江永泉 さんがブースト

国際基督教大学ジェンダー研究センタージャーナル『ジェンダー&セクシュアリティ』に「ベルサーニをトランスする:ベルサーニのクィア理論におけるトランスリーディングの可能性」という論文が掲載されました。ベルサーニをトランス研究の文脈に接続するものです。月内にオンライン公開予定です。

sailemagazine.com/2021/12/qahe

UAE(アラブ首長国連邦)のWEBメディアSail Magazineで、サイエンス・フィクションの概説や、WEBコミック『Qahera』の紹介(作家のDeena Mohamedが18歳で発表。2013年にバイラルヒット。内容はスーパーヒロインもので、イスラミック・フェミニズムの観点で評価されてもいるらしい)とともに「未来主義」の短めなコラムを書いているひとがいた。
上は『Qahera』の紹介記事。

makuake.com/project/kohkankaku

ともだちが香道をふまえたパーティーゲーム<香感覚>をつくりました。においとカードを用いた遊びで、共感覚をもじっているみたいです。

ブックファースト新宿店「 私が今年、出会った一冊」フェア、2023-11-11より2023-12-31までです。
本年のフェアでは、オンライン販売ページの準備もあるようです(17日頃より)。
鮎川ぱて『東京大学「ボーカロイド音楽論」講義』文藝春秋2022を挙げました。
book1st.net/shinjuku/

江永泉「文学フリマ東京37で約11万1000字出すので好きなボカロMVと一緒に紹介する」
note.com/imuziagane/n/nc657f3a

以下の5ヵ所です。

📖『ferne ZWEI』📍ち-19 / ferne
 「ボカロ・コーリング・ユートピア:あなたのためにあったかもしれない理想郷について」【1万3000字】

📖『ボーカロイド文化の現在地』📍ち-18 / Async Voice
 「ボカロ・クロース・エンカウンター:もしかするといるのかもしれない仲間達のために」【2万6000字】

📖『ビジュアル美少女』📍た-02 / ビジュアル美少女
 「美少女ゲーム批評についての異端的論考:Mad eor The Killing Joke」【4万字】

📖『ボクラ・ネクラ 第六集』📍そ-38 / 不毛連盟
 「不法的推理:平成期日本の事例」【3万2000字】

📖『鳩のおとむらい 鳩ほがらかアンソロジー』📍え-64 / 造鳩會
 「はとをうめる / はとよよみがえれ」【イラスト2点+小文】

また📍A-61 / パレオパラドキシア には『ZINEおかけん』があります(2023年5月刊。江永は「歩行、跛行」を寄稿)。

*『ボクラ・ネクラ 第六集』の初頒布は文学フリマ大阪11(2023年9月10日)でした。

フォーマット借りつつ御報告:
📖『ferne ZWEI』
📍文学フリマ東京37|ち-19 / ferne
🗓11/11(土) 12:00〜開催!(入場無料!)
📕イベント詳細→ bunfree.net/event/tokyo37/
c.bunfree.net/c/tokyo37/h2f/ち/

江永泉「ボカロ・コーリング・ユートピア:あなたのためにあったかもしれない理想郷について」を寄稿しました。13000字くらいです。

ボカロ曲などを様々に挙げながら、反出生主義っぽいテーマからユートピアっぽいテーマに移っていく話です。

江永泉「輪廻転生、ディストピア――ボカロ曲における反出生主義と他界の想像」2020を再考しつつ話を広げたもの、と言えるかもしれません(「ボカロ・クロース・エンカウンター」とは別の側面を念頭に)。
note.com/imuziagane/n/n8b9c876

よろしくお願いします。

BFC5 ジャッジ応募原稿|ブンゲイファイトクラブ BFC
@ken_nishizaki
note.com/p_and_w_books/n/nf95e  江永泉「ブンゲイファイトクラブ5ジャッジ志望理由:エッセイ」が掲載されていました。

シンポジウム、無事、終えられました。ご来場の皆様、ありがとうございました。
このようにお話するご機会いただいたことに改めて感謝を。
そして、ご一緒に登壇した小宮りさ麻吏奈さま、司会の曽根千智さま、そもそものご機会くださったカゲヤマ気象台さまはじめ円盤に乗る派の皆様に、心より御礼を。

とにかくポジティブ?思考みたいな感じで話すモードになってしまって、すみません(でも、たのしかったし、何より、ひとりではたどり着けないところまで思考したり表現したりできるのがシンポジウムの醍醐味だなとしみじみしています)。なお、シンポジウムで紹介した10時間の配信は以下のものです。

youtube.com/watch?v=w1wz3qEe9U

熊のようなものとして人工知能に向き合うのは、多分ふだんの自分にはできていないことで、新しい姿勢を覚えることができて、よろこびです。モノの同じさと、ことばをつかうモノたちの同じでなさを、今までと別のやり方で、また新しい視界や対象を得ながら、考えたり話したりしていけそうです。

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フォーマット借りつつ御報告:
📖『ビジュアル美少女』
📍文学フリマ東京37|た-02 / ビジュアル美少女
🗓11/11(土) 12:00〜開催!(入場無料!)
📕イベント詳細→ bunfree.net/event/tokyo37/
c.bunfree.net/c/tokyo37/h2f/た/

江永泉「美少女ゲーム批評についての異端的論考:Mad eor The Killing Joke」を寄稿しました。参考コンテンツ表が全部反映されていれば40000字程度になります。

2021年に「「12歳の少年」の末裔たち(前編):ゼロ年代批評の男性性論的側面の意義と限界」というnote記事を書いていました。
note.com/imuziagane/n/nb752ad3

それから後編をかけないまま気がつけば2023年になっていたのですが、この同人誌の企画を見て、いろいろ思うところができて、寄稿したものになります。ひとを選ぶ内容だと思いますが、自分のnote記事「「12歳の少年」の末裔たち(前編)」の問題意識を反映した内容にはなっていると思うので、もしよろしければ。

フォーマット借りつつ御報告:
📖『ボーカロイド文化の現在地』
📍文学フリマ東京37|ち-18 / Async Voice
🗓11/11(土) 12:00〜開催!(入場無料!)
📕イベント詳細→ bunfree.net/event/tokyo37/
c.bunfree.net/c/tokyo37/h2f/ち/

江永泉「ボカロ・クロース・エンカウンター:もしかするといるのかもしれない仲間達のために」を寄稿しました。26000字くらいです。

ボカロ曲をたくさん挙げながら、幻想文学系とゼロ年代批評系の間でじたばたしてきた自分の話をする、みたいな文章になっていると思います。

途中に「「ホラー・ジャパネスク」ムーブメント」関連言説を自分なりに追い掛けてみたセクションもあるので、そういうのに興味ある方も、よろしければ。

近藤銀河+西條玲奈+清水知子「記憶の継承、未来の複数性」theghostintheshell.jp/mma/colu
Web『攻殻機動隊 M.M.A. - Messed Mesh Ambitions_』より

「清水 ジャン・フランソワ=リオタールは、テクノ=サイエンスが未来と呼ばれているものに現在を隷属させ、偶然性に対する開かれを失ってしまう状況に強い危惧を示していました。[……]AIにいかに偶然性を噛ませることができるのかという点がポイントになってくるように思います。[…‥‥]それからまた、アメリカのクィア理論家であるジャック・ハルバースタムの指摘も忘れてはならないと考えています。[…‥‥]」

「近藤 私はいま、技術は未来を語るものではなく、じつは過去の記憶を語るものではないかと考えています。《攻殻機動隊》シリーズにおいても、押井監督の映画版では、人形使いの話の中で公衆電話が出てくるんです。1995年の当時において現実と未来をつないでいたこのテクノロジーは、いまや追憶の対象でしょう。私たちはノスタルジックなテクノロジーを通じて、過去を想像しながら未来を想像することができる。マイノリティの歴史を継承するうえでも、この方法に可能性があるのではないかと考えています。」

>グロイスのアーカイブ論を想起しつつ読んだ。

引用:
📖「鳩のおとむらい 鳩ほがらかアンソロジー」
📍文学フリマ東京37|え-64/造鳩會
🗓11/11(土) 12:00〜開催!(入場無料!)
📕イベント詳細→ bunfree.net/event/tokyo37/ c.bunfree.net/p/tokyo37/32552

江永も寄稿してます

一覧(掲載順・敬称略)
闇雲ねね/Haru/暴力と破滅の運び手/朝本箍/蜂本みさ/うめおかか/藤和/丼哲/小暮 船/菬人/おだやか希穏/加藤明矢/斉藤鳩/瀬見/皐月まう/中澤一棋/水門なみ/依鳩 噤/児島成/望月一星/小林ひふみ/淡中 圏/織戸久貴/鯨井久志/小野繙/橋元デジタル
かつエッグ/はづき真理/結城熊雄/でんちゃ好き男くん/由/稲田一声/比良岡美紀/小中居かなこ/入ヶ岳愁/七森環/阿下潮/入谷匙/間敷/探偵とホットケーキ/子の字/宇智田/海屋敷こるり/志村麦/瀬戸千歳/青島もうじき/鷲羽巧/犬山昇/さらさらしるな/ぬかるみ/箔塔落/正井/播野葛弥
palomino4th/紅坂紫/上雲楽/不可村/永田大空/伊島糸雨/江永泉/筏九命/千葉集/藤井佯/ときのき/木海/本木晋平/外階段/岩峰晴子/Y.田中 崖/江古田煩人/遊木蛙宮/水町 綜/久佐馬野景/庭幸千/紙月真魚/巨大健造/石原三日月(77名)

不毛連盟@文学フリマ東京37【そ-38】
@no_hair_league
引用:「皆さまお久しぶりです。不毛連盟は11月11日(土)の(ブース【そ-38】)に参加し、東京では初売りとなる新刊『ボクラ・ネクラ 第六集』を頒布します!」「新刊のお値段は1000円! 既刊と同時購入された場合は割引いたしますので、ぜひまとめてお買い求めください。」

個人評論⑧江永泉「不法的推理―平成期日本の事例」
「ポスト・トゥルース時代におけるミステリの楽しみとは何か。でっちあげのデタラメな推理、くだらなくて犯罪的な推理、もう救いがあるのかないのかわからない最悪な推理。本格ミステリの正道の外にあるかもしれない邪道なそれらの、力を吟味する」。
約32000字です。

2023年11月3日(金)
公演
『幸福な島の夜』同時開催
「現実をまた見つけるためのシンポジウム②」
<人間の“外”へと向かう経験について>
at. こまアゴラ劇場
開始-16:45 (18:45まで)
登壇
-江永泉
-小宮りさ麻吏奈
-カゲヤマ気象台
司会
-曽根千智
料金
¥500
詳細 noruha.net/kofuku/

14.【<子ども>像の批判3:ローズとエーデルマンからその先へ】
・WEBで読めるエーデルマン『No Future』参照例(日)
武田悠一「ヒッチコックの学校――『鳥』のクィア・リーディング」『英文学研究 支部統合号』第10巻、2018年、日本英文学会
・WEBで読めるエーデルマン『No Future』批判例(日)
宮永隆一朗「It’s About Time――クィア・エイジングの理論へ向けて、または映画『ベンジャミン・バトンの数奇な人生』とポジティヴ・エイジングのイデオロギー」『年報カルチュラル・スタディーズ』第8巻、2020年、カルチュラル・スタディーズ学会
・ローズ『ピーター・パンの場合』応答例(英)
Gabrielle Owen「Queer Theory Wrestles the “Real” Child: Impossibility, Identity, and Language in Jacqueline Rose’s The Case of Peter Pan」『Children’s Literature Association Quarterly』Vol. 35 Number 3、2010年

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13.【<子ども>像の批判2:ローズからエーデルマンへ】
歴史のなかで同性愛が画然とした社会類型として構築されていくのと[クラフト=エビング『性の精神病理Psychopathia Sexualis』1886]、以下に挙げるような文学作品の出現が重なっているのも、やはり、ゆえなきことではない。すなわち、ティム坊や[ディケンズ『クリスマス・キャロル』1843]、デイビッド・バルフォア[スティーブンソン『さらわれて』1886]、そしてピーター・パン[J・M・バリ『ピーター・パン』1904]たちが、今日ではハリー・ポッターとヴォルデモート卿との不気味に密接なつながりによって最も明白となっているような強制力のうちで、結婚していない男たちと〈象徴〉的な対抗関係を演ずる作品のことだ(スクルージ[vsティム]、エビニーザ伯父さん[vsバルフォア]、フック船長[vsピーター・パン])。この独り身の男たちは、ヴォルデモートがその名前[Vol de mort死の飛び行き]ではっきり示しているように、〈子ども〉の破壊を引き起こすはずの死のほうへと向かっていく願望、意志、あるいは欲動を体現しているのである。
(リー・エーデルマン『No Future:クィア理論と死の欲動』2004年、21頁、私訳)

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youtube.com/watch?v=od0CkPbjzR
江永泉と米原将磨「光の曠達」 2023年7月号 ジャクリーン・ローズ『ピーター・パンの場合 児童文学などありえない?』

精神分析批評の紹介に関連して、ジェクリーン・ローズのフェミニズム的な観点からの精神分析批評と、リー・エーデルマンによる<大文字の子供>批判とがどのように結びつきうるのかを述べたりしました。

該当箇所のパワポを引いておきます。

12.【<子ども>像の批判1:アンチソーシャル・クィア理論への架橋】
フロイトは、子どもがどのようなものと推定されるかということだけでなく、もっと重要な、私たちはそもそもなぜ私たち大人自身の言語や性との関係にもとづいて子どものイメージをつくりあげようとするのか、ということに疑いを投じたのである。(『ピーター・パンの場合』40頁)

生活のためのことば、永遠の文学――そうした訴えは無垢だ。だがこの無垢さは、私が本書で考察してきた他のすべての無垢さと同じく、綿密な吟味を必要とする。なぜなら、生活のためのことばや永遠の文学とは、まさに『ピーター・パン』のような作品の持続力にある推進力のひとつである、同じもの(同じ子どもと同じ文学)の永遠の反復以外の何ものであろうか。(『ピーター・パンの場合』232-233頁)

レオ・ベルサーニ「精神分析と美的主体 Psychoanalysis and the Aesthetic Subject」(『Critical Inquiry』第32巻、2006年冬期号)紹介
izumienaga.blogspot.com/2022/0

抜粋(ベルサーニ論文の私訳箇所から):
「人間主体は…世界が存在しない場合にのみ…我々が世界を我々に取り替えられる場合のみに解かれるかもしれない、深い不安定に根差して発達する。…
…支配できない世界についてのある程度の不安は避けがたい一方、また同時に確かなのは、私がミションの小説を通して実演してきたように、世界の抑圧を必要としたりまた含んだりしない仕方で我々は世界と照応しもするということである。
我々の不安、あるいは我々の欲望が体をなすことに世界はいつも抗するのだが、しかしまたその中で我々は世界を支配する必要性にもたれかからないようになりもするのである。
外部の現実性は初め情動的な脅威として現前するかもしれないが、しかし精神分析が――芸術のように、とはいえそれよりも推論的な様態ではあるが――我々が我々をまず先立って世界の中にいるとみなすように、同様に奇妙に聞こえるとしても、世界が、存在論的に、我々をいつくしんでくれているとみなすように、我々を導いてくれるだろう。」

J・ハルバースタムによるベルサーニやエーデルマンなどの議論を扱った論考「クィア研究におけるアンチ・ソーシャル的転回」(2008)はクリエイティブコモンズライセンス付で公開されているので、リンクを貼ります。gjss.org/content/anti-social-t
アンチ・ソーシャル系のクィア理論に関しては、ベルサーニとかエーデルマンだけではなく、ジャック・ハルバースタムの指摘した系譜(アブラモヴィチやオノ・ヨーコが実践したボディ・アートというかパフォーマンス、ヴァレリー・ソラナスほかのパンキッシュなフェミニズム、そしてポストコロニアル・フェミニズムと関わる植民地独立運動ほかの動き)も併せて考えるべきだ、とは思ってきました。これも翻訳紹介を誰かやってほしい、のですが、私はいまのところ日訳を見たことが無いです。
ハルバースタムが『ガガ・フェミニズム:セック、ジェンダー、そしてノーマルの終焉』を書いた2012年頃、日本ではきゃりーぱみゅぱみゅ『PONPONPON』2011のMVが話題であり、日本のKawaiiスタイルが、ガガのスタイルを通して夢見られたようなクィアさと接近するように映る余地が多分あった、と(当時、いわゆるクィアヒップホップを聴きながら日本のアニメなどにも浸っていた人間だった)私は思いたがっています。

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