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Mastodonを何となく見ていると、アメリカ在住の日本語話者の人などが「Twitterは過去になった」と述べているのが目に入ったりするが、「アメリカに住んででアメリカのサービスを使ってアメリカに住んでいる自分に必要な実用情報を得ている」という立場の人と、爆撃があると叫び声をあげるより早くハッシュタグでGaza Under Attackと書き込んでいる人や、それを追うことでせめてもの連帯の意を示し、それによって自分の精神の安定を得ている人とは、Twitterの使い方もTwitterへの依存の仕方も全然違う。

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現在、自分の環境で、Twitterでないと情報が入ってこないとい分野は、第一にはパレスチナ。ガザ地区もだけど、ここ数年、急速にヨルダン川西岸地区とエルサレムの状態が悪化していて、その民族浄化を伝える大手メディアはほとんどないからね。「ガザ地区からロケットが」で即座に記事化する日本のメディア(特に毎日新聞)も、西岸地区での暴力はシカトぶっこいてる。

それから、シリア。イスイス団が暴れていたころに比べてSNSでの英語情報発信自体が減っているが(例えばラッカはイスイス団を追い出して以降は情報が出てこない。それ自体が憂慮すべきことであるが)、英語圏のSyria Campaignや日本のSSJ、現地のWhite Helmetsなどはメイリングリスト的にTwitterを使っている。大手メディアは、英語圏であれ日本語圏であれ、シリアについては、ほとんど取り上げない。

同様に、2011年の「アラブの春」の各国の情報もどのマスメディアもほとんど取り上げていないが、SNSで英語で発信しているところが激減してしまった。普段目にするのはバーレーンとシリア、エジプトのアラア解放要求くらいか。

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”日本軍による性暴力の被害者は「身体女性」だけではない”
hokke-ookami.hatenablog.com/

ただ、日本軍の性暴力の被害者に「男性」がふくまれていたことは史実と考えられる。
 たとえばアジア女性基金が2003年におこなった会合の報告書に「男性の被害者」という章があり*2、オランダ人の「少年」の被害者が4人いたことが指摘されている。
awf.or.jp/pdf/0181.pdf

事業実施委員会は 4 名の男性を事業対象者と認めた。彼らは第二次世界大戦中の 8 歳から 10 歳の少年だった頃、日本軍の軍人らから脅され、自分たちの意思に反して非道に組織的に性的虐待やレイプを受けたためであり、これは「慰安婦」にされた女性たちの状況となんら変わらないものである。

3 人の男性は結婚し子どもをもうけたが、少年時代のこの恐ろしい記憶は妻には話せなかった。また話してもごく簡単に話すだけだった。

 拘束性や継続性などから日本軍慰安所制度と同じ枠組みの被害と報告書は位置づけている。虐待が「同性愛的」であることをもって「自然の性に反している」と評価しているところなどで報告書にも疑問はあるが、日本軍の戦時性奴隷に「男性」の被害者もいたことはわかる。

毎年の8月1日は が、自分達が望んだ名前を取り戻した日です。
それ以前は「蛮仔」「高山族」「高砂族」「山地同胞(山胞)」など為政者が決めた名前が使われてきましたが、「もともと住んでいた民」という意味の「原住民」という名前への改修を求める「原住民族正名運動」を始めたのが1984年、憲法にあった「山胞」という名称を「原住民」に改定されたのが1994年、そこからさらに4度の憲法改訂を経てよりエスニックグループとしてのまとまりを表現する「原住民族」という名称になったのが1997年。
この変更を記念し8月1日を に制定しました。

8月1日原住民族日—我是原住民!我驕傲! youtu.be/wEdFnX8F_94

Twitterのバズったツイートのリプ欄にグロ画像貼られてるから気をつけろとか、バズってるツイートはリプ欄確認してデマかどうかも確認しろとか結構前から言われてたけど、それも2ちゃんねる的な行動だよね
実際なんか前にフォロワーが流してきたrtがおかしいな?って思ってリプ欄とか引用とか見て念のため調べてみたらデマだったから、それデマですよって指摘したら「すみません……」「最低だ俺……」って被害者面?されたことがあって、めんどくせ〜!!!!!ってなったことある

私も学生時代に2ちゃんねる見てたからそれは恥じている

あとなんとなくなんですけど、2ちゃんねる的な話題にいつまでも乗っかって嘲笑冷笑仕草をしていたり、犬笛や差別扇動デマを脊髄反射でRTしたりする人に限ってべつにちゃんと調べないしそれ間違ってますよとかデマですよとかの指摘にはやっぱり冷笑仕草するか被害者面する傾向がある気がする
自分の怠慢を認めたくないし、それが(2ちゃんねる的な)オタクの姿勢として正しいと思ってるからなんかなとはおもう

キイロスキィさんへ
同居人がゴーヤチャンプルー作ってたのでぼくも明日ゴーヤチャンプルーを食べます
ほしざき

私は自分がおもんな…と思ったらブロックしたり、それ差別だと思うけどそれについて言いたいことがあるならインプレッションの多いものを利用しないでてめえの口で言ってみろよを込めて空中に怒りをぶちまけるときがあるけど、BTの通り危機察知した人が別のところに移動した結果明確に閉鎖的な「2ちゃんねる化」が進行するんだろうなっていうのもわかるなぁ

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Twitterが2chになってるっていうのはほんとにめっちゃわかるんだよな……「これ、ほんとにおもしろいと思ってRTしてんの?」とか「それもう10年前から転載アカウントって言われてるものなのにリテラシーねえのか」みたいなのにもよくぶち当たるし得てして思春期~青年期にネット環境があったがために2ちゃんねるを見てあそこにあるミソジニーに迎合してしまったりふんわりと流れている大日本帝国軍バンザイみたいな空気に気づかないまま染まった30代以降くらいが多いんだけど、「オタクだったら面白いだろ?水挿して顔真っ赤wwww本気にすんなよネタだろ」みたいな、自分が間違っていると思いたくない羞恥と、権力者(2ならひろゆきだし、鳥ならイーロンだと思う)が用意した場でインプレッションの多い話題を一緒に嘲笑している自分は理性的で理論的で多数派であるみたいな思い込み?うまく言えないけど そういうの感じる

問題は、2ちゃんねる的なものが陽の当たる場所で活動できてしまっているということなので。かつては2ちゃんねる的な場所でしか大手を振ってできなかった振る舞いが、むしろメインストリームであるかのように存在できるのがTwitterなのだと思う。

これはどのSNSも同じなのだろうけど、そもそもミーム的なものが生成され、それがいろいろな物事に「雑に」応用できてしまう、その事象自体が2ちゃんねる的な気がするのだけど、どうなんだろうか。ウケのいい言葉、という器に物事をひょいと放り込んでいく感じ。そこには慎重さは不要であり、むしろある程度の粗雑さこそが必要とされる。

つまり「バズり」だ。「ウケる」ことを優先し、慎重になることを避けてしまうありかた。それを皆が無自覚に追求してしまっているのだから、マスクがいなくてもすでに2ちゃんねる的な掲示板文化は育まれていたのだろう。

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Twitter、いまはもう「これは言っておかねばならないな」ということだけ言いにいく場所に少なくとも個人アカウントはなっていて、お店アカウントのほうが問題だったりする。でもさすがにもうその時期は近づいているように思える。

とはいえ。とはいえである。

結局のところ、現時点ではTwitterがもはや2ちゃんねると化しているということに気がつかないまま使っている人が大多数であり、そうである以上そこにある程度関与をしていかないと「なんもわからんまま2ちゃんねる化した空気を吸い続ける」人がなんの抵抗もなく増え続けてしまう。となると、Twitterはもはやまともではない(使うべきではない)ということを周知させつつ、みなで徐々にソフトランディングしていかないといけない。だから、環境把握がうまくできている者のみがさらっと退避することには、どうしても恐ろしさを感じてしまう。

いっそのことマスクがもっとクソな環境(主にシステム面で)にしてくれれば、シンプルに「使いにくい」という理由でユーザーが離れてくれるので、むしろそのほうがいいのかもしれない。

『強制連行で連れてきた朝鮮人や中国人も同じく被爆しました』ってなんで言えないの?何か都合の悪いことでもあんの?

ありえない規模で仕入れっていう文面で笑っちゃったけど時々狂ったことするでおいうちされた 関心が高い方がいるんだろうか

新宿の紀伊国屋の仕入れ時々狂ったことするからな。(働いてたから知ってる。)

『トランスジェンダー入門』あと1週間はおそらく市場に在庫(重版)が出回らないのですが、都内にお住まいで、急ぎ必要な方は、丸の内オアゾ内の丸善か、新宿の紀伊国屋書店を利用してください。前者はおそらく主たる客層(ビジネスマン)とのズレにより、後者は書店員さんがあり得ない規模で仕入れてくださったことにより、いずれも店頭在庫が豊富にあります。

これはむしろ、私企業のサービスにタダ乗りして準インフラ化させちゃった行政側に責任がありそう。

〈Twitterより転載〉

 報道にある通り、立命先端研の教員、立岩真也さんが亡くなりました。厄介な病気とは知りつつ、何日か前まで普通にメールもあり、本人もずっと戻ってくる気でいたと思うので、この事実を受け止めかねています。
 2006年、医療訴訟と生活を両立させるために、先輩に勧められて立岩さんに会いました。だから彼を研究者として評価するとか学問への憧れということとは距離があり、ただ助成金書類を書いて食い繋いだり、危ない精神状況のときに話を聞いてもらったりすることに関して世話になっていました。本当に変な人でしたが、立岩さんも私を変人だと思っていました。だからこそ先端研で博論を書くことができたし、激しい浮き沈みの中で本を出すこともできました。
 まだ思い出を語るような段階ではありません。立岩さんに関するURLを置いておくので、その人となりに触れてもらえると私も嬉しいです。

・カライモ学校 吉野靫×立岩真也
『誰かの理想を生きられはしない 
とり残された者のためのトランスジェンダー史』刊行記念トーク
arsvi.com/2020/20201103yy.htm

・東京大学REDDY連載「生活するトランスジェンダー」第8回「悩みはいばらのように降りそそぐ」
reddy.e.u-tokyo.ac.jp/act/essa

「俺には想像もできない彼らの苦しみは、彼らが目にした無数の途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば何でもないことなのだ。
記憶は人の口を経る度にどうしようもなく薄れていく。あの人たちが忘れられることをどうしても許せなかった記憶ももうほとんど忘れ去られている。
78年前の途方もない苦しみはもうほとんどが消え去って、二度とは語り継ぐことはできない。
あの原爆で最も苦しんだ人たちは、それを誰に伝えることも出来ないまま焼け跡で腐れ落ちて死んだ。
それを自分の目で見た人々も、多くは口をつぐんで墓まで持って行った。僅かに語った人々もほとんどが墓の下だ。
老人たちの言葉と比べて、自分の言葉は何と軽いのだと思う。こんな軽い言葉で語るくらいなら、口をつぐんだ方がマシだとさえ思う。
それでも誰かが継がねばならない。俺のこんなにも軽い言葉でさえ、もはやこの世に残された原爆を語り継ぐ声の上澄みなのだと気が付いた。
自分ごときがと思う気持ちは痛いほど良く分かる。それでも口を閉ざさないでほしい。語るべきでないと、口を閉ざした結果があれなのだ。」

anond.hatelabo.jp/202308011407

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