氏神様四社のうち最後の一社御礼詣りに行ってきた。昨夜三社まわった時はあんまり寒くなかったけど、今日は昼間でお日様が照っているのに風がとても冷たい。帰りハンバーガーを買って帰宅。あとは残りの1週間で仕事納めて帰省するのみ。コーヒー淹れてゆっくりする。

綺麗なメリヤス編みです🥰私もやりたくなってきましたー

私も半径100メールの幸せのためにって思ってます。まずは。

学生の頃バイト先にAV雑誌の編集長だというお客さんが来てついたことがあった。自分のえげつない体験や考えを私に話し続け、私の反応が気に入らなかったのか、今まで行った店の最低の女の子よりもっとおまえひどいと罵られたことを思い出した。女性に対する見方に驚いたけど、聞いてもないのに自分の母親への憎しみを付け加えていたことを曖昧だけど思い出す。男の子を育てる側になった私が、意識無意識に考え方の基礎基準のようなものの一つになった経験だった。

大人になるって豊かなことですね。

😱今は大丈夫なんですか。お大事にしてくださいね。

中1から不登校になって今年通信高校に入った甥っ子が、長い冬眠を終えて動き出した。本人の努力とともに、妹夫婦の辛抱強くなかなか産まれないたまごを優しく温め続けたようなそんな毎日を思って言葉にならない。

性犯罪のニュース見ても他の乱暴なあれこれも、相手を人間と思ってないんじゃないだろうかという疑いしかない。学生の頃、一人暮らしのマンションに帰りの電車がなくなった男友達が泊まりに来たことあったけど、あゆみちゃんはガーガー眠ってたけどこっちはあんまり眠れなかったなどと言ってたけどそれだけのことで、普通そういうものだと思っている。だけど、子供達にそういうことは絶対させないと思うし警戒するよう言うと思う。相手が自分のことを人間として見ている、尊重しているというのは、普段の付き合いから必ずしもわからないし、わかっていてもそんな危ない賭けなどしない方が無難だから。誰かが、ある特定の属性に対して人間として見ていないのでは、という疑問を持つことがあるけど、その警戒心は、そのある特定の属性、人間として見られない場合がある属性、を一つでなく複数持っていた場合、強く出て、敏感になって、災難を避けようとすると思う。警戒心を持たなくても済む人と、とてもそうでは生きていけない人との差を感じざるを得ない。

なるほどそうなんですね。不機嫌を振り撒かれるのは子供でもなければほんといただけないし、人によって態度を変えるのは信用するのが難しいかもしれません。やっぱり弱くてはいけないですね。

いつもながらカッコいいです🥹幼いんだろうなと思います。子供達3人の不機嫌に散々付き合って受け止めて少しずつの成長を見てきた私としては、そういう大人を見ると、甘えや不機嫌を受け止めてもらうのが足りなかったのか、と思ってしまい、強く出れないという葛藤を感じることがあります。でも、必ずしも全て足りて大人になる人ばかりではないはずなので、気付いたところで自省していくしかないかなとも思います。その上司さんも気付いたでしょうか。

ここ何年か体調が理由でほとんど料理できなくて、でも、料理ができる体力体調でいることがどれだけ大事かわかり余力を残すようにして、最近また少しずつ作れるようになってきました。ご飯大事。三つ少ない八宝菜。

次女報告。今日のテストふたつ。そのうち近現代史。日帝時代の経済、三一独立運動、分割統治ほか。日帝時代の経済について以前授業中、米を作っても日本に送るので民は米ではなく代わりに豆を食べていたけれど栄養価的に問題はなかったとの先生の言葉にショックを受けて、授業後トイレで大泣きしてしまったと聞いていた。三一独立運動、少し前にお友達のおばあちゃんの家でキムチ作りに参加させてもらい、近くの独立記念館に行って勉強してたので1番ちゃんと書けたそう。分割統治について、授業聴いたりレジメで勉強したけれど複雑で難しかったと。次女の話を聞くと、感情移入してしまうのでできるだけ冷静に聞いてきたつもり。
残るは、今夜11時59分〆切の東アジア史のレポートと、明日の日本の政治経済文化史のテストのみ。日本の政治経済文化史の授業は、テキスト見せてもらったけど、明治以降の歌謡曲の歴史とかとても視点が面白く、多分野横断する進められ方は、あああの動く年表だなと思い出したり。
これで次女の1年間の留学生活が終わります。私の頃の留学と違ってほぼ毎日ビデオ通話で報告を聞くので私も一緒に体験してきたような気持ちで感無量です。

東北の震災の後、過去自衛隊員だった人も登録しておくと災害時救援活動に行ける、というような話で元夫も登録するかと話してたことがあった。正規自衛隊員が十分入ってくれた上で更なる人員確保というものだったと思う。今、あの時のように被災地に自衛隊を入れないこととか、勉強するために大学に入学した学生達を低賃金のアルバイトでもっと働かせようとか、他でもそうだけど、とても強い加害欲を感じる。10年ちょっとでこんなに変わるのかというほどそれが膨れ上がったと感じる。
娘の留学先で留学生に2人ほどサポートをしてくれる学生がつく。そして交流の度に留学生にもサポートの学生にも補助がでる。それを使ってカフェで話をしたり、博物館に行ったり、お互いに有意義な時間を過ごすことができ、補助という行為で後押しを感じることができる。その国ではとてもさりげないシステムの一つなのかもしれないけど、痛みを感じることが多い中で生きてると、なんと温かくて優しいんだと思ってしまった。反対にこちらはどうしてこうなったんだろうと思ってしまった。

私の昔のパートの先輩方は、主婦の達人が多く、料理のこと、子育てのこと、いろんなことを教えてもらった。季節ごとに大きな箱を背負って築地に行って塊り肉や魚、果物などを買ってまとめて調理する話や、夕ご飯の下ごしらえは子供達のお昼寝時間に済ますとか、晴れの日の公園で思いっきり子供達を遊ばせ、ママ友同士での助け合いとか、勉強しなさいなんて子供達に言ったことないわよとか、母は子供達の食事と体調と気にしてればいいのよとか、焼そばは小袋開ける前に調理バサミで半分に袋ごと切っちゃうと混ぜるのも子供達食べるのも楽よとか、、、なんでも教えてもらった。
一方で、どちらかと言うとお仕事に関してはフォローさせてもらうことが多く、時給では絶対勝てない先輩の分までやってたために上司に文句言ったこともあった。でも、人間力は一つの物差しでは測れない、尊敬するパートの先輩方。今はもう定年で退職された方が多く寂しい限りだけど、以前の他の職場でのパート仲間も、結婚する前は銀行に証券会社に裁判所にやり手な方々が多く、短時間ぎゅっと仕事して最低賃金時間給で働いて貢献していた。昼休みに皆んなでご飯食べながら過去のバブリーな話で盛り上がったのは忘れられない。パートで仕事するってそんなだった。

ここ最近、夕ご飯を写真に撮って投稿して思ったこと。形がテキトーなドーナツとか、さてグラタン用耐熱容器に移して焼こうと思ったら、どこにいったのかなくなってて、仕方なくいつもと違う皿で焼いたグラタンとか。どちらも息子がひどく感動してて、何年ぶりだろ、ママのドーナツはグラタンは!と。最後小学生の頃だったと言われて、あーそんなに作っていなかったのかと自分でも驚いてしまった。離婚してから作ってなかった。ひとりになってそういう余裕がなくなっていたことが、それが少し過去になって、また作ろうという気持ちをまた持てるくらい回復してきた、ということがわかって嬉しくなった。まあその日の体力体調によるけれども。

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