『人間の境界』続。ネタバレ云々の話ではないですが、一応伏せる。
家族、国境警備隊、活動家たち、ユリアの4章で構成されているのだが、いずれも「スマホ」と「言語」という命綱についての話として繋がってるのが地味にすごいんだよな。生き延びるため救うための共通ツールになるのが英語と仏語(植民地原語…)、充電が命の森の中で地図も対話も医療も告発動画もすべてスマホにかかっている(そして「彼ら」はそれを破壊する)。あと動物(主に犬)の使い方も見事だと思った。
あとたぶんポーランド出身で仏、米、ドイツと関わりながら映画製作を続けてきた大御所女性監督としての感覚値もかなり重要な要素なのではないかと思ったのね。ラウル・ペックの『殺戮の星に生まれて』(あまりにも重くて途中までしか見られてないけど…)と同種の視点を持った映画というか。白人男性以外は人間ではなく、よって支配は美徳であるという通念の上に多くの国家が成立してきた、という(それだけに集約できないことは東アジアの人間として感じるが…)視点がある人の語りだ、と思ったの。醜く描かれた暴力的な男たちを悪と感じさせる以上にその背後にある軍事主義が意識されるというか。直接のそんな台詞は全然ないんだけども。スコープの広さ深さは確実に今年の新作でトップクラスだと思う。
『人間の境界』。ネタバレ云々の話ではないですが、一応伏せる。
アグニエシュカ・ホランドの映画はそんなに見てこなかったのだけど、こんな凄い人だったかとびっくりした。2時間半、決して駆け足にならず停滞することもなく、必要なことを必要な画で見事な場面転換(省略とじっくり撮る部分の使い分け素晴らしい)を積み重ねる。見る前はこれをモノクロームの画面で描く意味ってなんだろう?って感じてたんだけど、ノイズの削減(色情報がカットされることで「映っていること」に集中できる側面があると思う)による普遍性の獲得みたいなのを感じてと見たあとだと納得しかなかった。
射程範囲がめちゃくちゃ広い映画だと思う。後半でのある展開が裕福な白人に甘いのではと感じる人もいるかも。でも「自己評価をあげたいだけのリベラルかと思ってたけど」を置いたり、あくまでこどもたち同士で交流させていたりと配慮がきいている。それぞれの立場の人間がなすべきことをなす姿を描くのも人を信じる覚悟の現れとみた。
人間を諦めない、誰ひとり取り残されてはならないのに、をあのエピローグの「扱いの違い」で結んでるところからも甘さも厳しさのバランスをここに定めたのはあえてなのではないかと。
『人間の境界』すごいよかったんだけど、何がよかったってこの題材で面白くないことに意味がある、という方向にはいかなかった大御所の凄みと軽やかさの両立ぶりですよ…いやこれ映画としてかなり面白くないですか?
『ファイブ・デビルズ』は想像していたよりかなりツイストのきいた話で、こういう「運命の女」映画の変奏がありえたのか!ってなった。匂いでタイムリープする少女が過去を知ることに…というあらすじからフムフム?となってたのだがそこは主題ではなかったのね。水中エクササイズの指導をしているアデル・エグザルホプロスは表情も身体も「天然」感がすごいので、運命を天然に変えがちなママに最適。青い舌を突き出してベーッと脅かしてくるダフネ・パタキアもやはりいいですね。
「こういう話だったの?」的に予想の範囲からずれて「すげー、とんでもないメロドラマじゃんこれ」になる脚本も面白かったのだが、趣味の良いホラー感性に裏打ちされてる写真の使い方や表情への違和感の抱かせ方、田舎の「ただそこにある」自然の凶悪を秘めた気配が好みだったのも大きい。愛は呪い、呪いは愛、みたいな話なのでゴーストはいないけどゴースト映画的感性ともいえる、かしら。
ちょっと『悪は存在しない』と同種の感覚があった。ショッピングカート上とか車視点とか謎にショットが面白いところもあるかな。こっちのほうがはるかにエモーショナルでドラマ的にも真面目なんだけど、でも「それはそうだからそれはそう、そうなったからそうなるね」という感覚が心惹かれるポイントとして近しいのかもしれない
『美と殺戮のすべて』を見てきたのですが、『関心領域』と並んで感想がパッと言えないというか、あえて「近づけない」ような構成をとらないと語れないことがある、という点かな?手法自体は全く異なるのに共通する離人感が出てくるというか。奇しくもどちらもミカ・レヴィ案件。(引用されるナン・ゴールディンのスライドに使われてるとこがある) 物語化を拒みながらも映画になる以上は物語に集約されるみたいなところもあるかしら。不思議なタイトルの由来はわかるようでわからないのだが確かに「それ」に立ち向かうものとしてカメラがあったということなんだろうな。
これだけの密着取材で丁寧に語られればある時代のアンダーグラウンドカルチャーの熱気や現代の運動の怒りのエネルギーがもっと立ち上がりそうなのに、常に感情を寄せ付けない距離があるというか。これはあなたの物語ではない感が人物ドキュメンタリーとしても運動のドキュメンタリーとしても結構異色だと思う。談話としては「初めて話すけど、大事なことだから」の部分とか、他人の性を撮る人間が自分のそれは出さないのはフェアじゃねーなと自分がセックスしてるとこを撮ったってところとかが印象的。でもなぜか身震いしたのは序盤の木々のショットだった。何か圧倒的に厳しいサムシングを感じた。
放っておくとおすすめが「みんなで男性を憎みましょう、憎めない人は啓蒙に力を入れましょう」みたいになってくのでいらんのよそういう連帯は…
関心領域、私自身はそこまで良い観客だったとは思わないが、作品についての言説がだいたい映画アカウントにおける「映画に何を求めるか」の姿勢表明みたいになってるとこを興味深くみてたりする。こけおどしだ、あざとい、という人が向いている方向とも、つまらない、寝た、という人が向いている方向とも、ズシンとくらった、すごい、という人が向いている方向とも、これは我々だという(監督の公的なステイトメントのニュアンスがここなので賛ではこれがやはり多い印象)方向性とも私の感覚はなんか違っているんだな、ということはわかってきたが、まだ自分の混乱を判定できずにいる。そしてまあそんなにあわてて「どうだったか」の意見出さなくていいんよな、も思う。
映画も本も全然追えてないんだけど、もうそこは慌てず、むしろ長期的にゆるゆる楽しんでいくために、チョコザップ始めたんですよ…
『悪は存在しない』面白かったなー。過去作では良くも悪くも違和感になってた(すごいと思うけど)異様なロングテイクも今回はそれだけで面白いところまでいっているし、何より冒頭から何もかも不穏すぎるのが妙なユーモアを宿らせている。誰の視点だよ、が連発されるカメラワークも楽しいし、全体に「騙し」という映画の本質だけでやりますんで今回は、という軽やかさがある。惹句の「これは、君の話になる」も含めて正調とみせかけるのがうますぎて「なんで???」になるのがおかしすぎた。
そうなったらそうなるよね、を反復させながら謎の地平に連れていくのがこの世の外の生き物みたいな花ちゃん(ひとりだけ「にんげんのこども」性が低い綺麗なお顔と髪をした花ちゃんは他の子たちと遊んでるとこがどこにもないのだ)、あの子は開拓四世か。
という意味でまさかここで「日本人が移民だったころ」と繋がるとは思わなかったよ!いわゆる辺鄙な地とされるとこの描写の説得力に唸った。濱口監督は「概念としての」の人かと思ってたのでそういう複層性も含めた細部の「知ってなきゃ書けないこと」が全面に出てるのすごいなと思った。加熱式タバコと紙巻きタバコの使い分けもいいし、息の白さか煙草の煙かわからないポーチのシーンとかも忘れがたい
私は本当にえらそうな人が嫌い、立派でもえらそうな人が怖い
勝手がわからない