この記事けっこうショックだ。
100歳になってもおちおち施設で寝たきりにもなれないとか、一体どうしたらいいというのか…
>高齢者施設で100歳代女性に性的暴行 容疑の79歳を逮捕 | 毎日新聞
身も蓋もないが、芸術に対する評価軸は二つあって、一つは取引金額、もう一つは誰が評価をしているか、ということなので、評価は定義ではなく、評価の中身の妥当性は、時代に即し利益を上げているか、という点を無視するのはちょっと違う、という気持ち
(そして評価する人間が誰か、によって評価の妥当性が変わるので、芸術作品の評価には権力勾配がある)
私はアルフォンス・ミュシャをこどもの頃から好きで、美術館やギャラリーに何度も見に行ったし、ギャラリーのカタログで現実にリトグラフやポスターを購入可能か調べたりしたけれど、『スラブ叙事詩』はあまりにもナショナリズム、と感じて見ているのが苦しいと思ったし同時にどこまでもどこまでも女性を装飾のように描く(概念や象徴としての女性像を沢山制作していてそういうタイトルも凄く多いし)と感じて、自分の嗜好やモノの見方は変わる、をまざまざと実感したので今後見に行くかどうかはわからない
(同時にあの作風の情緒性やテーマが本邦に物凄く浸透していると感じたことに、自分だけがはじかれるような気持がある)
いつも思うけれど、何かを好きであること、何かに対する他者の評価に納得がいかないこと、自分の期待する評価が他者からなされないことに傷つくこと、は分けて考える方が良いし、自分の気持ちは大切に抱きしめる
私が、ずっと好き、と思っている、ともだちはルーベンスが大好きでレンブラントが好きではなく、私はレンブラントを崇めるように見るし、ルーベンスの色使いがすごく苦手、みたいなことはありふれているし、それと作品の評価や支持は別、と考えるし、ともだちと私の優劣や正否の話ではなく、嗜好や感覚が違う、という話
お互いが好き、と思う作品の、好きな理由や評価の中身も違うしね
今朝は今年初めての冷たいグリーンジャスミンミルクティー、氷砂糖を少し入れるのが好き
四月から冷たいお茶って、今年が暑いのか、自分が暑いだけなのか(すでに半袖ワンピースの日もある)
国会議員になれば、法律で守られるので是正はなされない、と思うけれど、性行為の同意年齢の引き下げに反対する議員を当選させた人たちは、本当に13才で、妊娠や性病のリスクを負う、退学やプライベートな写真の拡散を拒否するみたいな事態を全部把握してる、と考えているのか、ということでぐるぐるする
私は性別によらず、相手の年齢によらず成功医の同意年齢は18才が適当と考えているし、性別によって性的な暴力の被害に法律上の差異があることには反対してるので
愛情と法律は別のカテゴリなので、法律は愛情を扱うことには不向きだけれど、愛情があるなら相手が自分の意思を選択するに適当な(高校の退学は概ね免れる)18才まで性行為をしない、は愛情にカウントされて良いと思う、愛は相手の幸福と自由を尊重することだから
お茶と本と美しいもの 電話で話すのが好き