先日6/1にアレクサンダー・クルーゲがZoomのQ&Aで「(美に対するとき?)フランクフルト学派、アドルノ、ホルクハイマー、ベンヤミンは私にとって大事です。…」と言ったので、図書館で“知ってる映画はいっぱい出てくるからいけるんじゃない”借りてわーい無理ってなって放り出していた『目に見えるものの署名 -ジェイムソン映画論』 を人喰い鮫が出てくるまで頑張って!(十二国記「ネズミが出るまで頑張って」)セルフ応援しながら読んでいます。『ジョーズ』(1975)はP.39にすぐ出てきます。鮫びょーん。よわよわ
ウェイン・ティーボーの画集が解説付きで翻訳されているびっくり。副題「ウェイン・ティーボーのデザートと都市景観」とあるように都市景観のスケッチに惹かれて画集を買ったら「キャリアのスタートはコミックストリップの漫画家」な画家だったので、好きなパターンに迷いなし〜、となったやつ
https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=4859
今日の事も分からず明日の事など知らないので明日の土曜日、「ヒト・シュタイエル × トレヴァー・パグレン 対談」に行くのかな…。後日、アーカイブ動画を公開予定のため現地に行かんでもだがしかし徐冰《とんぼの眼》(81分)を見はぐっているのだった。
バレンシアガのデムナ・ヴァザリアに興味をお持ちなら《ミッション完了:ベランシージ》(47分23秒)は必見です。6/3(月)まで…
https://www.nact.jp/event/2024/005458.html
大量の同性愛表象の集積と共に左派的な政治性の発露への嫌悪感情が渦巻き「#LGBT法案に反対します」ハッシュタグデモの無言の受容の様子がサークル配置と各々のSNSアカウントの重ね合わせで嫌でも見えてしまう、同人誌即売会の空間対策に、プログレスプライドフラッグ×デヴィッド・ヴォイナロヴィッチのナマモノ(nmmn)二次創作したんですよ。
(ネタ元『美と殺戮のすべて』グループ展「Witnesses: Against Our Vanishing」のシーンより)
フォレンジック・アークテクチャーのリサーチを系譜に位置付けている箇所におお~すごい~となりました。
えーと、あとはなんだ、あの、展示室に入った瞬間の絶望、消えかけたゼロックスコピーのドキュメントが乗った水平に広がる複数の机/展示室の壁いぐるっと張り巡らされた写真または記録用紙/部屋の隅には映像記録のループ再生…といったアーカイブ資料で満たされた空間ですべてを(み・な・け・れ・ば)というプレッシャーでつい何もない壁をしばらく眺めてしまう。。というのは自分だけじゃないんだという情念から、『Jodo Journal』第5号、クレア・ビショップ「情報オーバーロード」を読みました。
(手元の作業は絶賛停滞してますが)GWに宇都宮美術館で観たイヴ・ネッツハマーの、20-21世紀的な暴力に傷みやすく境界はたやすく浸透して動物と同化し身体はマクロとミクロのスケールを行き来しジェンダー化されない「ひとのかたち」の記憶を反芻しているのは割と幸せです。
やばやばしごしごしごとぜんぜんおわぜん終わらない。よって明日より先のことは考えられず2週間以上アイロンがけは止まりシャツの小山が部屋の隅で成長を続けているがまだハンガーには着れるシャツがかかっている。全部で何枚?
これもへなっとした戦闘機の、中ハシ克シゲ『ZERO Project』
https://uozumi.net/zero.html
兵庫県公館に設置された中ハシ克シゲの彫刻『Dog Night』の前のベンチで漫然と近くのパン屋Pane Ho Marettaで買ったホットドッグを食べてて、魚のホームページ https://uozumi.net/ に行き当たったのですが、今回の再読では村上隆「インポテンツな現在」とは抜かりない展示の配置と見えてしかし永遠の0的なものへの通路だったかなと、輝いていたスター作家の記憶に苛々しました
ちょうどフィオナ・バナー/Fiona Bannerの退役の、模型の、描かれた画像の、やわらかいデコイの戦闘機をぐるぐる見て回っていたところだったので
https://www.tate.org.uk/art/artists/fiona-banner-2687/fiona-banner-fighting-planes-tate
他の場所に行く気があまりありません