こういうのは普段はあんまりやらないのですが、Colabo、および仁藤さんに支援/寄付をお願いします。
https://x.com/colabo_yumeno/status/1859111512285343929?s=46&t=d26b_mW1KN-U-AGyXIiaTg
ツイートでも書かれていたように、新宿区が悪質な妨害によりColaboを追い出した結果、それが最悪なものになってしまい、なおかつ取り巻く状況は悪化しています(少なくとも、吉住区長はあんなやつなので、ああいうのがトップな限りは変わらないでしょう)
そのため、本当にわずかでもいいので、できる範囲で支援をしていただきたいのです。
寄付もOKですし、「欲しいものリスト」の商品を購入するだけでもOKです。
本来は、行政がやるべきな行為であるし、行政こそが仁藤さんなどの声を聞かないといけないはずなんですが、残念ながら今の日本じゃ難しいでしょう。なので、市民が支えていくしかない、と思っています。
LGBTQ+差別に反対する小説家の声明 に賛同し署名しました。
I endorsed and signed Statement by Authors in Japan Opposing LGBTQ+ Discrimination
ウェブ連載中のエッセイ「A is for Asexual」が更新されました!
「付き合うって何なんだ」、後編です。
どうぞよろしくお願いします。
https://littlemore.co.jp/a-is-for-asexual/06
寂しさとアイデンティティのはなし
でもこうしてアイデンティティを明らかにして関われた人とは、本当にヘルシーな距離を持って関わりを続けられたり、明らかにしていないところではなかなかない共感を持てる話がたくさん、言い方・話し方に引っかかりも少なく聞けたりする。一方的にでも、この人の話は聞いていられる、聞いていたいっていうぼくだけの仮想コミュニティみたいなものができたりする。
アイデンティティの話はやめない。たとえば同性婚賛同スタンディングではノンバイナリーフラッグを持っていって、「いっしょ!」て旗を振り合った人がいたり、Aceリングも「Aceリングですか?」てお話しできたりして、アイデンティティを明らかにしたことでできた繋がりもあるし、ぼくは不可視の周縁に押しやられることに抵抗し続ける。
いま寂しくなっちゃってるのは、Shippingの活動をしてるにあたっての話なんだけど……
長く映画ジャンルにいる友と、ちょっとジャンル移って界隈の層が変わったときに抱えてる問題意識の差がすごいって感覚をよく共有しあうんだけど、本当に断絶がひどいと馴染むとかまったくできなくて完全に関わりを諦めるか関われる極小のひとを見つけてお互いを頼りに海を漂うか……みたいなとこがある。
寂しさとアイデンティティのはなし
過去Xのアカウントで一緒に遊んだこともある人が、ぼくがトランス差別に強く反対していることも葛藤しながらノンバイナリーであるアイデンティティを獲得していった過程も知っているはずなのに、トランス差別が勢いづいた時にノンバイナリー差別ツイートを積極的に流してきたことがあって、すぐに距離をとったもののそこそこショックを受けドチャクソ悔しいが心に傷もできてしまったらしいのね。それからSNSで新たに仲良くなりたいと思ってもどこかでプロフィールで公開してるアイデンティティが相手や自分が関わりを深めるにあたって壁になってるんじゃないかと考えてしまう一瞬がある。
それでもぼくは人とおしゃべりしたり関わることがすきで、できれば同じものをすきな人と(もちろん差別主義者などを除く)たくさん仲良くなりたいと思ってしまう。自分を守るために公開するものは目につく範囲を限って、コミュニケーションを取ろうとする前には慎重になってってするんだけど、それだとずっと寂しさがある。何の躊躇いもなく人と関わり合いたい。
逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』読了
陰惨で悲壮な死の場面は数えきれないほどあったけれど、セラフィマ生還後のターニャとの会話で、唐突に涙が溢れた。「あたし、本気で思うんだ。もし本当に、本当の本当にみんながあたしみたいな考え方だったらさ、戦争は起きなかったんだ」戦うのか、死ぬのか。問われて、どっちも嫌だ、とターニャは答えた。「治療をするための技術と治療をするという意志があたしにはあり、その前には人類がいる。敵も味方もありはしない」読む前にも、読んでる最中にも、読み終わった今も、世界は侵略と略奪と虐殺を重ねている。期日前投票を終えて、鏡の前に立ったぼくは憲法14条を掲げたTシャツを着ている。戦争が終わって、戦争の恐ろしさを知る人々が獲得した「保障」を、絶対に手放さない。奪わせない。
逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』読了
壮絶だった。刊行された当初シフターフッドの名作と見かけたが、確かにこれは女同士の連帯であると思うと同時、戦中を戦って生きた「女性」という属性を抱えた人間の連帯であると感じた。シフターフッドの一言で集約してしまうことは、あまりに戦時における「女性」に向けるべき想像力を欠く。物語全体がロジカルだとも感じた。歴史として実在した戦争という舞台や背景はもちろん、展開にも綿密に組まれたな流れがある。猟銃しか扱ったことのなかったいち猟師の娘が狙撃学校から戦場へと場を移していくなかで、読者の私も戦争を読むことに最適化されていった。読み終わって気づいた。小隊の狙撃兵を中心とした各人の感情も、制御のつかないものではなく、バックボーンから戦場に至るまでに紡いできた歴史に支えられた、それぞれの流れがある。生者も死者も数字に取り込まれ、あらゆる戦いが国家の勝利と敗北に振り分けられる、読みながらその渦中に置かれる体験をなぞる。それに言いようもない虚しさを覚えながら、その概略化された死の中で、同志少女は「敵」を撃った。壮絶な帰結だった。
ブルスコ移動あったみたいだから乗せとく〜
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