「動物個体数の検討で、ウイン・エドワーズは個体数の恒常性という考えを用いている。
『個体数密度の利用可能な資源間の好ましい均衡が形成され維持されるには、動物が、体の内部条件を調整し、変化する必要に応ずるべく、それを調整する生理学的体系に多くの点で類似したコントロール体系を進化させることが必要であろう。このような体系は恒常性あるいは自己均衡力があるといわれるものである。』
この概念——負のフィードバックのそれに密接な関連をもっているのであるが——は前工業化時代を考えるにあたっても、ときどき役だつ」125頁
「高出生率が幼児の死亡率低下を伴いながら続いたことにより、ヴィクトリア朝の家族をうみ出した。それは伝説によれば大家族であり(もちろんフランスを除く)、事実、何世紀もの間のヨーロッパの家族よりもだいぶ大きかったであろう。しかし増加したのは、人口学的意味における完全家族規模(つまり、ある年齢で結婚した女性がその出産可能期間の終了までに産んだ、死産を含まない子供の数)よりも、むしろ同居家族と呼びうるもの、すなわち1つの家族単位内で両親と同居する子供の数であった。子供があまり死ななくなり、片親の早死によって結婚が中断されることが少なくなり、そしてある地域では出生率もまた増大することによって、子供たちは大勢の兄弟のなかで育っていくようになった。また非常に若いうちに子供たちを奉公に出すという慣習がすたれていったという可能性があり、そういう場合には。同居家族の規模を大きくさせる傾向をもたらすようになっただろう」199-200頁
「産業革命は、ほとんどの人びとのポケットに、はるかにたくさんの貨幣を入れてくれただけでなく、彼らに生活水準の永続的上昇の期待を、したがって、たいていの家族に入手可能な消費財の範囲と質との永続的な改良への期待をも生みだしたのであった。このことは、子供の数が少ないことの有利性に対するはるかにはっきりとした高い評価と子供数の制限方法が広がりうる、ヨリ順応性に富んだ社会的環境との双方を確固たるものにした。この議論はトックヴィルの革命勃発についての古典的分析との間に、ある種の類似性をもっている。父親よりやや富裕であり、さらによくなるという期待に目ざめてきた者は、生活水準が突然に悪くなった場合に、彼らだけがいっそうの進歩の喜びをはっきり認識しているのだから、反逆しがちなのである。同じように、実質所得の増加を経験し、そのもたらす利益を享受したことのある者だけが子供の数を減らすことに伴う有利さに十分敏感で、積極的に子供数を制限しようとするのである…このことは、なぜ最も貧しい者がそれをほとんどやらず、また最後にやるのかということの説明に役だつだろう」206-7頁
「女性がさまざまな社会で非常にまちまちな年齢で結婚したという単純な事実は、経済学的、社会学的に常に重要な点にわれわれの注意を向けるのである(男の初婚年齢も、もちろんたいへん重要であるが男はしばしば60歳、ときにはそれ以上の年齢までも生殖可能なのであるから、人口学的にはそれほど重要ではない)。結婚という行為は必然的に社会的行動の全体系のなかに、中心的な位置を占める行為なのである。家族はすべての文化の基礎単位であり、結婚による新しい家族の形成は、最も直接に関係のある諸個人や諸家族と同様、社会全体にもかかわりがあるはずである」129頁