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fnsugar.co.jp/essay/nishie/25
言語学・文化人類学者の西江雅之による、「エスニック料理」についての目から鱗が何枚も落ちるようなエッセイ。以前から自分は、「エスニック料理」という言葉がなにを指すのかよくわからなくて、ときには次のような現象と相同なのかも確信が持てずにいた。たとえば、リスナーが少ない、あるいは地理的に小さい国の音楽がときに十把一絡げに「ワールドミュージック」とくくられるとか、大きい書店でフランス文学やアメリカ文学の棚はあっても、東南アジアや東欧の文学はまとめて「その他の国々」でひとつの四角形におさまっていることもあるとか。「エスニック料理」は日本より寒い地域の料理を指すのには一般的に用いられない、と示唆されていてうならされた。

国際交流基金の図書館で知ったこと。日本文学のスペイン語訳は、少なくとも2007年までは、英語からの重訳が多い。ただし具体的な数や、2010年代以降のデータはきょうは見つけられなかった。

『日仏翻訳交流の過去と未来』(大修館書店、2014)のパトリック・オノレの文章によると、フランス出版界では、2007年以降、日本語が英語に次いで翻訳点数二位の言語になっている。マンガの寄与が多いそうだけど、ドイツ語やスペイン語よりも上とは。

ある日本人作家が「国際的評価をかちえている」と紹介されるときに、1.全米図書賞および国際ブッカー賞の候補作になっている+2.世界〇ヶ国語に訳されている という形式になっていることがここ数年多いような気がする。あるいは、増えるかもしれない。ただ、これだと英語圏中心の価値観であることは否めないのでは。

図書館で申し訳ないのですが、學鐙の『サイボーグになる』の書評、拝見しました。克服すべきものとは別の、手話文化が「ある」と紹介されている点や、ふたりの著者を「徹底して謙虚」としている点など、自分が本を読んで面白く感じた箇所が書かれてるな、と感じました。やはりいつか誰かとじっくり話し合いたい本ではあります。

「ユリイカ」の「ワールド・カルチュアマップ」っていつからいつまで続いたんだろう。90年代に未訳として紹介されて、10年代に話題を呼んだ作品って、ちょこちょこあるんですよー。いまの文芸誌にももっとこういうコーナーがほしい。

ジュディス・メリルの『SFに何ができるか』日本版あとがき、「日本語は手と眼で考える」って原文はどうなっているんだろう。

安原顕って「海」の創刊から終刊まで編集に関わっていたのだろうか。「マリ・クレール」にはいつからいつまで編集として携わっていたのだろうか。ご存じの方いましたら教えていただけると。

好きな恋愛もの(きょうの気分)
アナイス・ニン 読んだことのある小説、書簡、日記すべて
蓮實重彦『反=日本語論』
坂崎千春『片思いさん』
矢川澄子『おにいちゃん』
森雅之『追伸』
(映画)「サンライズ」(ムルナウ)
(映画)「Before Sunrise」
別枠 ラッセル・ホーバン『ボアズ=ヤキンのライオン』

広尾駅そばの高級めスーパー、National Azabuは海外の輸入食材が圧倒的な品揃えで行ってみて楽しかったです。イランのスープであるアーシュとか、ガーリックオイルサーディンとか、名物のフレッシュピーナッツバターとかいろいろ購入。

注文していた『作家ガイド アナイス・ニン』(彩流社)を書店に取りに行く。原文でこそより味わえる息遣い、同時代の作家との交流、まだまだ残っている未訳の日記。そうしたすべてを孕み、一生を捧げるに足る作家であるという予感に胸が高鳴る。

文芸誌「ことばと」vol.2より、岡田利規「THE VACUUM CLEANER」。恥ずかしながら著者の作品にふれるのは初で、演劇分野の才能をこれまで追おうとしてこなかったことを深く後悔させられるような先鋭的な作品。感想を書く時間のない傑作が堆積していく……。

最新のSFマガジンに「孤独の治療法」が掲載されているM・ショウがSNSにいたのでつたない英語で感想を伝えたら、翌日にリプライが返ってきた。ウェブジン隆盛の時代、emerging writerや単著がない作家(ウソ、ある作家でも!)に感想を送ると高い確率でお返事が返ってくる気がしますね…。

そして、ウェブ空間であるからこそ、こうしたことにわざわざ言及すると、「ひけらかし」にも聞こえるかもしれない。ただ、作家にとっては、母国語の外に読者がいると知ることは励みにもなりうる。

1年くらい前までは、感染症で海外に行きづらい時代では「作品のレビューをするための表現に特化した英作文参考書」が出ればいいなあと本気で思っていた。Goodreadsみたいなサイトをかならずしも支持するわけじゃないけど、外国語は、受験やスコアゲームのためだけのものではないはずだから。

Hi, I'm Japanese, and read your The Cure for Loneliness in translation with great interest. I felt this story shows us how ambiguous the borderline between rational and mad can be in the specific, extreme situation. It seems to be far beyond a mere horror short story, but a poignant and insightful fiction in our time.

「ことばと」に掲載された「唯一無二」、「ユリイカ」特集:現代語の世界のエッセイ、双方興味深く拝読しました。とくに後者は、不可避的な変化を蒙った現代文化の一断面について、切実な声でもって語られているような気がしました。

秋草俊一郎『世界文学はつくられる』の最終章でいつか読書会をやってみたい…。言語教育に関わるという点で、清水良典ほか編『高校生のための文章読本』や「ユリイカ」理想の教科書特集とも接続しうる気がしています。

知り合いの留学生がSNSにポストしていた投稿。「今日、「言葉狩り」という言葉を知りました。「紅葉狩り」のように、美しい言葉を見つけて楽しむということだろうと思いましたが、違っていました。そのほうが楽しいのにね。」こういうのをフレッシュな物の見方と言わずしてなんというのか(「創造的思いちがい」ともいえるかも!)。

探している古書:J.G.Ballard's comments on his own fictionが掲載されたinterzone 106号(96年4月号)。永田耕衣特集の「澤」。どなたかお持ちでしたら貸してくださらないでしょうか…。

残雪の長編『最後の恋人』(平凡社)。いままで読んだどの小説にも似ていなくて、感想を言語化できない。いや、これは、そもそも、小説なのか。

今だって、2000年代に東浩紀や高橋源一郎が「猫を起こさないように」を「発見」していたら何か変わっていたんじゃないかくらいに思っている。『うわさのベーコン』や『左巻き式ラストリゾート』よりも刷新的ではないのか、と。

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