ついでに述べると、この動向に来年は田中優子も便乗して、江戸文藝を育んだ「遊廓文化」などを賞揚するのに違いあるまい。氏がこれまで上梓してきた著述や、今年の春に東京藝大で開催された「大吉原展」の内容(田中氏が学術顧問)に照らせば明らかである。

スレッドを表示

今年もまた、明年のNHK大河ドラマ便乗本が数多くリリースされる時期と相なった。
しかし題材の特殊性(江戸の遊廓・本屋・浮世絵がメイン)もあって、その多くは文学や美術史サイドからの執筆となっている。実際にも、ドラマ制作の考証部門に文学研究者たちが入っている。
いっぽうで歴史学研究はといえば、ずっと18世紀政治史研究すら低調なので、「動員」をかけられている様子は観察できない。雑誌の特集で本郷(和)さんが田沼政権に論及したり、戦国史をメインにしている某氏が新書を上梓する、といった具合であり、専門外からの発言には驚かされる。
どちらかといえば便乗しない近世史研究者のほうが多い、とも言えそうだ。ただ新吉原については、この分野の第一人者による著作が予定されており、それだけが救いとなろうか。

杉本ヒロシがダシになってるのは流石だと思ったな。『苔のむすまで』からの引用文が、例文。

金沢や仙台、萩に鹿児島、松前や対馬府中といった地方城下町群をそれぞれ「首都」と呼ぶとしたら、大変に違和感がある。

スレッドを表示

近世日本が「連邦制」だとすると(そういう学説がある)、もはや当時の「首都」「首府」を云々する意味は皆目無くなるのだが、一体そこらへんはどう考えられているのだろうか。

今日たいていは「世のため人のため」に研究をやっている、という面があるものだろうと思っている(自分はそう)。ひたすら私益のための研究など、ふつうにはできるものではない筈だが、しかし、「悪魔の」研究もあるだろうとは言えるしな…

やはりどうしたって闘争は「必要」である。

書店で書棚に自著が「並んで」いるところを撮りX上にアップしている先生がいたのだが、この撮影公開行為は果たして当の書店側からの許諾を予め得ているのか、疑問なしとしない。

微細な戦史研究みたいな感覚で明治維新史を手掛けようとするひとが、どうもいるような。ほら見ろ旧説の説明は間違いがあるぞと。そうした間違いの指摘はいいとして、それで構図の全体がどう変わるのか、そちらはよく看取できない。

博物館の指定管理制度、なんか一個ぐらい長所があったりするのか。

世に通行するところの「解像度が高まる」とは、果たして何の謂であるか。

以前の遊廓研究では、「上級の」遊女と対比させて「下級の」遊女たちなどと普通に表記されていて、別に問題視もされなかった状態が長く続いていた。近世当時での遊女のランキング扱いをそのまま踏襲して、研究者のがわも叙述していたのである。

スレッドを表示

おおむね20世紀末に、日本近世史研究の領域では都市社会史分析が飛躍的な進展をみた。文献史学を中心としたそこでの成果が、文化論や芸能論、文学研究の世界ではさほど導入されなかったという事態があったのではないか、と愚考する。

不採択の申請書面を投稿しているひとまでいる。うっ…

スレッドを表示

SNS上にて、JSPS通知のスクリーンショットを投稿しているかたの多いことといったら… ちょっと自分には真似できない。

同書では「解文」を「げもん」と読んでいる。「申文」を「もうしぶみ」とよむならば、解文は「げぶみ」と重箱読みした方が馴染むように思ってきたのだが、文学畑では違うのだろうか。

スレッドを表示

但馬に「たんば」とルビが振ってある国文学者の本があった。加齢による校正漏れでもあろうか。

ある高名な論者の見解として、《生成AIが普及するとはつまり真実と嘘が入り混じる世界になるということだけど、人類はそもそも長いあいだそういう世界で生きてきた。ついこの間まで写真も録音もなかった。みな記憶で話していた。それでも人類はきちんと秩序を作ってきたわけで、そんなに恐怖を覚えることではないと思う。写真や録音など「エビデンス」を出せば真実が確定する、というこの数十年技術が未熟なために逆に強くなっていた単純な思い込みが失効するだけの話》、なのだという。

この論者が実に歴史を苦手としているのが如実であるが、文献はおしなべて「記憶」に含まれる、エクリチュールとは「エビデンス」に非ず、「記憶」の一環なのであるという立場だと解せば、まずは一貫している。しかし現実に歴史はそのようなものではないし、現行の法制だってそうはなっていない(仮にもそうであれば大混乱に陥る)。

哲学者ジャック・デリダであっても「アルシーヴ」について思考し、「出来事」「日付」の問題について問うていたのである。歴史に興味を失うとはこのような事態かと、改めて実感されるところがある。

daiyoshiwara2024.jp/20240208.p ☜「本展のテーマである「吉原」という場所は、江戸時代に幕府公認のもとで作られました。この空間はそもそも芸能の空間でしたが、売買春が行われていたことは事実です」。【大吉原展】の主催者説明によると、冒頭からこんな謬論ではじまっているが、そもそも新吉原の町制機構それ自体を遊女屋仲間が担っていたという社会構造すら、念頭に置かれていない。徹頭徹尾、近世江戸の社会的実態に対する関心がないのではないかと疑われる水準である。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。