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寺田が余計なことを。
じゃあ、なんでわかってて衆議院通したん?
立憲何してたん?
把握してた鎌田さんや牧山さんは後悔したりで、必死にやってるで。
あんたは何やってるん?
最低だろ。

“この問いかけがある以上申し上げなければなりませんが、あるきっかけがあり、本件については立憲牧山法務NC、私、鎌田理事の部門役員が、そのような医師が大阪入管にいる疑いを2月末の時点で知っておりました。3人で対応を協議し、今に至ります。”

twitter.com/teratamanabu/statu











『帰ってきたムッソリーニ(字幕版)』、観たい。面白かった。2018年の映画みたいだけど、確かにイタリアと日本の状況は似ているのかも。
watch.amazon.co.jp/detail?gti=

えっと、今、Twitterで寺田学が炎上してるけど、あの人はクロでいいとして、鎌田さんと牧山さんも知ってたってことなのか?…ちょっとTwitterで書くと怒られそうだからこっちに書くけど。それで鎌田さん、騙されてきたとか、自責の念がどうとか、激しく訴えてたのかな。

『loudstanding NAGOYA』名古屋東口ゲートタワー前、参加してきました。

ドラムと音楽、コールに合わせてloudに踊ってきたよ〜〜🎶🥁🎤なになに?と立ち止まってくれる人や遠くから写真を撮る人など、徐々に観客が増えて拍手をくれたり。

自分はひたすら踊っていたので訴求する余裕がなかったけど賑やかしになったかな?

#loudstandingNAGOYA
#改悪入管法の強行採決反対
#入管法改悪反対
#入管法改悪はやったらあかん
#WhyTheyDestroyingHumanRightsinJapan
#NoHumanIsIllegal
#StopKillingRefugeesJapaneseGovernment
#AcceptRefugeesJapaneseGovernment

1週間ぶりに畑行ったら、にんじんの花が咲いてた。にんじんの花初めて見たけど、打ち上げ花火みたいできれい。タネ取りしたいけど、ここからどうタネになるんだろう。にんじんのタネってどんなだっけ。

プロフ見てん? と思ったらなんとミャンマー国軍(実質)支持派だった。確かにこういう人にとってはロヒンギャの人が難民認定されるのは面白くないよな。 t.co/mtljiVmD65

@zpitschi 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会は、海外の知見を取り込んで感染対策をアップデートさせる訳ではなく、政府が提案する感染症対策にお墨付きを与えるために存在していたような組織だった。

科学的知見より権威主義に重きをおいた点で、まさにニッポソ的だと思う。

ぼくは結構自由に遠慮なく書いてしまってます、、、独語。

BT>

病気や障害に対する事前の情報って大事ですよね。

私は夫が3年前にコロナになった時(未診断)に、本人も私もすぐに「これはコロナかも」という風にすぐに考えられたことでどれだけ救われたか知れないと思っている。

夫も軽症だったし、症状がなかなか取れずに何ヶ月も不調が続いたけれど、それも未知の病気であるということの理解があったから(あの当時はまだ後遺症についての情報は」少なかったけど)、とにかく用心に越したことはないと思えたし、間違っても、気の持ちようとか、大げさとか、怠け病とか、うつ病なんじゃないの?とか、思わず、それでなくてもしんどい状態の中に余計な心理的な負担を上乗せさせずに済んだ。

コロナ後遺症だったときに難病の人たちの会に呼んでもらって体験を話させてもらった。

「それ、私らがいっつも感じてることよ」「病院に行くのさえしんどいのに、誰もわかってくれない」「支援もない」という反応が口々にあって、今まで自分がいかにわかっていなかったか実感した。

twitter.com/lematin/status/166

内心か否かの話だけど、

人間は自分がちゃんと自分の心の中にあるものだという自覚がないと、逆に外にダダ漏れしてしまうという心の仕組みがあるんですよね。

ただ、例えば昨今のインセルなどの場合では、自分の劣等感とかと向き合うことからの逃げで、半ば意図的に自覚的に、それをダダ漏れさせて、開き直るばかりか、それをダメだと嫌だと指摘する相手にこれでもかと晒して、自分の劣等感を相手になすりつけて転嫁するみたいなことを平然とやる。それを私は倒錯的な心の動きと考えています。

人に見せては恥ずかしい自分の心の内容を、恥ずかしいから心の中に押し留めておくのが普通の人間のやることなんだけど、そうすると、本人が苦しくなる。何故なら「俺は異常者なんじゃないか」と思えてくるし、願っていてもそれは満たされない願望になるので欲求不満に耐えられないから。

その苦しさは、例えば本人がカウンセリングを受けたり、自分の中で苦しんで本を読んだりして答えを求めて考えたりするためのモチベーションになるものなんだけど、ダダ漏れで撒き散らして、むしろそこから快楽を得ているうちは、その動機づけも生まれない。

だから、行為面での社会的なルール設定をして、本人が自分の心の中にある、本当は自分でも扱いに困るようなものを心の中に押し留めさせることは大事。

エアリプですが、私にとってカテゴリーというのは、自分を理解する手掛かりだったり自分を表象する記号だったりもするかもしれないけれども、同時にあるいはそれ以上に、自分に対して要請をしてくるものでもある、という感覚なのですよね。
(もちろんカテゴリと無関係にそれ以前に「自分」があるわけではないのですが、それでも感覚としては「自分」に対して「カテゴリ」の要請が来るんですよね)

トランス排除系の女性たちが「私だって女性でいたかったわけではない、女性であることを受け入れているわけではない」というのは、私はその感覚は共有していませんけれども、ただその感覚の出どころの感覚については共有している気がします。性別のカテゴリー(「女性」)は、何よりもまず、暴力的に自分に貼り付き暴力的な要請をしてくるものとして、経験されている。

これがAFABに特有の経験なのかどうかは私はわからないですが(そうでもないだろうとは思うけれど)、少なくとも私にとっては、性別を「引き受ける」ことをはじめとしたカテゴリーとの交渉は、そのようなカテゴリの暴力性への感覚を背景とするものです。

さて。
仕事…というか
仕事じゃないけど、作業に取り掛かるか。

むかしの「俳壇」はもっと批判精神があって「そんなのは俳句じゃない!!」みたいに「良さ」を闘っていたのですよ、良くも悪くも。
いまの「俳壇」は俗流相対主義で「みんな違ってみんな良い」です。こういう「良さ」を闘わないぬるい空気で、誰が脚光を浴び、金と権力を握るかというと、もともと権力がある人たちです。即ち、世襲俳人と社会的な立場が確立している俳人と学歴が華やかな俳人たちです。この一部の人々でぐるぐる回しています。

俗流相対主義は権力も暴力も相対化しないんですよね。現代日本でよく見かける光景です。

Amazonで鯖缶12個セット買ったら、12個一緒に袋に入ってたんだけど、袋の外まで鯖の匂いがしてて、これは…こぼれてる予感しかしない…って念のため動画撮りながら袋切り開いたら案の定
缶が潰れてその圧で蓋(?引っ張るタイプのあれ)が開いてた
そこから汁が漏れて袋の中はちょっと惨事

Amazonに連絡したら、返品交換は出来ないから全額返金するって即返答があったけど、一緒に買った豆乳(同じ段ボールに入ってた)の外箱もちょっと潰れてて、中の豆乳パック本体もボコボコ
これは…店舗じゃなく運送中の事故だな…と思ったけど、こういう場合店舗が泣くのだろうか、Amazonから何か補償があるんだろうか…

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