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「日本の直系家族の同類は、フランス南部、ドイツ、スウェーデン、スペイン北部、ないしスコットランドに数多く存在する」1頁

「ヨーロッパと日本は、ユーラシア大陸の東西両極端に位置するが故に、この大陸の大部分に広がっていった父系共同体家族への転換を免れたという共通点を持つということなのである。ヨーロッパと日本はこのようにして、世界史の観点からすれば周縁的であるという点で共通している」3頁

石崎晴己「トッド人類学の基礎」15-58頁

「アメリカ型の家族(絶対核家族)も日本型の家族(直系家族)も、伝統的な農民の家族のタイプであって、さしあたり通時的な前後関係はないのである(さしあたり、というのは、最近トッドが始めた、家族制度の変遷の通時的研究では、絶対核家族が最も古い形態であるという、逆説的な結果が出ているらしいからである)。ただ近代性というものは、アングロサクソンによって形成された側面が最も強いため、絶対核家族的な人間関係(個人の独立性、自由主義)が近代的人間関係を代表するように見え、また家族が一つの経営体を構成しなくなった現代の都市型サラリーマン社会では、3世代同居の直系家族型の家族構造よりは、核家族の方が優勢になるという事情もあるため、ここに歴史的進化を見たがる傾向が生じたと考えられよう」17頁

「トッドがその人類学の体系を本格的に世に問うたのは、1983年の『第三惑星』においてである。そこで彼は全世界に存在する8つの家族型を網羅して、その分布図を提示し、家族型とイデオロギーとの密接な関連を主張した。…果してこの著作は、『決定論』との激しい非難にさらされることになる」19頁

「『世界の幼少期』は、世界規模での識字率の歴史と現状を扱っているが、これは発展というものをもっぱら経済的進歩として捉えようとする通常の把握に対して、識字化こそが発展の原動力であるとの主張」20-1頁

「世界の家族形態であるが、『第三惑星』が提示するのは、次の8種類である。
1 外婚制共同体家族
2 内婚制共同体家族
3 非対称共同体家族
4 権威主機的家族(直系家族)
5 平等主義核家族
6 絶対核家族
7 アノミー的家族
8 アフリカ・システム
 『世界の幼少期』では、このうち8が除外されて、7つの型が一覧表を構成している。8が、アフリカという地域名のみによって漠然と定義されたものにすぎないからであろう。どうやらそれは、一夫多妻制のさまざまな型を含む多様な家族制度を包括する、当座の名称と考えられる」21・23頁

「直系家族の地帯であっても、完成された世帯形態である3世代世帯の割合は、3分の1を超えることはないようである」23-4頁

「核家族は、トッドの分類によれば、絶対核家族と平等主義核家族の2種類に分かれるが、この差異は世帯の発展サイクルだけでは判定できず、依存相続規則を援用しなければならない。…この2種類の核家族の区別を確立したのは、トッドの創見であろう」25頁

「トッドによれば、フランス大革命が自由と平等の理念を掲げたのは、それがまさに革命の根拠地たるパリ盆地の農民たちの家族制度[平等主義核家族]に根ざした価値に他ならないからである」28頁

「トッドの人類学の斬新で衝撃的な側面は、家族制度と近現代のイデオロギー現象を結び付けた点であるが、その着想のヒントとなったのは、この外婚制共同体家族と共産主義との地理的分布の共通性であったらしい。かつてイタリアは西ヨーロッパ最強の共産党を擁していたが、その金城湯池がトスカーナであった」30頁

「7、8世紀のイスラムの勃興はまたたく間にペルシャ帝国とビザンツ帝国という強大な帝国を蹴散らして、広大な地域の征服を実現したが、イベリア半島北部の諸王国、アルメニア、エチオピアといった弱小キリスト教国の抵抗を打ち破るには至らなかった。この世界史の奇蹟と不思議の理由は内婚制共同体家族にあったのだと、トッドは説明する。要するにイスラム教は、いとこ婚を許容するその教義によって、内婚制共同体家族地帯に急速に広まり、それとは異なる家族制度の下で生きる人々の抵抗を前にして停止したのである」39頁

「特筆すべきは、直系家族の教育潜在力である。この家族制度は、家の継続性を重視し、子供たちを長く家に留め親の監視・保護下に置こうとするものであるから、当然子供の教育にも熱心である。…家の継続性と親の権威がこれほど濃密ではない核家族では、こうは行かない」42頁

「トッドによるプロテスタント像の転倒…形成期の資本主義の精神を体現するイデオロギーという、ウェーバーが確立したイメージに真っ向から対立して、トッドは、プロテスタンティズムとは何よりも、直系家族地域に群立する小貴族たちのイデオロギーであると言う。その救霊予定説は絶対的な神の意志と霊の救済の不平等を内容とするものであり、権威と不平等の価値観に根ざすものだからである。それゆえこれは直系家族地域に広がったが、自由と平等の価値観に立脚する平等主義核家族地域には頑として受け入れられなかった。当時のカトリック教は、トリエント宗教会議によって、救済の平等と人間の自由意志の観念に基づいて再編成された、自由と平等の価値に立脚するイデオロギーであった」44頁

「彼[トッド]は近代化の主たる要因として、識字化、脱キリスト教化、工業化、そして副次的に受胎調節を挙げる。…
 トッドは受胎調節を、識字化と脱キリスト教化の合成と考える。…ヨーロッパで最初に(と言うことは、世界で最初に)受胎調節が始まった北フランスにおいて、近代イデオロギーも発生するのである。それがフランス大革命に他ならない」45頁

「農地制度について、彼[トッド]はヨーロッパ各地の農地制度が時代を越えて『安定』していることを示した。つまり家族農場(家族規模で農業を営む中農)も大規模経営(農業賃金労働者を雇って広大な農場を経営する大地主)も、その地理的分布は中世以来変わらないのである。…中世カロリング期の大荘園が現代の大規模経営の原型をなすという発見」48頁

「兄弟が平等な家族システム(平等主義核家族と共同体家族)は、人間と諸国民の同等性、普遍的人間の存在という確信を子供たちの無意識に対して植え付け、兄弟が平等ではない家族システム(絶対核家族と直系家族)は、人間と諸国民が相異なるものであり、したがって普遍的人間は存在しないという子供たちの無意識に教え込む。このような無意識の確信をトッドは『先験的な形而上学的確信』と呼ぶ」49頁

「近代性を形成する主力となった核家族、特に絶対核家族は、最も古い、原始的な家族型(父系制の枠内で)であるということにもなるのである。これまで最も近代的とイメージされていた絶対核家族にとって、何とも逆説的なことではないか」57頁

Todd, Emmanuel,「グローバリゼーション下の世界を読み解く」81-95頁

「研究者としての私[トッド]を最も驚かせたのは、日本が非常にヨーロッパに類似しているということでした。ヨーロッパと言っても、ヨーロッパ全般ではなく、ヨーロッパのある特定の地域ということですが、この直系家族はヨーロッパでは非常に頻繁に見られる型で、アジアでは日本と韓国・朝鮮に見られますが、それ以外では全世界で極めて希な型なのです」86頁

「共産主義はこの家族制度[外婚制共同体家族]の上に重なり合ったわけではありません。近代性によってこの家族が解体し始めた時、人々が家族的拘束から解放されて自由になった時、彼らはその自由に耐えられなくなり、同じように個人を統合してくれる構築物を再建しようとしたのです。中央集権的な党、中央集権的な経済、中央集権的な警察をです。つまり共産主義は、この家族の後を引き継いだわけなのです」87頁

サルトル的な自由観に思える

「日本の直系家族とヨーロッパの直系家族の唯一の違いは、日本のそれがいとこ婚を許容している、ないししていた、という点です。ただし日本のいとこ婚の率は最大でも10%を越えることはありませんでしたし、とりわけ戦後になると姿を消しました。ところがアラブ圏ではいとこ婚の率は今日に至るまで同じもの[25〜50%]に留まっています」87頁

「伝統的な家族システムは今日ではもはや存在しません。しかし社会の間の違いは依然として残っており、家族システムの組織原理であった価値は存続しており、相変わらず現代社会の構造を作り続けているかのように見えます」87頁

「近代性だとか経済的なものを越えて、諸国民の生活の中には、なにか不合理なものが埋もれて機能している…それが諸国民を互いに区別し、隔てている」93頁

「産業革命が起こったインクランドは核家族地帯で、しかも識字化についてはドイツ、スウェーデンの後塵を拝していました。では何故産業革命があのように急速にイングランドで進展したかというと、一つは絶対核家族は子供の早期の旅立ちという要素をもともと持っていて、可塑性に富んでおり、農民たちを根こそぎにしてしまうという点において非常に有利であった、そういうことがしやすかった、ということがあるように私[トッド]は分析したのです。イングランドで粗暴な資本主義革命が起こったあと、今度は識字化が進んだ国々で産業革命が起こります。これらの教育水準の高い国々における第2次産業革命は、アングロ・サクソン的な絶対自由主義的なものに激しい抵抗を示しました」95頁

Todd, Emmanuel et al.,「科学性と政治性——E. トッド氏を囲んで」111-42頁

「ロシアの人口学的な推移が、識字化されることによって出生率が低下するという西欧人の平均的なパターンを示していたことから、ロシア人たちも普通の人間で、同じように変化していくのだという判断を下すことができたのです」124頁

「直系家族というのは、相続する個人が家族のなかにとどまるとともに、次男以下が排除されることで、社会のなかに移動性を生み出すものだ…ロシアの共同体家族と大きく異なるのが、この個人の移動性なのです」126頁

「私[トッド]のモデルが示そうとしたことは、フランス革命であれ、ロシア革命であれ、イスラムであれ、普遍主義のイデオロギーはみな、実は平等主義的な人類学システムに根差している、つまり一定の領域性を持つ人類学システムと普遍主義的平等主義の信仰のあいだにはごく特殊な決定論的関係がある、したがって普遍主義は普遍ではなく、ごく特殊な現象なのだ、ということです。…
…私のモデルの特徴は、フランスの普遍主義を人類学的特殊性に還元し、差異主義を人類学的普遍性に還元していることです」136頁

ジョシュア・グリーン的だなあ…偏狭な考えの方が人類にとって普遍的であると

「私[トッド]は社会の変化に関しては保守的でして、それぞれの社会には固有の文化があり安定したシステムがあり、社会の変化はわれわれが想像するよりはるかに緩慢であると考える立場です」138頁

Todd, Emmanuel and 速水融「対談 家族構成からみた新しい『日本』像」145-76頁

速水「東北では早く結婚するが、しかし子供の数は少ない。中央部は比較的遅い結婚で、子供の数は多い。それから南西部はやや他と違っていて、遅く結婚するけれども、結婚以外の子供を産むことは平気。だからいわゆる私生児の数が多い。…そのように、それぞれ異なる性質をもった3つのグループが日本にいて…それが明治民法で統一される時に、なぜあまり抵抗なくうまく統一されたのかが、まだ解けない謎です」165頁

速水「中央日本は結婚年齢は遅く、世代間間隔が広いので、ライフ・サイクルの上で核家族型世帯の出現率が最も高くなっています。西南日本も同様ですが、共同家族形態をとる場合が多く、兄弟や傍系の親族が同居している場合が多いのです」166頁

速水「南米などにいっている移民も西南日本からが圧倒的に多い。…末子相続は中央から西南日本。東の端っこは信州諏訪です」168頁

速水「私は、日本自身をもろもろの民族的集団からなる小ヨーロッパと考えています。そのなかでの人口・家族パターンの多様性ということになると、単に一国のなかでのニュアンスの違い以上のものがあるように思うのです。しかし、その多様性を越えて、直系家族が基本型であり、家族サイクルの推移のなかで、核家族や合同家族が地域によっては現れる確率が高い、と捉えています」169頁

速水「[トッドは]かの有名なヘイナルの唱えた『レニングラード—トリエステを結ぶ線以東は共同体家族』という命題に、日本と韓国は直系家族社会であるという修正を加えながらも、ロシア・中国におけるコミュニズムの温床をその他の共同体家族に求めている」175頁

Sagart, Laurent, and Emmanuel Todd.(1992=2001) “Une hypothèse sur l'origine du système familial communautaire,” Diogène, No.160. 石崎晴己・東松秀雄訳「新人類史序説——共同体家族システムの起源」177-209頁

「分布図の中央を占める共同体家族は、周辺地域の家族システムよりも新しいシステムであるという結論が導き出されたのである」178頁

フォロー

「跡取りでない者は色々な形で排除されるが、正式のものであれ潜在的なものであれ直系家族というものは、地球の至るところで傭兵を産出する傾向があることを改めて指摘することができる」182頁

「<父系共同体家族>の発展サイクルは総数90であり、つまり全体の43%にあたる。<父系核家族>サイクルは総数23、すなわち全体の11%、<核家族サイクル>は総数58、すなわち全体の28%、<直系家族>サイクルは総数31、つまり全体の15%、<母系共同体家族>サイクルは総数5、つまり全体の2%となっている」187頁

「地図の解釈に、周辺地域が保守的であるという[言語学の]原則を適用する。そうすると父系共同体家族である特徴Bは、革新であり、旧世界の主要な地域に広がったが、まだ周辺部に達していない、ということになる。共同体家族ではないA地域すべてが周辺地域であるかあるいは孤立しているという事実は、この命題の確率が極めて高いことを明らかに示している」200頁

「父系の<主要共同体家族サイクル>は、ユーラシア大陸の中心付近のある点に位置する1つあるいは複数の人間集団が<創出>したものと考えられる。この創出は…旧世界の集団の半数を少し下回る(207のうち90)集団に最終的に及んだということになるが、共同体化された住民集団の現実の人口を計算に入れるならば、半分以上の人口に及んだということになる。何しろ中国、北部インドおよびロシアを含むのだから」201頁

「父親と妻帯の息子たちの同居、出身集団からの娘の排除、社会集団の定義における男の絶対的優位の断定、こうしたものが組合わされて、複合的で、ある意味では人工的な——いずれにせよ人間の本性から自然発生的・一般的に出てくるものではない——包括的構造が出来上がるのである。したがってこの家族型は数多くの民族によって創出されたものではないことが理解できる。父系共同体家族の成功は、それが旧大陸に大量に広がったことで証明済みだが、その理由はおそらく、平等主義的であると同時に権威主義的なこの家族組織モデルが、その担い手たちに軍事的優位を与えていることにある。『父親・息子・兄弟』からなる家族集団は、必然的に父系従兄弟にまで系統樹的に広がりを見せるが、そうなるとこれは一つの民族であり、軍事組織の萌芽である。集団を父系で決定することは、男の、そして征服を目指す戦士の秩序を生み出す。とはいえ軍事的征服のない父系共同体的特徴の伝播の可能性を先験的に排除することはできない」202頁

「当初の状況は異種混淆的であった
 周辺的で孤立した圏域が保守的であるという原則に基づけば、革新が中心から広がる時、周辺部の状況は、革新以前の中心部の状況を反映していることになる。それ故に、現在の周辺地域の状況を観察することにより、われわれは父系共同体家族という革新以前に、旧世界の中心にあった家族システムの状況がどんなものであったかを想像することができる。異なる家族サイクル(直系家族、核家族など)が周辺に共存することから、中央部が共同体家族化される以前には、旧世界は家族構造の面では均一ではなかったことが分かる。したがって共同体家族という革新を同定したということは、すべての家族の歴史が発する起源の時点を把握したということにはならない。というのも核家族と直系家族というもっとも重要なサイクルの周辺空間への配置は、いかなる明瞭な規則性にも従っていないのである」203頁

「われわれの仮説が正しいのなら、父系共同体家族システムとその他のシステムとの間の接触前線は、時代とともに旧世界の中心部から周辺部へと移動して行ったはずだということになる。…
 中国においては共同体と父系の原則が広がるのは、北西の果ての秦王国(現在の陝西省と甘粛省)に始まったようである。…秦の始皇帝の権力奪取は、平等主義的で権威主義的な新しい政治的イデオロギー——『法家イデオロギー』——の実践と妻方居住慣習の禁止がその特徴となっていた。秦の始皇帝以前の中国北部における直系家族システムの存在は、孔子思想により証明されるか、あるいは少なくとも推測される。この思想は、孔子の故郷である魯(現在の山東省南部、太平洋沿岸地域)に結びついているもののようで、次男以下の子供は長男に従い、子供は親に従い、妻は夫に従うことが規定されていた。それに長男と次男以下の対照は、最も旧い時代から中国語の語彙には存在していた。中国には兄弟を意味する一般的用語は存在しない。…[秦の焚書坑儒]後に儒教が復活した時、家族に関わる内容の不平等主義的様相は大部分抜きとられ、国家官僚制度の公式イデオロギーとなっていた」203-4頁

秦の儒教弾圧をこんな風に解釈するとは斬新だなあ!!

「現在共同体家族となっている地域の西部に位置するエジプトに目を転じ、時代を過去に遡ると、古代エジプト文明全域に核家族の発展サイクルを容易に見つけることができる…。また父系親族と母系親族との間の均衡が認められるが、王朝中期には若干母系に傾いたように思われる。それに古代エジプトの全期間を通じて、さらに古代ローマ帝国末まで、兄弟姉妹間の婚姻が多数存在するのであるから、家庭集団のいかなる父系的組織形態も先験的に排除されることになる。こうしたことからエジプトの場合には、共同体化と父系化をアラブ化の過程に結びつけることができることが示唆される」204頁

「エジプトから、現在共同体家族化されている地域の中心の方、チグリス・ユーフラテス川の方へ戻ると、保存された最も古い資料が変化の痕跡をすでに明らかにしている。ハムラビ…の法典では、兄弟の平等と相続からの娘の排除が認められるが、同じく新しい夫婦はその世帯を創設しなければならないことも記されている、と指摘する注釈者もいる…。この2つの規則が組合わされば、父系核家族サイクルが成立することになるが…これよりも少し北のアッシリアでは、これよりもかなり後の紀元前12世紀末頃に、本物の共同体家族が存在した可能性がある。アッシリアの法律には、兄弟間の遺産共有という状況がかなり頻繁に暗示されているからである。しかし最初に生まれた男児に2倍の取り分があることから、実質的な長子権が感知され得る…。それ故に父系共同体家族とそれ以外の家族との接触前線は、中国であろうと近東であろうと、古代から現代までの間に中央部から周辺へ移動したと思われるのである」205頁

「[バッハオーフェン以外にも]多くの民族学者たちは、父系制の原則は、自然のものでも原初的なものでもなく、構築されたものであると予感していた。最も明瞭な例は、ロベール・ローウィの例であると思われる。彼はまさしく中央アジアと東アジアに興味を持ち、女性が劣るという、反女権的観念の伝播が進行しつつある地域の存在に気づいていた。この観念はキルギス人にあっては完璧なまでに明瞭に認められ、北東部の古シベリア人にあっては微弱なものであった…。ローウィはこのように中心と周辺という体系の一端を把握していたが、このモデルが旧世界全域にわたって機能し得るところまでは見えていなかった」206頁

「研究領域を地球全体に広げてみれば、共同体的家族形態の出現がどれほど容易ならざることであるかを正確に評価することが可能となろう。アメリカ大陸とオーストラリア大陸においては、インディアンとアボリジニという、ヨーロッパによる征服『以前の』住民の間では、核家族サイクルが完全に優位を占めている。しかし純粋な共同体家族がこの地に、外部からの影響も伝播もなしに自然発生的に出現することは決してないということを確認するのは、数百の集団を対象として、検証をずっと先にまで推し進めた場合にのみ可能であろう。調査をサハラ砂漠南部のアフリカにまで拡大してみると、概念の調整の問題が出てくるだろうが、これは家族の発展サイクルという概念そのものを変更させる一夫多妻制が全域にわたって存在するからである。とはいえ、父系相続の極めて多数の形態、さらにそれ以上に多くの夫方居住の形態が、共同体家族の存在を暗示しているが、これはブラックアフリカ北部が広くイスラム化されているから、アラブの共同体家族に連続するものであろう。こうした研究を突きつめれば、おそらくわれわれが提示した伝播モデルがこのアフリカにまで拡大されることになるだろうし、家族の歴史という面ではアフリカは旧世界に属していることをおそらく明らかに示すことになるであろう」206頁

「こうしたかくも単純な構造が、かくも長い間観察者の目から逃れていたのは何故であろうか。おそらく家族のサイクルが、文化的・経済的発展水準にあまり対応していないからである。特に核家族サイクルと直系家族サイクルは、まことに無差別的に、きわめて発展した集団の特徴でもあり得るし、きわめて原始的な集団の特徴でもあり得る。伝播のモデルを完全にその一般性において把握する…
 それはまた、おそらく言語学者および方言学者によって練り上げられた地図解釈の技術が、他の分野に採用されなかったことにもよる。…周辺部および孤立した地域における保守性という原則は、一般的原則であり、言語学以外の多数の領域に適用されうるものなのである」206-7頁

系統樹的思考へのアンチテーゼ…おもろいなあ。トッドちゃんの本筋の議論よりも遥かにおもろい😅

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