Wrigley, Edward A. (1969) Population and History, George Weidenfeld & Nicholson.
=1982 速水 融訳『人口と歴史』筑摩書房

「結婚について、普遍的に妥当するような一般化はほとんどない」10頁

「人口学的行動の基本となる単位は家族であり、それはあらゆる制度のなかで最も普遍的なものである。…家族はまた、社会活動一般の基本単位でもある」11頁

「父、母および子供だけから成る単婚家族は、工業化や都市生活の結果であるとしばしば考えられてきたけれども、西ヨーロッパの大部分では、産業革命の数世紀以前にこれはすでに普通のことであった。1つの世帯に3世代および2組あるいはそれ以上の夫婦を有する複合家族は、前工業化時代の普遍的現象ではなかった」14頁

「[出生率と死亡率は]どちらかというと狭い範囲の組み合わせしか生じなかったし、出生率と死亡率のひどいふつり合いは、どの社会でも少数の世代にわたってしか見いだすことができないと断言して誤りないように思われる」15-6頁

「今なお時おりみられる印象とは違って、ヨーロッパの人口における老齢人口の比率の増加は、おもに、過去1世紀半における死亡率の著しい低落によるのではなく、現在まで続いている出生率の低下によるものである」29-30頁

「2-3図は前工業化時代には、通例考えられているよりも普遍的であるような状態の1つの型を示すものである」38-9頁

「物質文明が最も原始的であるような場合には、困難は最も小さい。生活手段を狩猟・漁猟・採集に依存しているような集団は、マルサスが考えたよりも、さらに単純で素朴な問題に直面していた。このような社会では、獲得しうる食糧供給の算術級数的附加すら、通例まったく問題になりえなかった」41頁

「<動物個体数>
 …マルサスがダーウィンに及ぼした影響を考慮すれば当然予想されるように、マルサスの構図と多くの共通の要素をもっている。新たに増加した個体数の冷酷な圧迫は、ダーウィンの自然淘汰説に活力を与えるような推進力を与えた。彼のこの説における、どちらかといえば大胆な言明は、専門語を用いれば動物の出生率は密度依存的でないという見解を暗示しているのだ」42頁

「しかし、ダーウィンの時代以来、多くの観察や実験に基づく証拠は、非常に多くの場合、動物個体数の出生率は死亡率と同様、密度依存的であるということを示してきている。…
 …動物の社会が個体数を限度内に保とうとする方法には、いっそう広い幅がある。それは原始社会における男女の行動と非常に多くの点で共通しているようにみえる」43頁

「成長を止める前に人口がZ点に到達するならば、人口の大部分は悲惨な状態で生活することになるだろう。他方、X点で人口が安定する場合、危機とはかけ離れた状態で生活をするだろう。第2のの低圧力型の状態は『イングランド型』の解決と呼びうるものである。イングランドのほとんどの階級の寿命は王政復古の世紀にたえず上昇したといわれている。そしてまた、この世紀を通じてイングランドにおいては、出生率はどちらかといえば低かったという証拠がある。確かに、この時期には人口はほとんど増大しなかった一方、生活水準は上昇しつつあった」54-5頁

「彼[マルサス]はそれが一般的に当てはまる最後の年代に書いたのである。というのは、上限という概念そのものがほとんどの目的にとって有用でなくなるほど、産業革命はその隊列に社会の生産力の進歩的変化をもちこんでいたからである」59-60頁

「人口はどちらかといえば、ゆるやかにしか増大しえず、一方、産業革命後の富の生産は非常に早く拡大しうるので、概念上の上限は人口それ自体が増大しうるよりも、もっと早く増大した人口を追い越してしまうということは常にありうることである」60頁

「ゴドウィンが人口増加の問題に関して、マルサスの方がすぐれているとみるのを拒絶したことを正当化するであろう。というのは、彼は1820年につぎのように書いている。
『…われわれは生存手段の真に無限な一連の増大を獲得する。そうすれば、マルサス氏の言う人類増加の幾何級数的割合に対処することができる』」66頁

「いわゆるヨーロッパ型の結婚のパターン(15歳から44歳までの出産可能な女性の5分の2から5分の3が結婚しなかった)は西部、北部、地中海ヨーロッパに限定されていた。このパターンは、平均初婚年齢が高いことと女性のかなりの部分が結婚しないことと結びついて、早くも16世紀にはヨーロッパ各地で現われた。トスカナでは、これは14世紀に現われたらしい」100頁

「他の事情が変わらないならば、出生率は社会的ピラミッドの頂上に近づくにつれて高くなるということを、このモデルは暗示している。なぜならば社会的ピラミッドの頂上では、女性は早く結婚するからである。もし富裕な者が乳母を雇って、妻を授乳という負担から解放し、それによって妻が再び妊娠するのを早める傾向を促進するならば、この差はもっと増大するであろう(これは17世紀前半のジュネーヴで起こったようである…)。他方、こうした集団は多くの場合、一般庶民よりずっと以前に子供数の制限を採用していた」113頁

「もし全人口に対する各社会集団の比率がほとんど変化しないならば、社会的移動は主として下方に向かうであろう。社会の上層で高い出生率と低い死亡率が一緒になったことが、こうした結果を生むことになるに違いない。…たとえばマルサスは、社会階級別の出生率に関して、逆の仮定をしようとしていたのである。それか彼が、中層と上層の人びとは結婚を考える際に、慎重になりがちであると考えたからである」114頁

「動物個体数の検討で、ウイン・エドワーズは個体数の恒常性という考えを用いている。
 『個体数密度の利用可能な資源間の好ましい均衡が形成され維持されるには、動物が、体の内部条件を調整し、変化する必要に応ずるべく、それを調整する生理学的体系に多くの点で類似したコントロール体系を進化させることが必要であろう。このような体系は恒常性あるいは自己均衡力があるといわれるものである。』
この概念——負のフィードバックのそれに密接な関連をもっているのであるが——は前工業化時代を考えるにあたっても、ときどき役だつ」125頁

「女性がさまざまな社会で非常にまちまちな年齢で結婚したという単純な事実は、経済学的、社会学的に常に重要な点にわれわれの注意を向けるのである(男の初婚年齢も、もちろんたいへん重要であるが男はしばしば60歳、ときにはそれ以上の年齢までも生殖可能なのであるから、人口学的にはそれほど重要ではない)。結婚という行為は必然的に社会的行動の全体系のなかに、中心的な位置を占める行為なのである。家族はすべての文化の基礎単位であり、結婚による新しい家族の形成は、最も直接に関係のある諸個人や諸家族と同様、社会全体にもかかわりがあるはずである」129頁

フォロー

「東ヨーロッパ社会は…西ヨーロッパとの示唆に富んだ対照を示している。というのは、東ヨーロッパにおいては複合家族は、なお一般的であったし(1世帯に1組以上の夫婦)、女性はたいへん若く結婚した。
 産業革命以前の西ヨーロッパの人口には、結婚年齢を高くする傾向をもった多くの環境があった。若い男女たちは10代の早い時期に他の家へ奉公に出、奉公しながら何年も過ごした。…徒弟制度——他の家に奉公に出す制度のうち、より格式ばった形式である——もまた独身生活の延長を意味した」131頁

「私生児は総出生数のうち、驚くべき高い割合を占める所もあった。たとえばチェシャー、プレストベリーでは、1581年から1600年の間にその割合は16%にのぼった(行なわれた総洗礼876のうち135)。…
 例外的に高い平均初婚年齢が、私生児の高い比率に関連していたという証拠はない。実際には、おそらく逆の関係が一般的であったろう。早婚が広範に奨励された所では婚前交接もまたしばしば一般的であったし、私生児の比率もやや高かったが、社会が早婚に反対である場合には、私生児も通例数が少なかった」132頁

「一定の因襲的な中産階級としての生活水準を維持しながら、同時に多くの子どもを養っていく困難さは、最近、ヴィクトリア時代のイングランドについて検討されている」134頁

「一般的には性交中断(本質的には男の技術)は、子供の養育の責任が親族集団のなかに広く分散している大家族制度の社会よりも、責任が父親にふりかかってくるような単婚家族が通常の単位であるような社会において、広く用いられていたと指摘されている」137頁

「十分に意識的、計画的な行動としては、嬰児殺しはヨーロッパでは近世初期に至るまで、たぶんまれであった」138頁

「3世代世帯は、問題としている社会では普通であったことが明らかである…
 …一般に男は彼の父親が死に、彼に保有地を残していくまで結婚を待たねばならないと想定する場合、死亡率が一般に上昇すれば結婚年齢の低下が起こる(なぜなら保有地がより早く獲得されるようになるから)ことを示しうる。このことが今度は出生率を上げることになるのであり、水準はいろいろであろうが上昇した死亡率をほぼ補う程度に出生率を上げるのである。したがって人口の増加率ないし安定性は、この仮説が妥当である場合には、死亡率の変動によって影響されない」149頁

「工業化が進んだ以後の社会は、共通の人口学的、経済学的、社会学的な1つのパターンに収斂していくと言われることもある。もうそうであるならば、現代が均一であるということだけではなく、前工業化時代の過去は多様であったということにもなる」158頁

「男子の平均結婚年齢の明瞭な低下は、もし相伴って彼らの花嫁の年齢にも同様の低下が起こり、他の条件が等しければ、出生率を増加させ、人口の増大を早める要因となる。そして女子の平均結婚年齢は、男子の労働に対する需要が高い地域で低かったという証拠がある。たとえば、炭田地帯ではこうしたケースが通常であった」172頁

「成人男子の労働に対する強い需要がある地域では、普通には(移入者のために)若い女性に対して若い男性は著しく過剰でもあった。そして、それが逆にまた、早く結婚する女子の割合を急に高くする原因となった」173頁

「この時期[19世紀末]のドイツでは、結婚年齢に影響を与える最も重要な要因の1つは宗教的忠実さだったと信ずる十分な理由があるように思える。プロテスタント地域は全体として早く結婚し(東プロイセンとハノーファー、より低い程度ではミンデンとアルンスペルク)、カトリックの地域では遅かった(ミュンスターとアーヘン、より低い程度ではデュッセルドルフ)」175-6頁

「ヨーロッパの死亡率平準化は鉄道の出現以前に起こった」181頁

「高死亡率は、工業化よりもむしろ都市化の結果であったということの方が、たぶんずっと正確だろう。死亡率がそのように非常に高いのは、ヨリ大きな都市においてであった。これらの大都市の多くは新しい工業に非常に深く携わっていたわけではなく、行政・商業の中心地であった」190頁

「多くの前工業化時代の人口においては、出生率をペースメイカーと考えるのは、ある意味で正当である。…他方、産業革命以後は、死亡率がペースメイカーだったと言ってもよいだろう。生産は人口よりももっと早く増加し、その結果、死亡率はもはや、マルサス的上限によって出生率に近いところにとどまらされることはなかった。もちろん、出生率はつねづね死亡率と相並んで低下したわけではないが、死亡率の着実な低下は、出生率もまた絶対数を縮小させずに低下できるような状況を生みだした」196頁

「もし正しい『引き金』が存在していたら、子供数の制限は明らかに前工業化時代の環境においても重要となりえていただろう。産業革命は、ただ単に比類のない規模での子供数の制限の採用へと導く条件を作りだしたにすぎなかった。
 逆説的なことに、工業地域における産業革命の出生率に対する直接的影響は、引き下げるというよりむしろ押し上げることであった」197頁

「高出生率が幼児の死亡率低下を伴いながら続いたことにより、ヴィクトリア朝の家族をうみ出した。それは伝説によれば大家族であり(もちろんフランスを除く)、事実、何世紀もの間のヨーロッパの家族よりもだいぶ大きかったであろう。しかし増加したのは、人口学的意味における完全家族規模(つまり、ある年齢で結婚した女性がその出産可能期間の終了までに産んだ、死産を含まない子供の数)よりも、むしろ同居家族と呼びうるもの、すなわち1つの家族単位内で両親と同居する子供の数であった。子供があまり死ななくなり、片親の早死によって結婚が中断されることが少なくなり、そしてある地域では出生率もまた増大することによって、子供たちは大勢の兄弟のなかで育っていくようになった。また非常に若いうちに子供たちを奉公に出すという慣習がすたれていったという可能性があり、そういう場合には。同居家族の規模を大きくさせる傾向をもたらすようになっただろう」199-200頁

「19世紀後半以降に子供の数を制限するために避妊を行なうことが驚くほど増加したのは、新しい技術の発展によって彼らにその可能性が与えられたというよりもむしろ、主としてヨーロッパ社会に長いこと知られてきた手段がもっとずっと広い範囲で用いられるようになったということによる」205頁

「ル・プレは、フランス農民の間にみられた出生率の大減少は、民法典の条項の下では、小土地所有者が子孫に平等に財産権を分けるよう実質的に強制されたために起こったと信じた。彼は農民が彼らの所有地を細分することを嫌って、熱心にその子供を少数にとどめておこうとする気持になったと考えた」206頁

「産業革命は、ほとんどの人びとのポケットに、はるかにたくさんの貨幣を入れてくれただけでなく、彼らに生活水準の永続的上昇の期待を、したがって、たいていの家族に入手可能な消費財の範囲と質との永続的な改良への期待をも生みだしたのであった。このことは、子供の数が少ないことの有利性に対するはるかにはっきりとした高い評価と子供数の制限方法が広がりうる、ヨリ順応性に富んだ社会的環境との双方を確固たるものにした。この議論はトックヴィルの革命勃発についての古典的分析との間に、ある種の類似性をもっている。父親よりやや富裕であり、さらによくなるという期待に目ざめてきた者は、生活水準が突然に悪くなった場合に、彼らだけがいっそうの進歩の喜びをはっきり認識しているのだから、反逆しがちなのである。同じように、実質所得の増加を経験し、そのもたらす利益を享受したことのある者だけが子供の数を減らすことに伴う有利さに十分敏感で、積極的に子供数を制限しようとするのである…このことは、なぜ最も貧しい者がそれをほとんどやらず、また最後にやるのかということの説明に役だつだろう」206-7頁

「産業革命前には多くの社会が出生率を制限するような制裁手段を、たとえば早婚に対して発展させてきたようにみえるのに対し、産業革命後には社会的制裁手段がだんだんと姿を消したが、家族内の制裁手段が現われてきたのである」207頁

「フランスにおける、そしてイングランドにおけるヨリ以前の子供数の制限の歴史は、おそらくすべての国民、またその諸階層が、結婚生活において諸条件が必要とするときにはいつでも出生率を制限する能力をいわば内蔵しているということを示す。子供数の制限が以前には常に社会の下層よりも上層の間で見いだされる、と独断的に主張することは早計である。…性交中断がおもな技術として使われているかぎり、避妊をし、子供の数を制限しようという決定は男の特権だということを覚えておくべきである」216-7頁

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