これは、破産してLBO負債の帳消しを狙ってるかな。
そんなことになれば訴訟待ったなしだけど、ひたすら時間稼ぎする手はあるし。
https://twitter.com/elonmusk/status/1682964919325724673?s=46&t=WKhhcWy_4LDVB_PjVr6Xkg
Twitterの不具合が色々発生していますね😒
原因不明の
・凍結
・シャドーバン
・Twitterによる「アカウントロック」
いずれもこれが影響しているんじゃないかしら
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2306/12/news076.html
GX関連法(原子力全面回帰)と「核融合発電」
昨日、日経の「サイエンスNEXT VIEWS」と称する「核融合発電」CMを批判しました。
お気づきの方も多いと思いますが、1年程前からマスコミでは、「核融合発電」を「未来のエネルギー源」として大キャンペーンを行ってる。
昨日の記事では実験炉の完成2025年、35年核融合の燃焼実施開始、とスケジュールまで設定されている。
これはどういうことか?
つまり、核融合発電までの「つなぎ」として原発の全面再稼働を位置づけるプランなのです。
実のところ、原発の「失敗」は、1970年代半ばでは明らかになっていました。1975年には原発会社自身が「原発を代替エネルギーができるまでの間」と述べるに至っていた。
ここで「無公害で無尽蔵」なエネルギーとして、政財界から期待されたのが、「核融合発電」です。
1975年の時点では物理学者(原子力工学者)の多くは、そのようなことは「不可能」と知りつつ、「巨額な研究開発費」に釣られて、乗り出すことにした。
日経はこの際も社説で「明日へかける日本の未来を示している」と主張。
2011年の福島原発事故も彼らにとっては、「核融合発電」実行、つまり「ショック・ドクトリン」のチャンスとしか映らなかった模様です。
「日経科学記事、核融合発電の遅れを懸念」
昨日、7月9日の日経編集委員による「科学記事」を批判しました。そこでは、アインシュタイン、ディラック、ポーリングという三人の「天才」科学者=核廃絶論者に対して「晩節を汚す」という驚くべき裁断が下されていた。
今日の日経の編集委員による「NEXT VIEWS サイエンス」では、「核融合発電」に向けた法整備を急げ=欧州の規制は厳しすぎる、という主張がなされている。
これ、現時点でも少なくともヒューム的継起とは言える。
ちなみに原発が核分裂によるエネルギー利用であり、理論的には原爆と同じ原理、ということは周知のことと思う。
核融合とは水爆のエネルギーと同じ原理。現在、ただし水素の同位体である重水素を核融合させるために、原爆(核分裂)によるエネルギーを使うため、所謂「純粋水爆」は存在しない。
さて、日経の記事では「2025年完成、35年核融合実験開始」のスケジュールが欧州基準の規制によって「遅れる」ことを頻りに心配している。
この記事は「核融合は原子力か」と題し、核融合発電ではあたかも「放射能汚染」が起きないかのような印象操作を行っているが、これは勿論間違い。
しかし反対する科学者を「晩節を汚す」と貶めるつもりだろう。
「日本のサブカルチャーにおけるフランス革命観」下
少し驚くのは、国民公会期を舞台にした木原敏江の『杖と翼』(2000年代初頭連載)。
この漫画では、サン・ジュスト、ロベスピエール、ダントンがきわめて好意的に描かれている。とくに美貌と才能に恵まれた「死の大天使長」サン=ジュストは、主人公と深い絆と持ち、「共感」もある人物、一種の「夭折の天才」とされている。
勿論、革命の「行き過ぎ」は人道的な観点から、批判的に描かれるものの、「私生児」の法的廃止=財産相続権など、国民公会下での「達成」にも言及される。
付け加えると、国民公会の時に「奴隷制廃止」が決議され、これがハイチ革命、世界初の「黒人共和国」へと繋がっていく。
これに対し、F.フュレ編の『フランス革命事典』の78年版では「ハイチ革命」の項目はありません。また何はともあれ、普通選挙権(男子のみだが)が与えられたのは国民公会においてです。
『杖と翼』では、ロベスピエール、サン・ジュストが社会的「平等」と「公正」を志向していたことがポジティヴに描かれる。ただし、ダントンの方をより洗練された政治家とする。これはまさにミシュレ的革命観です。
他方、1980年代から日本の大学のフランス史はフュレ達の「修正主義」に翻弄されることになる。
「日本のサブカルチャーにおけるフランス革命観」(上)
仏本国のフランス革命研究の変転に伴って、日本のフランス学もこれに振り回されることになります。
しかし、意外にサブカルチャーにおける「フランス革命観」は変化していません。
まず有名なのは1972年に池田理代子が連載をはじめた『ベルサイユのばら』。これは、池田がS.ツヴァイクの『マリー・アントワネット』に感銘を受けて構想したとされています。
また彼女は東京教育大学文学部哲学科在学中、民青で活動していた、というから、これはいわばある種の教養主義(ツヴァイク)+ソブール史観(左派の古典)の延長戦上にあると言えましょう。
勿論物語は1789年7月14日のバスティーユ襲撃とオスカルの死で終るので、その後の93年までの展開、という解釈が分かれる重要なポイントは描かれないのですが。
しかし、大貴族・聖職者の退廃と民衆の困窮、良心的貴族の逡巡をへた革命への加担というストリーは滑らかに進行し、89年革命については、ポジティヴであることが前提です。
ただ、この漫画を元来原作としていたアニメ「ラ・セーヌの星」と同じく、マリー・アントワネットの処刑あたりから、「革命のゆきすぎ」の側面にも光はあたるけれども。しかし「革命」の肯定は揺らいでいません。
「731部隊の「職員表」発見さる」
さて、投稿の順が逆になった感もありますが、悪名高い「731部隊」の部隊構成や隊員名、階級などが記録された「職員表」がつい先日発見されました。
731部隊は生物化学兵器開発のために、朝鮮人、中国人、モンゴル人、ロシア人、米国人(捕虜)などを「マルタ」と呼んで「人体実験」に使用。
またこの「研究成果」は、中国戦線で、チフスやペストなどの散布として実戦にも使われた。
また女性の「マルタ」もかなり存在し、その内の一人の「慰安婦」は「生体解剖」され、子供は凍傷実験された、とも言われる。
また女性「マルタ」に梅毒を注射感染させ、その女性をまた別の男性マルタと性交させることで梅毒を「感染度」をはかる実験もし
ていた。
このような「研究成果」は米占領下でG2(諜報部門)のウィロビーに渡され、引き換えに責任者の石井四郎は免訴。
1989年に早稲田文学部棟裏に予防研究所設置のため工事中、四肢切断された人骨が発見。この人骨は731部隊に「マルタ」の遺骸ではないか、という声が挙げる。
その時、早稲田のフランス哲学研究室の私の友人達も、「記憶」や「ショアー」の哲学的問題系と絡めながら、諸々の企画を立案・実行。
さて、その頃の東浩紀や京大ガラパゴス達は?
孔子のバイタリティについて
『論語』の一節、「不惑」、「知命」は自分の人生においてもピンとくる。
ただ、60にして「耳順」というのは自分ながら心許ない。
しかし、現在到底想像できないのは、「七十而従二心所一レ欲、不レ踰レ矩」である。
これ「七十にして己の欲するところに従いて矩をこえず」と読むと、孔子は70歳にして、やっと自分の欲望(ないし要求)が世間での水準に接近した」ということになる。
これ、どれだけバイタリティーある人なのよ。私など50を過ぎてから身体にあちこちがたが来て、そもそも70歳で「生きていく」ための「欲望」があるのかどうか、どうも自信がない。
さすが春秋時代の中国で世に入れられず、亡命すると、時には強盗に襲われながらも数百人の弟子を率いて放浪しただけはある。
あるいは自分の中の「野獣的」なものを切実に感じていたからこそ、「礼」による「文明化」が「ヒト」には不可欠と説いたのかもしれない。
『論語』は実は中学生の時からの愛読書である。「倫理」として「己の欲せざるところ」は「他人にもするな」というある意味「否定的普遍性」の格率、カントの「汝の選択が普遍的に適用されるものととして」倫理との比較は、おもしろいテーマではないか、と思っている。
「ダボス階級は何故フランス革命を忌み嫌うのか?」(1)
ダボス階級とは、スイスのダボスに年一回、欧米中印など世界中のパワー・エリートが集う「世界経済フォーラム」のメンバー周辺を刺します。
現在の評議員には、世界最大の資産運用会社ブラックロックのCEO、元イングランド銀行総裁、カナダの財務大臣、元米国副大統領アル・ゴア、OECD事務局長、欧州中央銀行総裁などがズラリ。何故かそこに日本からは竹中平蔵。
これは日本のパワー・エリートの国際感覚の欠如を物語る、とも言える。というのも、他の評議員の大物ぶりと「竹中平蔵」では明らかにつりあっていない。
ま、竹中は竹中で、世界経済フォーラムとのコネを最大限活用して悪だくみを行っている。ちなみに「かわんご」の妻、経産高級官僚の須賀千鶴は世界経済フォーラムの日本代理店初代店長でもある。
ところで、このダボス階級、むやみやたらとフランス革命を忌み嫌う。これはイギリスの国制と異なり、仏革命が「自由・平等・友愛」を掲げたため。ダボス階級としては「平等」や「連帯」を意味する「友愛」は困るのです。
それ故、フランス革命の暴力性をことさらに強調したり、共産主義への扉であるかのような「印象操作」を行う。
実際「歴史家」達もそれに協力してきた節もあります。
「SNSと投票行動」
長時間に及ぶSNSへのアクセスが「ヒト」の情動・感情・認知に「悪影響」を与えていることは、ビッグデータと脳科学、認知科学(心理学)による「エビデンス」があります。これは幼児・児童に顕著ですが、リアルな世界との「社会的つながり」を失った場合、大人でもはっきりと表れます。
ところで、SNSへのアクセス頻度と政治的投票行動の相関関係については、まだ「エビデンス」に基づいた結果は出ていないようです。
2016年の米大統領選でも、FBから大量に提供されたビッグデータに基づいた、ケンブリッジ・アナリティカ(コンサル会社)による選挙戦略がトランプ当選に有効であったかは不明です。
(トリニタード・トバコのような人口が少なく、またインド系と黒人系の分断線が明確な場合はKAの介入は投票に明らかに影響を及ぼしました。)
現在までメディアと政治投票行動の相関がはっきり出ているのはTVです。
日本では一日のTV視聴時間が長いグループほど自民党支持率が高い、という傾向は長年続いています。
TVのメディアにおけるプレザンスが低下し続ける中、この傾向はいつまで続くのか?TVの劣化が急速に続く現在、これはなかなかに微妙な問題だと思われます(TV自体消滅した方がよいのか?という問いを含め)。
常石敬一さんが今年4月に亡くなった。科学史・科学技術論専攻。特に戦中に満州を本拠をおいた731部隊の研究で有名である。
731部隊は軍の防疫担当だけでなく、「丸太」と呼ばれる、朝鮮人、中国人、モンゴル人、ロシア人、アメリカ人など3000以上を「人体実験」に使っていた。敗戦後、そのデータは、責任者石井四郎とSCAP内G2(諜報・治安部門)のウィロビーの「取引」によって米軍に渡され、関係者は「恩赦」となり、戦後予防医学界の「大物」となったとされる。
1989年新宿区戸山に国立予防研究所(現国立感染研究所)が建てられる際、20体以上の人骨が
発見された。この新宿戸山は旧日本軍防疫研究所の中心場所であり、発見された人骨は、その後の調査と証言で、「丸太」の一部であるとは確実視されている。
実は、私の大学時代の音楽仲間の大半は早稲田の文学部生だったのだが、彼らは、常石さんや芝田進午さんに手伝ってもらいながら「予研」問題に取り組んでいた。早大の文学部棟は予研のすぐ後ろにある。
芸術家肌だった彼らはベンヤミンの「歴史哲学テーゼ」やシェーンベルクによって、「マルタ」の記憶を大衆消費社会日本の中心に召喚しようとしていた。
今は彼らも離散し、亡くなった人もいる。当時の日本では孤立無援の戦いではあった。
「ベルギー国王、植民地支配を謝罪」
先日、オランダ国王の大西洋奴隷貿易への謝罪について2回に分けて投稿しました。
オランダの隣国ベルギーでは国王フィリップが2013年には「あらゆる人種差別と闘う」と表明、2020年にはベルギー領コンゴの植民地支配について謝罪しました。
実際ベルギーの1885年からのコンゴ支配の「残虐さ」は恐るべきものでした。暴力的な「奴隷制」と言えるもの。関心の或る方はプラシャッド『褐色の世界史』などお読み下さい。
またベルギーはコンゴ独立後初代首相のルムンバをCIAと共謀の上、クーデターそして殺害に関与。
ルムンバの遺体は硫酸で溶かされましたが、「歯」の部分だけ残り、それがベルギー政府に移送。ごく最近ベルギーは、この「歯」をルムンバの遺族に返還しました。
オランダの場合と同じくベルギーの植民地責任への「向き合い」は21世紀に入って急速に前進。2000年には「植民地化にもよい面があった」が60%前後でしたが、現在は30%を切っています。
これは世代交代もあるが、直接的には教育の結果。
他方、日本の「植民地責任」に関する歴史教育と言えば・・
日本の「ポストモダニズム」の特徴は「植民地責任」に向き合うことからの「逃走」ないし「抑圧」と言えましょう。
どうも「ネット・スラング」らしいが、偏差値の低い大学を「Fラン」などと失敬なレッテリ貼りをする慣習があるようだ。
これは「侮蔑」しているつもりの発話の主体をも徐々に負の感情へと巻き込んでいく、あまりよくない語法のように感じられる。
そもそもがたかだが18歳かそこらの人間同士に根本的な違いもある筈もない。
確かに「本人は努力した」、それはその通りだろう。
しかし「努力」が報われる、という初期設定は自分ではできない。
いわば、スタートラインには親に立たせてもらう。あと中距離走り抜けるには親の経済・文化資本が相関することは証明されている。
であるから、「中高校生の時に努力に専念できる」という環境自体が幸運なのだ。これを哲学用語では「偶有性」(たまたま)という。
というわけだから、東大教授が「Fラン大学の講義にしては」などと書くのは望ましくない。世間の偏見にお墨付き与えることになりかねないからだ。
災害時のスマホでの情報取得の困難さについて。
緊急時の情報共有の手段を考えなければ。
「Twitterは予告なしに閲覧制限を実施した他、ここ数日の不具合で「使いづらい」との声が。米Metaの新たなSNS「Threads(スレッズ)」もアリかもしれないが、ハッシュタグが使えない点やキーワード検索ができない点などはTwitterに劣る。これらの機能は将来的に実装される予定だが、現時点(2023年7月現在)でThreadsの1本化は厳しい。」
「スマホを取り巻く環境を整理してみると、災害時の情報取得がさらに難しくなっていることが分かる」
【「ワンセグスマホが減った」「Twitterは使いづらい」 災害時の情報取得が難しいワケ】2023/7/16
https://www.itmedia.co.jp/mobile/articles/2307/16/news036.html
「メタの新アプリ、Threadsが始動」
本日、メタの新アプリThreadsが予定より早めて早朝より使用できるようになったようだ。
これは「ネトウヨ」極右イーロン・マスクによるTwitterシステムの悪評と相次ぐシステム障害を横目に見ながら、SNS市場参入、奪回の意図から、システム開発を進めており、今回の「騒動」をチャンス、と判断してのことだろう。
またメタ=FBは、ちょうど昨日投稿したケンブリッジ・アナリティカ事件の当事者でもあり、「極右への協力者」という「汚名」挽回の千載一遇のチャンスとも考えた可能性も高い。
またThreadsはマストドンとのシステム連携も可能にする予定、とのことで、ここでもSNSフィールドでの中道VS極右の構図を演出する意図がある可能性はある。
ただ、何度も書いているように、欧米の「中道パワー・エリート」の主張、特に都合の悪いことは何でも「SNSのせい」のせいにする傾向には懐疑的である必要があると私は考えている。
勿論、マスクや東浩紀、「ひろゆき」、「がわんご」などの「ネトウヨ」は「問題外 out of question」の外ではあるけれども。
音楽と読書、映画が好きです。