魔女といえば、垂野創一郎さんのブログで紹介されている『魔王 第二号 魔女のいる文学史』はつよくオススメです。わたしのイチ推しの女性シュルレアリスト、ネリー・カプランの短篇が数篇翻訳されています(訳者の宮川尚理はウニカ・チュルン『メゾン・ブランシュでの休暇—ウニカ・チュルン遺稿集』も訳されています)。垂野さんいわく、「どの記事も驚くほどレベルが高い」「ベレンの翻訳も期待を裏切らないすばらしいものだった」「願わくはこれを訳された宮川尚理氏の手によってベレン(ネリー・カプラン)の翻訳が単行本としていつか出んことを」。そして、この「たまに連れだって古本どらねこ堂に行くK氏」とは実はわたしのことです(え!)。
https://puhipuhi.hatenablog.com/entry/2023/08/27/151717
以下のページはウェブで読める浅田氏の文章にリンクを貼っているのだけど、よしながふみや長野まゆみについて好意的に語っているものがあったり、トゥーサンについては評価していなかったりとか面白い。
単行本未収録のものも含め浅田彰の書誌情報をまとめているウェブサイト(2009年が最終更新)。十数年分、熟読してしまった。
対談、座談会で未収録のものがすさまじくあるということがわかった。大江健三郎とか、斎藤環とかともおこなっているのか、「世界文学のフロンティア」についての短文とかも読んでみたい。
「ユリイカ」J・G・バラード特集の浅田彰×日野啓三対談を何度目かの再読。これまで自分が読んだ範囲では、バラードについて書かれた文章で別格に面白いと思う。対談という形式そのものがある意味ではフラグメントを許容する容器だし、ひょっとしたらこの時期の浅田彰にとてもよく適合するものだったのかもしれない。それは、「浅田彰はある時期からまとまった文章を書けなくなった」というようなゴシップ的な事柄とまったく関係なく、構成としてのディスコ―スを要請する論考と異なり話題があちらこちらに飛んでもかまわない対談というフォーマットがこの面白さをもたらしているのではないか。
この対談を読んで伊藤計劃のこととか、あまりにいろいろまた考え始めてしまったのだが、インターネットに吐露するのはなんとか抑制。とにかくバラードというのは凄すぎて、自分の冷静さをいきなり失わせてしまうものらしい。増田まもるさんや渡邊利道さんに直接ぶつけさせてもらいたくなってくる。
帰宅してこの号を書棚から引き抜くと、たしかにそこには、映画に登場した詩句と寸分変わらない行があった。ジョージアの知人に映画の感想をしたためると、数時間後に返事が返ってきた。「გამარჯობა, vadja pshavela is one of the most beloved poets in Georgia」「we studied some of his poems at school as well. He loved nature a lot…He has a lot of masterpieces」といった言葉とともに、ジョージア映画祭で上映されているほかのおすすめ作の名が、七作あった。
この知人が、「日本という国は誰でも知っている、私の国は知っている人すら少ない」と洩らしていたのが強く記憶に残っている。島田雅彦はアブラゼ作品について、「歴史には残らないエモーションが刻みつけられている」と述べているが、刻みつけられているものは、残して行けるものだと思う。
テンギス・アブラゼ監督、「祈り」。自分の場合、興奮すると最上級のことばを濫用してしまうというクセがある。それを承知のうえで、「人生で最も圧倒された一作」と呼んでみたい。
この映画のことを始めに知ったのは、海外詩特集をおこなった2018年8月の「現代詩手帖」だった。ジャン=ミシェル・モルポワやアン・カーソンの詩とともに、「映画『祈り』三部作」という項があり、はらだたけひで、五月女颯の文章に並んでヴァジャ・プシャヴェラの詩が訳出されている。「祈り」はプシャヴェラの叙事詩を原作にしているが、この号を購入したときには読んでいない。それでも、もともと「映像詩」と呼ばれるような作品には恋に落ちることが多いから、「現代詩手帖」が取りあげるような映画監督であれば気に入るに違いないと思ったのだ。
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