「アメリカ型の家族(絶対核家族)も日本型の家族(直系家族)も、伝統的な農民の家族のタイプであって、さしあたり通時的な前後関係はないのである(さしあたり、というのは、最近トッドが始めた、家族制度の変遷の通時的研究では、絶対核家族が最も古い形態であるという、逆説的な結果が出ているらしいからである)。ただ近代性というものは、アングロサクソンによって形成された側面が最も強いため、絶対核家族的な人間関係(個人の独立性、自由主義)が近代的人間関係を代表するように見え、また家族が一つの経営体を構成しなくなった現代の都市型サラリーマン社会では、3世代同居の直系家族型の家族構造よりは、核家族の方が優勢になるという事情もあるため、ここに歴史的進化を見たがる傾向が生じたと考えられよう」17頁
「トッドによるプロテスタント像の転倒…形成期の資本主義の精神を体現するイデオロギーという、ウェーバーが確立したイメージに真っ向から対立して、トッドは、プロテスタンティズムとは何よりも、直系家族地域に群立する小貴族たちのイデオロギーであると言う。その救霊予定説は絶対的な神の意志と霊の救済の不平等を内容とするものであり、権威と不平等の価値観に根ざすものだからである。それゆえこれは直系家族地域に広がったが、自由と平等の価値観に立脚する平等主義核家族地域には頑として受け入れられなかった。当時のカトリック教は、トリエント宗教会議によって、救済の平等と人間の自由意志の観念に基づいて再編成された、自由と平等の価値に立脚するイデオロギーであった」44頁
「産業革命が起こったインクランドは核家族地帯で、しかも識字化についてはドイツ、スウェーデンの後塵を拝していました。では何故産業革命があのように急速にイングランドで進展したかというと、一つは絶対核家族は子供の早期の旅立ちという要素をもともと持っていて、可塑性に富んでおり、農民たちを根こそぎにしてしまうという点において非常に有利であった、そういうことがしやすかった、ということがあるように私[トッド]は分析したのです。イングランドで粗暴な資本主義革命が起こったあと、今度は識字化が進んだ国々で産業革命が起こります。これらの教育水準の高い国々における第2次産業革命は、アングロ・サクソン的な絶対自由主義的なものに激しい抵抗を示しました」95頁
「分布図の中央を占める共同体家族は、周辺地域の家族システムよりも新しいシステムであるという結論が導き出されたのである」178頁
「父親と妻帯の息子たちの同居、出身集団からの娘の排除、社会集団の定義における男の絶対的優位の断定、こうしたものが組合わされて、複合的で、ある意味では人工的な——いずれにせよ人間の本性から自然発生的・一般的に出てくるものではない——包括的構造が出来上がるのである。したがってこの家族型は数多くの民族によって創出されたものではないことが理解できる。父系共同体家族の成功は、それが旧大陸に大量に広がったことで証明済みだが、その理由はおそらく、平等主義的であると同時に権威主義的なこの家族組織モデルが、その担い手たちに軍事的優位を与えていることにある。『父親・息子・兄弟』からなる家族集団は、必然的に父系従兄弟にまで系統樹的に広がりを見せるが、そうなるとこれは一つの民族であり、軍事組織の萌芽である。集団を父系で決定することは、男の、そして征服を目指す戦士の秩序を生み出す。とはいえ軍事的征服のない父系共同体的特徴の伝播の可能性を先験的に排除することはできない」202頁
「当初の状況は異種混淆的であった
周辺的で孤立した圏域が保守的であるという原則に基づけば、革新が中心から広がる時、周辺部の状況は、革新以前の中心部の状況を反映していることになる。それ故に、現在の周辺地域の状況を観察することにより、われわれは父系共同体家族という革新以前に、旧世界の中心にあった家族システムの状況がどんなものであったかを想像することができる。異なる家族サイクル(直系家族、核家族など)が周辺に共存することから、中央部が共同体家族化される以前には、旧世界は家族構造の面では均一ではなかったことが分かる。したがって共同体家族という革新を同定したということは、すべての家族の歴史が発する起源の時点を把握したということにはならない。というのも核家族と直系家族というもっとも重要なサイクルの周辺空間への配置は、いかなる明瞭な規則性にも従っていないのである」203頁
「われわれの仮説が正しいのなら、父系共同体家族システムとその他のシステムとの間の接触前線は、時代とともに旧世界の中心部から周辺部へと移動して行ったはずだということになる。…
中国においては共同体と父系の原則が広がるのは、北西の果ての秦王国(現在の陝西省と甘粛省)に始まったようである。…秦の始皇帝の権力奪取は、平等主義的で権威主義的な新しい政治的イデオロギー——『法家イデオロギー』——の実践と妻方居住慣習の禁止がその特徴となっていた。秦の始皇帝以前の中国北部における直系家族システムの存在は、孔子思想により証明されるか、あるいは少なくとも推測される。この思想は、孔子の故郷である魯(現在の山東省南部、太平洋沿岸地域)に結びついているもののようで、次男以下の子供は長男に従い、子供は親に従い、妻は夫に従うことが規定されていた。それに長男と次男以下の対照は、最も旧い時代から中国語の語彙には存在していた。中国には兄弟を意味する一般的用語は存在しない。…[秦の焚書坑儒]後に儒教が復活した時、家族に関わる内容の不平等主義的様相は大部分抜きとられ、国家官僚制度の公式イデオロギーとなっていた」203-4頁
秦の儒教弾圧をこんな風に解釈するとは斬新だなあ!!
「エジプトから、現在共同体家族化されている地域の中心の方、チグリス・ユーフラテス川の方へ戻ると、保存された最も古い資料が変化の痕跡をすでに明らかにしている。ハムラビ…の法典では、兄弟の平等と相続からの娘の排除が認められるが、同じく新しい夫婦はその世帯を創設しなければならないことも記されている、と指摘する注釈者もいる…。この2つの規則が組合わされば、父系核家族サイクルが成立することになるが…これよりも少し北のアッシリアでは、これよりもかなり後の紀元前12世紀末頃に、本物の共同体家族が存在した可能性がある。アッシリアの法律には、兄弟間の遺産共有という状況がかなり頻繁に暗示されているからである。しかし最初に生まれた男児に2倍の取り分があることから、実質的な長子権が感知され得る…。それ故に父系共同体家族とそれ以外の家族との接触前線は、中国であろうと近東であろうと、古代から現代までの間に中央部から周辺へ移動したと思われるのである」205頁
「研究領域を地球全体に広げてみれば、共同体的家族形態の出現がどれほど容易ならざることであるかを正確に評価することが可能となろう。アメリカ大陸とオーストラリア大陸においては、インディアンとアボリジニという、ヨーロッパによる征服『以前の』住民の間では、核家族サイクルが完全に優位を占めている。しかし純粋な共同体家族がこの地に、外部からの影響も伝播もなしに自然発生的に出現することは決してないということを確認するのは、数百の集団を対象として、検証をずっと先にまで推し進めた場合にのみ可能であろう。調査をサハラ砂漠南部のアフリカにまで拡大してみると、概念の調整の問題が出てくるだろうが、これは家族の発展サイクルという概念そのものを変更させる一夫多妻制が全域にわたって存在するからである。とはいえ、父系相続の極めて多数の形態、さらにそれ以上に多くの夫方居住の形態が、共同体家族の存在を暗示しているが、これはブラックアフリカ北部が広くイスラム化されているから、アラブの共同体家族に連続するものであろう。こうした研究を突きつめれば、おそらくわれわれが提示した伝播モデルがこのアフリカにまで拡大されることになるだろうし、家族の歴史という面ではアフリカは旧世界に属していることをおそらく明らかに示すことになるであろう」206頁
「こうしたかくも単純な構造が、かくも長い間観察者の目から逃れていたのは何故であろうか。おそらく家族のサイクルが、文化的・経済的発展水準にあまり対応していないからである。特に核家族サイクルと直系家族サイクルは、まことに無差別的に、きわめて発展した集団の特徴でもあり得るし、きわめて原始的な集団の特徴でもあり得る。伝播のモデルを完全にその一般性において把握する…
それはまた、おそらく言語学者および方言学者によって練り上げられた地図解釈の技術が、他の分野に採用されなかったことにもよる。…周辺部および孤立した地域における保守性という原則は、一般的原則であり、言語学以外の多数の領域に適用されうるものなのである」206-7頁
系統樹的思考へのアンチテーゼ…おもろいなあ。トッドちゃんの本筋の議論よりも遥かにおもろい😅
「跡取りでない者は色々な形で排除されるが、正式のものであれ潜在的なものであれ直系家族というものは、地球の至るところで傭兵を産出する傾向があることを改めて指摘することができる」182頁