小学2年生の頃、体育の時間に2クラス合同で同性2人組で手を繋いで肩を組んで何か行って帰ってくるみたいのものをした。私は背が高くて1番後ろだったので余って同じく背の高い男の子が1人余って、皆んな終わって座って見てる中で、私とその子が行って帰ってくる番になった。その子はどう思っていたかわからないけど、私はとても恥ずかしくて嫌な気持ちで戸惑っていた。すると、隣のクラスの男の先生が、あら、どうしたの?恥ずかしいの?どうしてやれないの?と笑って、うちのクラスの女性の先生に、◯◯先生!恥ずかしいんだって!ほほほほと言って2人の先生はしばらく笑ってた。他にも皮肉や嫌味を言われたけどどんな言葉を使われたのか覚えていないし、その後どうしたのか真っ白で覚えていない。
この事件は私の心に深く跡を残して長い間苦しかった。今思い出して考えることは、特に上下関係が基礎にある中での嘲笑嫌味皮肉は、辱めを受けたという憎しみを生みやすく、妬み嫉み他の屈折した負の感情を引き出しやすいということ。子育てにおいてやってはいけないこと上位に入ってくることだと思うけど、子育て以外でも私はそういう感情を持ったり言動をする必要がある場面に出くわしたことはない。
性犯罪のニュース見ても他の乱暴なあれこれも、相手を人間と思ってないんじゃないだろうかという疑いしかない。学生の頃、一人暮らしのマンションに帰りの電車がなくなった男友達が泊まりに来たことあったけど、あゆみちゃんはガーガー眠ってたけどこっちはあんまり眠れなかったなどと言ってたけどそれだけのことで、普通そういうものだと思っている。だけど、子供達にそういうことは絶対させないと思うし警戒するよう言うと思う。相手が自分のことを人間として見ている、尊重しているというのは、普段の付き合いから必ずしもわからないし、わかっていてもそんな危ない賭けなどしない方が無難だから。誰かが、ある特定の属性に対して人間として見ていないのでは、という疑問を持つことがあるけど、その警戒心は、そのある特定の属性、人間として見られない場合がある属性、を一つでなく複数持っていた場合、強く出て、敏感になって、災難を避けようとすると思う。警戒心を持たなくても済む人と、とてもそうでは生きていけない人との差を感じざるを得ない。
ここ何年か体調が理由でほとんど料理できなくて、でも、料理ができる体力体調でいることがどれだけ大事かわかり余力を残すようにして、最近また少しずつ作れるようになってきました。ご飯大事。三つ少ない八宝菜。
#夕ご飯
次女報告。今日のテストふたつ。そのうち近現代史。日帝時代の経済、三一独立運動、分割統治ほか。日帝時代の経済について以前授業中、米を作っても日本に送るので民は米ではなく代わりに豆を食べていたけれど栄養価的に問題はなかったとの先生の言葉にショックを受けて、授業後トイレで大泣きしてしまったと聞いていた。三一独立運動、少し前にお友達のおばあちゃんの家でキムチ作りに参加させてもらい、近くの独立記念館に行って勉強してたので1番ちゃんと書けたそう。分割統治について、授業聴いたりレジメで勉強したけれど複雑で難しかったと。次女の話を聞くと、感情移入してしまうのでできるだけ冷静に聞いてきたつもり。
残るは、今夜11時59分〆切の東アジア史のレポートと、明日の日本の政治経済文化史のテストのみ。日本の政治経済文化史の授業は、テキスト見せてもらったけど、明治以降の歌謡曲の歴史とかとても視点が面白く、多分野横断する進められ方は、あああの動く年表だなと思い出したり。
これで次女の1年間の留学生活が終わります。私の頃の留学と違ってほぼ毎日ビデオ通話で報告を聞くので私も一緒に体験してきたような気持ちで感無量です。
東北の震災の後、過去自衛隊員だった人も登録しておくと災害時救援活動に行ける、というような話で元夫も登録するかと話してたことがあった。正規自衛隊員が十分入ってくれた上で更なる人員確保というものだったと思う。今、あの時のように被災地に自衛隊を入れないこととか、勉強するために大学に入学した学生達を低賃金のアルバイトでもっと働かせようとか、他でもそうだけど、とても強い加害欲を感じる。10年ちょっとでこんなに変わるのかというほどそれが膨れ上がったと感じる。
娘の留学先で留学生に2人ほどサポートをしてくれる学生がつく。そして交流の度に留学生にもサポートの学生にも補助がでる。それを使ってカフェで話をしたり、博物館に行ったり、お互いに有意義な時間を過ごすことができ、補助という行為で後押しを感じることができる。その国ではとてもさりげないシステムの一つなのかもしれないけど、痛みを感じることが多い中で生きてると、なんと温かくて優しいんだと思ってしまった。反対にこちらはどうしてこうなったんだろうと思ってしまった。
私の昔のパートの先輩方は、主婦の達人が多く、料理のこと、子育てのこと、いろんなことを教えてもらった。季節ごとに大きな箱を背負って築地に行って塊り肉や魚、果物などを買ってまとめて調理する話や、夕ご飯の下ごしらえは子供達のお昼寝時間に済ますとか、晴れの日の公園で思いっきり子供達を遊ばせ、ママ友同士での助け合いとか、勉強しなさいなんて子供達に言ったことないわよとか、母は子供達の食事と体調と気にしてればいいのよとか、焼そばは小袋開ける前に調理バサミで半分に袋ごと切っちゃうと混ぜるのも子供達食べるのも楽よとか、、、なんでも教えてもらった。
一方で、どちらかと言うとお仕事に関してはフォローさせてもらうことが多く、時給では絶対勝てない先輩の分までやってたために上司に文句言ったこともあった。でも、人間力は一つの物差しでは測れない、尊敬するパートの先輩方。今はもう定年で退職された方が多く寂しい限りだけど、以前の他の職場でのパート仲間も、結婚する前は銀行に証券会社に裁判所にやり手な方々が多く、短時間ぎゅっと仕事して最低賃金時間給で働いて貢献していた。昼休みに皆んなでご飯食べながら過去のバブリーな話で盛り上がったのは忘れられない。パートで仕事するってそんなだった。
シンママ10年で子供達も大きくなり、人生もう一周りが始まりました。ギター弾いたりお絵描きしたり。🌹🌼🌿🌹🌼🌿