずそこに水を撒いてる輩をどうにかするぐらいはやっておかないとあかんですね。
NHK-BS1『最後の講義 保阪正康』
「僕らの世代は前の世代から何を伝わったかって言ったら『お前たちは良いな、戦争行かなくて済むもんなあ。俺たちなんか毎日朝から晩まで鉄砲担いでアレしたんだよ』殆ど、上の世代と酒飲むとみんながみんな言った」
「『お前ら、だからあんな戦争なんかやるような国にするなよ』って事だと思うのね」
「我々は次の時代に何を伝えるかって言う時に『俺たちはこういう風に言われたよ、だからやっぱ戦争ってのはやっちゃいけない事なんだよ』ってな事を私達の血肉化した中からその言葉が出していくんだけども、それは仲々血肉化してる人が多いわけじゃないから仲々それが上手く伝わってないってのが現状であって。同世代の人間と話すと『我々は戦争体験を直接してないけども戦争体験を伝えるという事に於いては我々はやはり失敗してんじゃないか、きちんと次の世代に伝わってないんじゃないか」
最後は殆ど自らの業績の否定に近い、敗残者の弁のよう。安倍政権以降顕著になった歴史教育の失敗が実体化して生活総てに降りかかって来つつある中、保阪正康ですらこう言わざるを得ないのをとても重い気分で見終えた。再放送か配信に期待。
https://www.nhk.jp/p/ts/4N7KX1GKN7/episode/te/X5Y699QV2G/
@hayakawa2600 いよいよ西原理恵子も本格的に。
おいおい、という感じ。
経済学者といい、彼といい、、、
https://twitter.com/fujitatakanori/status/1493167772364279813?s=46&t=ZwwdJsZf2HSrdZkGNUr9wg
劣等な映画鑑賞者なので割と最近はっきり気が付いたが、スピルバーグが製作やプロデュースをして監督を他の人間に任せた作品と自ら監督まで務めた作品には、当然の事ながら明確な差異があるのだなと。で、自分はスピルバーグの監督としての曰く言い難い、恐怖や残虐の描写に対し放っておくとタガが外れそうなラジカルさにだけ興味があるようで。エドワード・ヴァン・ヘレンのギタープレイに似た、ニコニコ健全なエンターテイメントを作ってるだけなのに制約無く自由にやらせておくとどんどんヤバい方向へと逸脱していくアメリカ人表現者特有の奇矯な発露の在りよう。何故監督が編集しないの?的な時折たけしが口にするアメリカ映画への疑問は理解するしどっちかと言うとそう思っているが、それと同時に「監督するだけで自分の色が付けられるならば自分の仕事はそれで充分!」という職人的技量と心意気も仲々興味深く思えて来た。スピルバーグが作るような映画は結局プロデュースも自分でやった方が良いのだろうけど、後進の若手にチャンスを与えるとかそんな余計な配慮はせずに面倒でも本人が監督もやって欲しいなと、それはコッポラに対しても望む事だけど。
@LoveIsNotLoving@mstdn.jpから引っ越して来ました。そっちは冷凍中。
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