昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日は歌の日でした。
〈歌を歌うことは、反抗する者、傍観者、ストを実行する労働者の恐怖心を和らげる効果もある。彼らは、自分たちが攻撃の対象になるのてはないか、報復を受けるのではないかという恐怖心を抱いているのである。
エリカ・チェノウェス著・小林綾子訳『市民的抵抗 非暴力が社会を変える』より〉
レベッカさんの歌声は、引用したような効果を発揮していると思います。
テレビ取材が来たときには、レベッカさんの歌も撮影して欲しいなと思う。この間、レベッカさんにテレビの前で歌うのって嫌ですか、と質問したら、「恥ずかしいです」とおっしゃっていましたが、嫌ではないとのことでした。次にメディアの取材があったら、そういう形でのアピールをすることで、特に〈傍観者〉に対して、自分たちが何もしないことを責められている、という恐怖心を和らげるのだはないかなと思ったりしています。実現したいな。
歌っていると、日本人の女性がしばらく近くに立ってくださっていました。すると、ゆたかさん(停戦まで立ちましょうと言ってくださったかた)が声をかけて、お話をしてくれました。後で聞いてみると、8月に息子さんがスタンディングに参加されていて、
内容はかなり良くて、まずニュースの使い方が上手くて、断片的なのにきちんと社会的な状況が伝わってくる。しかも伝わってくる状況が相当エグくて、一気に引きこまれました。
あとぼくはフミに一発でヤラれてしまいました。セリフも声もぴかぴかに輝いていて、そりゃコウも目で追っちゃうよね、などと思いました。説明ではなく、映像で心情を表現するのが巧みで、だからこそぼくの心も、がしっと掴まれてしまうんですよね。
コウの心の動きに比べると、ユウタの成長はゆっくりと丁寧な映像の積み重ねで表現されていて、そこの違いも良かった。
ストーリーは幼馴染の二人、コウとユウタのそれぞれの成長を描いているもの、というとざっくりしすぎだけど、幼馴染の二人のバックボーンはまるで違っていて、特に警察に身元を聞かれる時に、その違いが顕になって、二人の胸にも、ぼくの胸にも食いこんできます。
ああ、長くなりすぎているのでここまでにしますが、ぼくはコウがお母さんに「もう頭下げなくていいよ」といったところが好きすぎて、泣いてしまいました。あと、ラスト前の空気感、光の加減が一瞬まぶしくなってから暗くなるところ、あそこも好きすぎて、やばかったです。
昨日は色々とあった日でした。
日曜日のバザーで、錫製のロバのブローチに一目惚れして購入しました。ものすごく気に入ってて、見れば見るほどいいなと思っていて、さよっこさんが「これ絶対、値段もっとしますよね。字もひとつひとつ入れられてるし」とおっしゃってて、どんなかたが作られたのかなと思っていたんですよ。
で、昨日、以前ぼくの『スタンディング日記』は県外で買う方法はありますかと問い合わせをくださったかたから、SNSの申請をいただいて、嬉しいなと思いながらお友だちになったんだすが、なんと、そのかたがブローチの製作者さんだったんですよ!!!
びっくりしました。
あまりに嬉しかったので、スタンディングのときに岡崎さんとじゅんさんにプチ自慢してしまいました。じゅんさんは「猫のブローチが欲しかったけど、すぐ売れちゃった……」とおっしゃっていました。その気持ちはすごくわかる。猫もかわいかったもんなー。
通販とかはないんでしょうか(聞いてみる)
あと、昨日は映画『HAPPYEND』を観てきました。
ビジルでついつい話しこんでしまって、少し慌てて映画館に行ったら、ぎりぎり最終回に間に合いました。
こんなふうに表明することはなくても、毎日こういう感覚を覚えているひとはきっとたくさんいるだろうとも思っています。
https://www.instagram.com/p/DBI9SEzuJoa/
短いけどいろいろつまった記事。
ハン・ガンさんは一貫したところがあるひとなのだな、と感銘を受けました。
https://mainichi.jp/articles/20241011/k00/00m/030/118000c
昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日は開始早々、素敵なメッセージをかわいい女の子が描いてくれたり、シンガポールからの観光客が冷たいお茶を差し入れしてくださったりしました。
日々、悲惨なことが起きています。でも、この場に来ると、人間に絶望しなくてもいい、と感じます。諦める理由を数えるより、やることを探そう、パレスチナについて語り続けようと思えます。
ある人に、毎日、時間がない時は近くの場所で5分だけでもスタンディングすればいいと言われて、それはいいなと思いました。自分でいつも「5分だけでもジョインしてください」といっててアレですが、離れた場所でもジョインできるんだなと思ったというか。
1日に5分だけなら、参加のハードルも下がるし、ありですね。
1年が区切りだったように、報道そのものが減っている気がします。しかし、1年経っても何も終わってませんし、むしろ酷くなる一方です。
これだけは確実なことですが、ぼくらが何も言わなくなったら、なかったことにされます。 [添付: 5 枚の画像]
ガザ北部では、イスラエル軍が数十万人の人々を包囲して閉じ込め、飢餓に追い込もうとしている。そのガザ北部ではAIで自動化された殺人ドローンが飛び回り、人々の移動を妨げている。屋外で遊んでいた子ども5人がドローンに殺された。
AIで自動化された殺人ドローンを使っているのはイスラエル軍だけではない。ロシア軍はウクライナの戦場で使っており、ウクライナ軍も同様のドローンを開発済みという。
https://forbesjapan.com/articles/detail/74331
「人を殺すAI兵器」は崩し的に実戦に投入されている。
またイスラエルの攻撃目標設定AIは1割の「エラー」を許容するという。大勢の人々が理由もなく死に追いやられている。
https://mainichi.jp/articles/20241012/k00/00m/030/101000c
AIテクノロジーが、人の命を軽いものにした。私たちは、このような未来を望んでいたのだろうか。
昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
日曜日は何人かで食事に行って、ぼくはたぶん22時半くらいに帰ったんですが、他の人たちは残っていて、深夜1時まで路上で話していたとのこと。
話していると、時間がすぐに過ぎてしまうもんねえ。
昨日は一緒に立っているかたに、「停戦まで立ちましょう」と言われて、かなり嬉しかった。1人になっても立つつもりでいるんだけど、それでも同じ気持ちの人がいるのは、ありがたいし、心強い。「もちろんです、一緒に立ちましょう」と答えた。
昨日のインスタグラムのストーリーは、あのイスラエルの攻撃による火災の現場が沢山共有されていた。悲鳴のように何度も上がっていた。何度も、何度も。 [添付: 5 枚の画像]
昨日はパレスチナ支援フリーマーケットと原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
フリーマーケットは錫のピンバッジに一目惚れしたり、クスクスを食べたり、お菓子を食べてミントティーを飲んだりしました。
めちゃめちゃ日差しが強くて、暑かったんですが、訪れる人も多くて、終始賑わっていました。
そこから原爆ドーム前に移動しました。この日は、ビジルの活動がスタートして1年でした。
みながこの1年のことを思い思いに話しました。
個人的には甲状腺ガンの治療をしたから大きな声や高い声はでないはずなのに、ここでコールすると声が出る、ガザの惨状に怒りを覚えると声が出てくるんです、というお話がとても印象的でした。
終わってからも、これまでのこと、これからのことなどを話せて、気持ちを新たにしました。
これからも、まだまだ立ちますよ。 [添付: 11 枚の画像]
スタンディングに参加して、スピーチをしました。
こんなスピーチでした。
イスラエル製の音声ガイドが、広島平和記念資料館で使用されています。現在進行形でジェノサイドを続けているイスラエルの製品が、ニュークリアジェノサイドの悲惨さを伝える場所で使われるグロテスクさだけではありません。これはイスラエルがアナウンスしている、「私たちは被害者だ」というプロパガンダの強化に繋がりかねないです。音声ガイドは広島だけではなく全国各地で使われています。つまり、こうしたピースウォッシングが、気づかないうちに、全国で行われていることになるんです。実際には、イスラエルは国際法違反である入植行為を繰り返し、ガザを空爆し、戦車で襲いかかり、ミサイルを撃ち込み、ライフルで撃ち殺し、パレスチナ人を地上から殲滅しようとしている。また、イスラエルはパレスチナを攻撃しつつ、レバノンにも攻撃の手を伸ばしている。その際に使用したのは、ポケットベルやトランシーバーといったデバイス型の爆弾です。こういった爆弾の使用をスルーして、許してしまうとしまうと、イスラエルだけでなく、各国でデバイス爆弾の開発競争が始まる可能性があります。広島、長崎の核爆弾投下後に、核兵器の開発が過熱しました。チェーンリアクションは、どんな兵器でも起こりうる現象です。
被団協のノーベル平和賞受賞が会長の元に届いた時に横に高校生が三人座っていて、あれがとてもよかった。
おそらく会長はこの何年も、ああやって発表を待つ、ただし心の中では「私が生きている間にノーベル平和賞がとれるはずがない」と思っていたようであるが(そのように一昨年だかのインタビューで言っていた)、核廃絶運動の一環のキャンペーンの一つとして、そうやって報道陣の前に恒例行事で座っていたのだろう。
今年はそこに運動に関わっている高校生たちが一緒に座っていた。あの子達も「ノーベル賞はとれるはずがないが、せっかくなので報道陣に最近の高校生の運動について説明してください」とか言われて、じゃあ、ということで同席していたのだろう。
高校生たちは報道陣を前に、自分たちのスマホで発表のライブ中継を、音声を大きくして眺めていた。記者会見の会場にマイクを通して流れる高校生のスマホの音声。そこに「ヒダンキョウ」という言葉が流れ、三人の高校生がわっととびあがり、仏頂面していた会長が破顔する。
会長はむろんであるが、なによりもあの高校生の子たちへの最大の贈り物になったと思う。下の写真はその直前の様子。
【お知らせ】
VGプラスの提供する「クリエイターお助け秘書パック」ですが、ご利用者数が上限に達したため、募集を一時停止しております。
たくさんのご利用ありがとうございます。
募集を再開する際には、SNS等で告知を行います。
どうぞよろしくお願いいたします。
UIの話に関連することだけど今、駅の券売機などがタッチパネルに変わって視覚障害者の方がすごく困ってるんですよ。iPhoneでタッチパネルすごい!と思った人たちが作ったものが今、こういう人たちに障壁を作って排除する構図になっています。UIと使う人の本質を見ないで、見た目とコストカットだけで作るとこうなるという事例です
神戸新聞NEXT|連載・特集|話題|「松屋や日高屋、セブンに行けなくなった」視覚障害者には不便なタッチパネル「バリアでしかない」 松屋は「点字メニュー検討」: https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/omoshiro/202304/0016221809.shtml
作家。第2回かぐやSFコンテスト大賞受賞。中訳版が〈科幻世界〉に掲載されました。SFアンソロ『新月/朧義果樹園の軌跡』に「盗まれた七五」が収録されました。メールアドレス:shun.yoshimi728@gmail.co