私がひとり親として過ごした10年で、生活保護受給、母子寮入寮と貧困の真っ只中にいて気づいたことは、貧困者に対する世間の一般人の針のような視線だった。お金がない人にはこのくらいの対応でよかろうという蔑み差別が毎日外から押し寄せる。その分際で生意気だと言う気持ちを隠しもしないで責めてくる。どうするの?と詰め寄ってくる。家の中に入ってきて何か相応しくないものを買ってないか見回される。その中でやっつけられないで自分を保っていくには、スーパーサイヤ人のように常に殺気だっていなくちゃいけない。何か言われたら反論できるようにしておかなくちゃいけない。今はもうそこから抜けて毎日穏やかだけど、その過去の記憶が、ものを見る目を変えたのはしょうがないと思っているし、それを経験したことはこれから生きる上で何か必要なことだったんだろうと思う。子供達には希望すればいくらでも勉強させる。

母子寮入寮の時に、寮の方に長女の大学進学を考え直すように言われた時、火を噴いたように私は怒ってその助言に反して長女を進学させた。今、間違ってなかったと思うし、大学に入ってからの次女の頑張りや成長、長男の意欲を思うと最後まで私の中にその火を消さないで、親としての役割を果たしたいと思う。

離婚後10年、子供達の事での大事小事あらゆる決断を自分1人でやらなくちゃいけないことに対して、時々自信がなかったりどうしたらいいかわからなくなったりして、あー相談できる一緒に考えてくれるパパがいたらと心底思ったけど、逆に共同親権とか言われると何も決めることができなくなっていただろうなとも思い、悩ましい。

たとえ奨学金をもらってたとしても、大学生2人抱えて留学もさせてちゃんと卒業させることができるのか不安になってきた。学費を更に上げるとか円安とか。一方で、息子のお友達は皆ヨーロッパやアメリカなどの留学に行く予定で、1ヶ月程度の短期留学でもアメリカだと120万ほどかかるらしく、どんな家の子たちだと思ってしまう。

私が近頃お絵描きしてるのを見て、長女が私も何か描こうかなと天国のマロンちゃんを描いたら、お顔がそのままマロンちゃんで可愛い🥹

お絵描きしてギターレッスンに行く週末ってよき。

ひいおばあちゃんとひ孫、義理おばあちゃんと義理孫娘、私と長女

もうすぐ長女の26歳の誕生日なんだけど、私は長女を27歳になる直前26歳の時に産んでいて、もうそんな歳になるのだと感慨深く、自分はいかに未熟なままで長女を産んだのか改めて振り返っています。26年間でその未熟さに幾度となくぶち当たり思い知らされてきたけど、サナギから蝶みたいに大きな変容を1度経験していて、それがなかったら今の自分はないなと思えることでした。そしてまた最近、同じ程度の変容を促されたことがあり、なんか今朝は羽化したばかりでどうしようかな、飛べるかなと違う世界で周りを見渡しているような気分です。

アーユルベーダのオイルの香りが好きで、疲れた時、お風呂あがりに足に塗って軽くマッサージして眠ると、朝、足が軽い感じがしてすごくいい。

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