例えば、戦後も農家女性の解放に尽力した丸岡秀子は、1929年から産業組合中央会調査部(現在のJAの前身)に勤務、オルグで全国の農村を回った。
戦後は農村婦人協会を設立。日本農業新聞の女性投稿欄「女の階段」には、高齢の会員が「丸岡先生」の思い出を綴った投書が今でもときおり載る。
この丸岡秀子は、「1939年初めに産業組合中央会【JAの前身】から国民精神総動員中央連盟調査委員に就くよう命じられたが、それを拒否し辞職した」(松野尾裕「丸岡秀子の生活・家計研究」(経済学史学会『経済学史研究』57巻2号、2016年 jshet.net/docs/journal/5…)。

こういう偉い人もいたのだ。

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故丸岡秀子が1955年に「「主人」と呼ばず夫と呼びましょう」と提唱したことが、当時の農家女性に大きな希望を与えたという手記を、日本農業新聞の女性投稿欄「女の階段」コーナーの読者グループの冊子で読んだことがある。

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