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去年手術したとき、入院費の連帯保証人の欄は書いてもらえる人がいないと事情を話して書かなくていいってことになったけど、それが死ぬ確率があるような手術だったらそうもいかんのかなと思って、将来が不安になった。
性愛を介する異性同士の組み合わせしか法的な伴侶として認めず、その条件下で配偶者がいないと社会的に困窮する可能性があるという社会がおかしいと思う。

今月の電気代のあまりの高さに驚いた。

自分の生活と政治との関わりに日頃まったく無頓着な人であっても、さすがにこの状況には疑問を抱くのではないかと思いたいのだが、そのような人たちには「政治は上から降ってくるもの」という感覚というか、「お任せ意識」というか、そのようなものが染みついてしまっているのか、ひたすら「この状況にうまく対応(適応、と言ってもよい)するには」ということにばかり目が向いているような気がする。
もちろんメディアがそれに一役も二役も買っているわけで、先日もNHKの朝の番組で、電気代を節約するための「米ぬかカイロ」を紹介しているのをちらりと見かけた。米ぬかカイロ自体は温かそうだし夏も冷感パッドとして使えるようなので、それを紹介することそのものを否定するものではない。ただ、なんだかこう、「どこかから降ってきたこの苦しい状況を、一人一人の工夫で乗り切ろう」的な「目の逸らさせ方」で番組を作っているのだな、と感じずにはいられなかった。

呪術的思考と言霊思想が支配する国だから、「コロナが去ればマスクを外せる」が、「いつまでもマスクをしているからコロナが去らない」に容易に変容するんだよな。
「マスクを外そう!」「5類にしよう!」は理屈じゃないから理屈では説得不能だし、そういうバカが定める指針には決して従うことなく全力で自己防衛するのほかはない

コロナ感染した人でまあそれなりに元気に回復した人でも微妙な不調が〜半年くらい続いているという経験を聞くので、4月からめっちゃ罹患者増えたらこの国半年以上は混乱避けられないと思うのですが、どうすんだろ

「『屋内でもマスク不要』などということになったら、外出時に感染するリスクは格段に高まる。今以上に不要不急の外出は避け、今以上に慎重に行動しなければならない」と考える人はけっこう多いのではないかと考えている。

今までは「お互いに不織布マスクをきちんと着けているのだから、まあ大丈夫だろう」という安心感が、ある程度の行動範囲の拡大や活発化にも繋がっていたと感じているが、そのささやかな安心感さえ奪われるとなると、やはり自分の行動を制限せざるを得なくなる。高齢者や病気療養中の人と日常的に接している人はなおさらそうだろう。

「マスクを外せば以前の日常が戻ってくる」わけがない。マスクを外せば感染者が増えることが明らかなのだから、「マスクを外させたい人」が強調する「経済活動」も結局は今以上に冷え込むのではないかと思う。

いや、これ、近年のネトウヨ系だと「大歓迎!そうあるべき!!」とか言い出しかねない…

なーんで戦争を回避しろなんて当たり前のことをこーんなに力入れて喚かなきゃならなくなったのよ。
もう少し経つとこんなこと喚くと非国民とか、真の非国民が喚き始めるのだろうな。

カウンセリング、保険適用されていないのも割と深刻な問題だと思う :meow_cry: :meow_cry: :meow_cry: :meow_cry:

かうんせりんぐ、ほけんてきようされていないのも わりと しんこくな もんだいだと おもう 

医者嫌いだけど医者には行く。でも田舎に帰ったら医者にはかかりたくないんだよな。まず周りが寛容じゃないから、なんで病気になったとか、迷惑だ甘えてるとかそれで休んで遅れた分はどうすんだとか親も教師もそんな態度。長引けば幽霊か腫れ物扱い。そもそも農家が繁忙期に誰か死のうものなら、葬式で故人の文句を聞かされるような社会だもんな(10年くらいしか昔じゃない)。
そして医者が威圧的、文化系に冷たく体育会系に手厚い。男と女で態度変える。たぶん親の地位によっても変える。小学校低学年の時にはやったらテレビゲームを敵視して私が隠れてやってる(隠れてない)と決めつけて、私ではなくついて来た母親をネチネチと叱りつけるので自分が言われるのより辛かった。
加えて医者引き悪いのばっかなのか。若いから大丈夫!で帰されたり、待合室の本棚が日本スゴイと嫌韓本で埋め尽くされてたり、医者本人が心療系サバイバーで診察室で長めの体験談が始まったり、男尊女卑という言葉を聞くや否や自分のことでもないのに反発して説教を始めるカウンセラーもいたり。
医者の権威化と悪いのは病人という価値観の悪魔合体みたいな世界だった。

「病院に行く」ということへの意識について 

私は母方の祖父が内科医(町医者)だったこともあって
「体調に不安があれば病院に行く」
「なくても定期健診は大切」
「その方が長期的にみて医療費もかからなかったりする」
という感覚が強いのだけど、逆に他の人にとってはそうでないことも多いのだ、ということも意識しておかねばならないと思う。

最初に違いを感じたのは、実家の母だ。
母は実父(私の祖父)が内科医なので「体調面で不安があればすぐに実父に相談する」という習慣はあったのだけど、それは「病院に行くことに抵抗がない」こととイコールではなかった。私が子どもだった頃、母は病院に行くには行くのだが、「体調はどうですか」と尋ねられると「特に変わったことはありません」と答えてしまっていた。「もし病気だったら嫌だから」と。

私からすると「病気かどうかは医師に診断されなくても先に決まっていて、治療のためには診断が必要なのに、何を言っているんだ?」と思ったのだけど、「診断のせいで病気と向き合わなければならなくなる」という感覚(無意識の場合もある)は母だけでなくもっと沢山の人が持っているのだと知って、私は唸った。医療は万能ではないが、それでは治るものも治らない。

余談だが、母はもともと「手洗いうがいさえしていれば風邪をひかない」タイプなので、それが拍車をかけてしまった可能性はある。私が風邪をひいた時など、「なんで?」「どうせ手洗いうがいをしなかったのだろう」と責められた記憶ばかり残っている。母の影響で手洗いうがいは徹底するほうだったのだが、頑強な母にとっては「やるべきことをさぼった以外に病気に罹患する理由など考えられない」ようだった。…それでも内科医の娘なのか?とかなりおじいちゃん子だった当時の私は訝しみ、長い時間をかけて母への信頼が薄れる要因の一つになったように思う。
ちなみに今は母は病院で以前よりは正直に不調を訴えるようになったらしく、病気の早期発見も叶い、それ以外は相変わらず風邪も日々を送っている。うっかり利き手を骨折した時も料理や運転や習い事に精を出していたというのだから驚きだ。(正直療養に専念してほしかったが、それでも順調に回復してたまのリハビリに通っている)

話が逸れてしまったが、この「病院に行くと診断されてしまい、病気と向き合わねばならなくなる」→「病院に行くと嫌なことが起こる」という感覚はきっと多くの人にとって根深いものだと思う。
私のように最初から
「病院選びや医師との相性さえ悪くなければ少なくとも病院に行ったせいで悪化することはない(院内で別の感染症をもらってきてしまう場合は除く)」
「病院に行った結果何も異常がなければそれでよしと安心できるし、異常があれば治療に専念できる」
とあっけらかんとメリットばかり享受できるタイプは案外少ないのだと思う。

だからこそ己の感覚で気軽に「病院に行ったほうがいいよ」と言ってしまう前に少し考えたほうがいいのだ。言われた側にとっては大きなショックを受けるかもしれない。かといって明らかに体調を崩している相手に対しては「病院に行って」が他人としてできる最善のアドバイス(というか他にできることが少ない)なことが多いが、医療費の問題もあるし、それがなくとも「病院に行くとなにか良くないことが起こる」という感覚があればアドバイス自体が相当なストレスだろう。
せめてそのことを忘れずに言葉を選ばねばならない。

色々な事例を見ると、日本で心療内科やカウンセリングに行く事はハードルが高いんだなと感じる。「おかしい人」だと思われたくない、スティグマが強いのだろう。私はもう十年くらい前だが、会社で涙が止まらなくなり、同僚に勧められて心療内科に行ったらそこはあまり話を聞いてくれる感じではなく漢方薬を出してくれるだけと感じたので、自分で認知療法の本を買って試したり、田房永子さんの漫画を読んでゲシュタルト療法を試したりした。どちらもかなり役に立ったし自分の気持ちとしても大分良くなった感はあったけど、やはりまだ苦しい側面もあったので、今度はネットで探したカウンセリングルームに行って1年ぐらい通った。そこも良かったけどカウンセラーの言動に疑問を感じて新たなところを探し、今のカウンセリングルームには2年ぐらい月一で行っている。今の調子は悪くない。もっと軽い気持ちで誰もが精神医療に繋がれたらなと思う。

心療内科や精神科医に通うということがスティグマ化してるのも、発達障害も精神病も一緒くたにされて蔑まされるのも、どっちも「健全」で「普通」で「ポジティブ」であることが社会参加の約束事になって市民を呪縛していることの証左だなと思う。そうして追い詰められるのは社会そのものなのに、寛容や包括、理解よりも、排除と選抜による団結のほうが楽だからとどんどん「健全」なディストピアに寄っていってしまうというか。

自分が鬱になって、ハッピー剤投与しはじめて臨床心理士さんと話し始めて2年半だけど、徐々に自己肯定感の底が出来始めるとか、ASDグレーとわかるとか、個人的には心療内科には感謝しかない。
誰でも専門家に助けを求められる社会になるの大事

あえて言うならカウンセリングに保険が適応されないのが…貧困層がここでも切り捨てられている

"弁当を受け取り駅へと向かう帰り道。Aさんは力なく話しました。
「きちんと歩んできたのに踏み外してしまったら今まで積み上げてきたものも関係なく落ちるんだな」。

別れ際、Aさんにいま一番欲しいものは何か尋ねました。
「ずっと居ていい場所。追い出されない場所が欲しい」"
新型コロナに物価高が追い打ち “炊き出し”並ぶ人は 東京 池袋 | NHK | 新型コロナ 経済影響 - www3.nhk.or.jp/news/html/20230

なんか、日本より労働賃金の高い国で1年くらいワーホリで稼いで、それを帰国後の学費に充ててってやりながら大学生活を続けている若者たちの話を娘から聞いて、アリだなと思った

就活市場を気にする人々にとっては難しいかもしれないが、そもそも就活市場への参入を予定していないのなら、海外での経験は積めるし、言語も獲得できるし、いいこと尽くしじゃないのか?

今日の勉強会で、先生が、「アメリカの大統領を広島に呼ぼうと言うのは良いけれど、その前に日本はそれと同じことを(中国に)してるんですかね」と言うようなことを言っていた。

もちろんしてない。即答できる。なのに日本人は誰もそれに気づかずにいられる。そう言うとこだよな、と改めて思ったわ。

そりゃそうだろ。
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RT @bec_ame
弊職場の女性たちは「娘は結婚しなくていい、子供産まなくていい」って話で満場一致だ、という話を夫氏にしたら、絶句してた。
当たり前だよ。いいことないもん。

逆に聞きたい。
ワンオペ押し付けて妻のキャリア構築を無視して、なんでそうならないと思った?
twitter.com/bec_ame/status/161

アンケートって投稿した自分は投票できないんだな…

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Twitterでアンケート投稿してみた。Twitterやられてる皆さん、是非回答してみてくだされー。
twitter.com/satomuch/status/16

好きだった小説の人がこういう言及してたのよかった…

twitter.com/WH_hiromi/status/1

>拙作の『魔女の毒』でも触れたけど、"何者でもない人"の始めたことって簡単に簒奪されてしまうんだよ。ほんと良くない。
名声や手柄を寄越せってんじゃなくて、無名の個人でも社会を動かせると示さなければ「どうせ自分には何も変えられない」空気が蔓延して世の中を良くしようって力が失われるから<

まあみんな「自分は差別していない」「なぜなら、そんな意図はなかったから」って言うよね。

otsukishoten.co.jp/book/b58588

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