「聖母子」絵像の開眼法要無事終わりました。https://x.com/daiyutetsujo/status/1705508840299762057?s=46&t=HVpKYwTPKrcFmeLhJHBABA
有り難いことに皆さん手を合わせお参りされてました。
不思議なもので本堂に安置し開眼しますと「作品」から「仏画」へと変わっていきます。
もちろん絵そのものの力もあるのですが。
見る人の心も重要、三界唯一心です。
「日本画の前衛」展では上述の面々のほか、岩橋英遠や田口壮、丸木位里といった面々も歴程展の出展者として紹介されています。1938年から43年までというきわめてクリティカルな時期に活動していたこと、さらに戦後になって、一方ではパンリアル美術協会に参集して前衛をやり直し(re-volt / revolution)、他方丸木は妻の丸木俊とともに《原爆の図》を描いて戦後民主主義の桂冠画家というべき位置を占めることになること──これらも相まって、依然として断絶が強調されがちな戦前/戦後の近代美術について再考を相変わらず迫っていることは間違いないでしょう。「日本画の前衛」展は東日本大震災前に行なわれたのですが、震災を経た現在の観点から、これらの作品を見直すことが求められている。こちらは走泥社展終了後も続き、10月1日まで。
特にここでは歴程美術協会の作品が重要。今回は山岡や山崎のほか、船田玉樹や八木虚平(のちの八木一夫である)らの作品が出ていました。歴程美術協会については、2010年に「日本画の前衛」展であらかた紹介されており、してみると今回は同展のダイジェストというかリターンマッチといった趣もあったわけですが、個人的には当時同展で接して呆然とした作品に、今回もやっぱり呆然としたのでした。例えば山崎の《戦地の印象》は、自身が出征した中国の情景を巨大な屏風画として描いたものですが、戦地感のまったくない茫洋とした大地の風景には圧倒されることしきり。あるいは同じく山崎の《歴史》は石仏でも掘られてそうな中国の岩山でナチがニュルンベルク党大会を開いたようなヴィジュアルという、今から見てもトンチキ度高い作品でして、逆に総力戦体制下における想像力/妄想力のありようを示すものとなっています(山崎にはほかに《神話》という、これまたトンチキパワーにあふれた作品がありますが、今回は未出展)。
京都国立近代美術館。走泥社展を見た後、常設展フロアにもフラッと入りましたが、「歴程美術協会からパンリアル、そしてパンリアル美術協会へ」というコーナーがあってテンション爆上がり。
1938年、日中戦争のさなかに結成された歴程美術協会は、前衛志向の日本画家を中心に周辺分野も巻き込みつつも、戦争の激化にともなって1943年に諸団体と統合されて姿を消してしまいますが、その中心メンバーであった山崎隆(1916〜2004)が三上誠(1919〜72)や下村良之介(1923〜98)とともに戦後結成したのがパンリアルであり、さらに翌年パンリアル美術協会にリニューアルする(同協会は上記のメンバーが全員亡くなった後も2020年まで続いた)──という一連の流れを、山崎や歴程美術協会創設メンバーの山岡良文(1911〜70)の作品を軸に回顧していくというものでした。
https://www.momak.go.jp/Japanese/collectiongalleryarchive/2023/collectiongallery2023no02.html
ところで陶芸に限らず工芸界隈では70年代前後から「素材との対話」というパワーワードが流通するようになり、現在においても依然として一定の影響力を持っていますが、明らかにクレメント・グリーンバーグが自身のモダニズムを言説化していく中で唱えていたmedium specificに由来してそうなこの言葉の流行が、他の分野においてはグリーンバーグ批判が流行していたさなかに唱えられ、大きな影響力を持っていったことに注目する必要があるでしょう。遅れてきたモダニズム? おそらくそうではない。「素材との対話」は、この展覧会がフィーチャーしている「前衛陶芸(の精神)」の否定を内に含み、それ自体反動的な所作として流行していったのではないか──走泥社同人たちの作品がときにクールに、ときにハチャメチャに自己表現している(特にそれは第三章の出展作に顕著であった)のを見ていて、ついそのようなことを考えるのでした。
展覧会は三章に分かれており、第一章では(一般的な陶器としての用をまったくなさない)「オブジェ陶」の爆誕前夜〜直後の時期が、第二章ではオブジェ陶の爆誕によってドライブされた前衛陶芸が様々な人々によって自由に全面展開された時期が、第三章では1964年に開催された現代国際陶芸展(同展に出展された海外の陶芸作品も何点か展示されていました)によって日本の前衛陶芸の時代精神が決定的な転機を迎えたという仮説のもと、1973年あたりまでの時期が回顧されています。おもっくそ雑にまとめると、絵画や彫刻/立体といった他分野においては1950年前後から戦後独自の前衛が花開き、60年代に大きく飛躍するも70年代以降はいささか停滞気味になるものですが、それは前衛陶芸の分野でもそう変わらなかったわけですね。
それは走泥社が他分野の動向を横目に見ながら展開された運動であったことともかかわって、重大であろう。既述したように、ピカソやイサム・ノグチに(勝手に)インスパイアされ、同時期の四耕会や辻晉堂の制作活動に直接的に影響したりされたりしながら展開されていったのですが、そういった直接的な関係にとどまらない、時代精神的な共鳴関係をも(多少の妄想込みで)視野に入れていくことが、この展覧会に接する際には重要かもしれません。八木のオブジェ陶の第一作である《ザムザ氏の散歩》が制作された1954年に、芦屋において具体美術協会が結成されている、とか。そのような視野から見ることで、彼らの活動が狭義の陶芸にとどまらない問題意識の共有とスケールの大きさを、少なくとも第一章・第二章の時期には持っていたことが見えてくる。「前衛陶芸」とは、逆説的ですが、陶芸に内閉しない精神のありようのことだったのかもしれない。だからこそ現代国際陶芸展においてそのような前衛陶芸が知らず知らずに内閉していたことが暴露され、日本陶芸の敗北という言説すら飛び出すことになったのでしょう。
【レビュー】「走泥社再考 前衛陶芸が生まれた時代」京都国立近代美術館で9月24日まで 岐阜県美術館などへ巡回 https://artexhibition.jp/topics/news/20230809-AEJ1518406/
京都国立近代美術館で明日まで開催の「走泥社再考 前衛陶芸が生まれた時代」展、当方も会期末に近い20日にようやく見てきました。八木一夫(1918〜79)や鈴木治(1926〜2001)らを中心メンバーとして1948年に結成され1998年まで続いた走泥社ですが、この展覧会ではその前半、結成から1973年あたりまでを振り返るものとなっています。「振り返る」といっても、単に当時の八木や鈴木たちの作品を並べて良しとしているわけではなく、同時期にやはり京都で活動していたもうひとつの前衛陶芸団体「四耕会」(1947〜56)同人の作品や、彫刻の側から前衛陶芸に近い作品を作り続けた辻晉堂(1910〜81)の作品、さらには八木たちに大きなカルチャーショックを与えたピカソやイサム・ノグチの陶作品も並べることで、「前衛陶芸」が可能になった時代精神をも視野に入れようとしていたと言えるでしょう。
混迷から新境地へ。巨匠ホックニーが喜びに満ちた作品に辿り着くまで。「デイヴィッド・ホックニー展」担当学芸員が徹底解説!【後編】 https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/hockney-curator-interview-202309
後編がうpされてました。前編と合わせてあとで読む [参照]
大阪中之島美術館 2024年度開催展覧会のお知らせ https://nakka-art.jp/news/2024lineup/
来年度の大阪中之島美術館の予定が発表されており、まぁなんとも気が早いことで…… と思って覗きに行ったら、木下佳通代展が開催されるそうで、(全国的に見ても)来年度屈指のマニアックな企画展が唐突に爆誕してる件。2024.5.25〜8.18とのこと。これは何がどうなっても見に行かなければならない
で、the three konohanaの方は長さ10mにもなる絵画と、草創期のインクジェットプリント(いわゆるネコプリント)による平面、さらに100号の絵画という構成でした。長さ10mの作品は、1970年代に入ってからの泉が多用したエアブラシによる絵画ですが、画面の下部に白く四角い点々が続くことでカメラのフィルムを彷彿とさせ、表面に描かれた色合いは日光に晒されてパーになった様子を見る側に連想させるものとなっている(画像参照)。1974年に京都で行なった個展での出展作の可能性があるとのことですが、記録がほとんどないため詳細不明、その後の出展歴もないそうで、今回約50年ぶりに日の目を見た格好。何よりも泉がかような作風を取っているのを見たことがなかった──1970年代(〜80年代前半)の泉がエアブラシを用いるときは、一般論として単純な◯や△、◻︎を描くことが多い──ので、驚くばかりでした。これ小泉茂or泉茂雄の作品なのでは? と思ったのは内緒だ←←
泉は数年ごとに作風を転変させ、絵画に対してさまざまなアプローチを仕掛けていったことで知られていますが、今回の出展作に関して言うと、Yoshimi Artsではある時期に集中的に手掛けていた作風の頂点となる(べき)作品が、the three konohanaでは(結局継続することはなかったものの)もうひとりの、ありえたかもしれない泉茂を見る側に予感させる作品が出展されていたことになるわけで、今回もまた彼の画業に対する解像度を爆上げさせるものとなっていたのでした。畏るべし。Yoshimi Artsでは10月1日まで。the three konohanaでは10月8日まで
Yoshimi Artsとthe three konohanaで開催中の「泉茂 Newly Discovered Works」展。関西を中心に絵画制作や後進の育成に大きな足跡を残したことで知られる画家・版画家の泉茂(1922〜95)ですが、Yoshimi Artsとthe three konohanaは以前から協働して彼の再評価を企図した展覧会をほぼ隔年ペースで続けておりまして、今回はその第4弾となり、2013年にオープンしたthe three konohanaの10周年記念展とも位置づけられています。「Newly Discovered Works」というタイトルが如実に示しているように、近年新たに発見された中からチョイスされた絵画作品が両方のスペースにそれぞれ三点ずつ展示され、Yoshimi Artsではさらに──泉が長年教授を務めた──大阪芸術大学の博物館に所蔵されている制作ノートの一部も出展され、両スペースでの作品設置には泉の高弟で大阪芸大教授の中川佳宣(1964〜)氏が全面協力しているそうです。
さて、当方、Yoshimi Artsの方から先に見ましたが、近年新たに発見された作品というから、(没後30年近く経つし)小品や習作の類だろうなぁと思っていたら、200号の超大作二点と50号の大作一点だったので、普通に驚いてしまいました。200号のうち一点は1969年に毎日新聞社主催で開催された現代日本美術展の入選作とのこと。この直前まで泉はニューヨークやパリに滞在しており、雑に描いたストロークを拡大して精密に模写し直して描くという作風を確立していました。帰国直後はその模写されたストロークをもとに人力photoshop的に再加工して絵画を描くという作風に移行しており、今回の出展作はその出来の良さからも、そうした画風の集大成となる作品のひとつと位置づけることも、あながち不可能ではないでしょう。
けんすう流、NFTの使い方とその現在地。現代アートとNFTの関係性をどう見るか? https://bijutsutecho.com/magazine/series/s54/27684
「テクノロジー企業「アル」を経営しながら、様々なNFTサービスを開発・ローンチしているけんすう」氏へのインタビュー記事。美術手帖もGMOが展開しているNFTプラットフォーム「Adam」( https://adam.jp/ja )と協業している様子なだけに、こういう記事も載るようになっているみたいですね。
それはさておき、NFTアートについては、当方は買えるほどの可処分所得がないので 現在もこれからも手を出すことはないでしょうけど、このインタビューを読む限り、けんすう氏やアルが単にNFTアートを売り捌いて事足れりとせずに次の一手を模索していて、それがキャラクターなどを通じたコミュニティ──そういう一例としてたかくらかずき氏の作品に言及されてましたが──を志向しているというのが「今」的ではありますね。さて……
「女性と抽象」展|2023.9.20〜12.3|東京国立近代美術館(2Fギャラリー4) https://www.momat.go.jp/exhibitions/r5-2-g4
今日から東近美の常設企画展枠で始まったこの展覧会、出展作家は桜井浜江、三岸節子、藤川栄子、田中田鶴子、芥川(間所)紗織、桂ゆき(ユキ子)、草間彌生、田中敦子、青木野枝、福島秀子、辰野登恵子、春木麻衣子、吉川静子、杉浦邦恵、木下佳通代、沢居曜子。
グッゲンハイム美術館でのヒルマ・アフ・クリント展以来(?)、20世紀絵画史における女性画家の存在を改めて取り上げる動きが──美術(史)におけるジェンダーの偏向を問い直す一環として──続いていますが、そういった動きが遅ればせながら東京でも出てきたということでしょうか。田中敦子以外、具体美術協会の女性会員(山崎つる子、白髪富士子、菅野聖子etc)がいないところが、実に東京らしいのですが
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪