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良質な韓国映画における倫理とアクションを高く評価する筋の人にこういう旧作邦画、届いてほしい気がするんだけどなー。

それにしても、脚本の良さ(もちろんすごく良い台詞もたくさんあるし話運びも好きなんだけど。お坊さんのとことかもヒャーと思った)だけではとうてい説明のしようがない何か圧倒的な奥行きがある、という点で内田吐夢監督は気になって仕方なくなってきた。『血槍富士』でも思ったんだけど、なんだろうこの映画1本内で複数回出現することは稀な「完璧なショットでは…」感がポンポン出てくる感じは。

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映画的な運動といえば落下と上昇だけど、これぞまさに、なんだよな……そして話が動かない中盤が長くてグダるという声もあるんだけど、私はむしろそこがこの映画をスペクタクルを超える話にしてていいなーと思った。スペクタクルとしてもすごいんだが。わかりやすいおえらいさん批判やメディア批判を言葉にしないのも労働者が労働者であること、を描く上で良かったと思う。そういう話ではない。のだ。

諦めモードになった家族の発言が現実を突きつけてから流れが変わっていくまで一気にいくわけではないのがすごくよくて、転調となる部分に達するまでに連鎖的にではなくひたすら辛抱強く「状況」が積み重ねてある。打開策はご都合主義じゃなくそうでもない限りはどんだけ必死でも無理という話なのだからあれでいいのよ。最後の最後、みんなの感情の総量が一定を超えたとき、それこそあの崩落がごとく一気に終盤の高揚となる、ここが物語上必然なのがすごいんだよな……それにしてもあの田んぼ越しのあちらがわ!あのおまわりさんの看板!ロケーション素晴らしすぎませんか。

あ、ちなみに台詞はすごい聞き取りにくいです。けど全部わかんなくたっていいのよ、そのぶん画面に集中できるし(これは旧作邦画見始め期はハードルになる人もいるかもしれんが…慣れです)

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U-NEXTでみた『どたんば』がめちゃくちゃよくて、改めて内田吐夢監督はちゃんと追わないといけない…という気持ちになりました。落盤事故で生き埋めになった炭鉱夫たちの話、ときいて想像される方向としては「生き延びようとする炭鉱夫たちと救出隊の必死さ」描写に力が入るものだと思うんだけど、この映画はどちらとも違っていて、労働者の連帯の困難と手を取り合う意味をアクションとして語る映画なのだった。なので最後まで安堵があるかはわからない、後半にいたっては閉じ込められた人側はほとんど映らないのだ。最初は救助もやじうまもワーッとなるけど(アイスキャンディ売り!)時間が経つうちにイヤーな感じで絶望が侵食していく、しかし、だな。それぞれの持場の物語。

チョロチョロ…と坑内に水が漏れている序盤から水怖いし荒れる川の凄みと建屋の崩れ方がヤバくてヒャーッとなる、迫力あるショットもすごいんだけどみんながわやわやー!としてる奥に「上げる」「下げる」担当のウィンチのみっちゃんがぽつりと配置されてる、あの位置が実に素晴らしいと思ったな…圧巻のセット芸術。

朝鮮人坑夫たちを引き上げさせたものは何か、彼らを引き戻すには何が必要か。50年代には(あるいは、50年代だから)ここまで描けていて、今描けなくなったのは何か。についても当然考える。

それにしてもカウリスマキの映画は愛煙家の私からしても煙たい、狭い家でも車の中でもコーヒーショップでももちろん外でもみんながずーっとモクモクしててケホケホしそうになる、でもってあのタバコたぶん全然おいしくないやつなのよ、わかるの。でも60年代の労働者階級の話やるにはやっぱりあの苦い煙の感じがなくてはねと思うのよね。喋ることがへたくそだからどうしようもない人たちの話だから隙間をうめるようにモクモクしてるというあのかんじが大変に重要なのである 登場人物たちだって空白が気になってはいるのである 埋め方がわからないのである

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なんとなく気持ちがつかれたのでカウリスマキの『愛しのタチアナ』見てた。同じことやってるようでもやっぱり『枯れ葉』は現代性が加味されてるのわかるねー。同時に気持ちがいいほど人間に大事なことはいつでも同じこと、なのだなと。ここは何もないのでピカピカの車でロックンロールをききながらどっかいきたいのです、だけの話。

60分そこらなので中編なんだけど、適当な120分映画を見るより彼らと一緒にたらんたらんと長い時間を過ごしている感覚がある。凝縮が引き伸ばし効果になることがよくわかるかんじ。何を喋っていいのかわからない男ふたりがショーウィンドウ前でスパナとミシンの話してるのよいよなあ、あそこで話すのはロックとか喧嘩の武勇伝じゃないんだよな……ぶっきらぼうでかわいいところのある男たちに悪い気がしない女たち、ってのは都合良いようでそうでもないような?

90年代の気分だったかっこわるさがクール、ではなくてただただかっっこわるいものをそのまんまに愛して大事にしている。登場人物に愛の告白など当然ないまま寄り添う肩(意地でも正面対置しない顔と顔)があるといいもんだろうねえ、というほわほわした夢想が形になった何か。多少は時代を踏まえて目をつむる必要性もありつつ、くーっ、せつねえなー!の後味も悪くなかったです。

視野がぐいぐい広がるのが楽しくてインターネットの人やってきたんですけど、今はわたしレベルくらいの生半可なインターネットの人だと(生半可でないインターネットの人ならまだ広げられる)ぐいぐい狭くなってくんですよね

@ame1228 @vertigonote わー!そう言っていただけてすごくすごく嬉しいです。前からお話してみたいなー、でも面識ないからなー、と思っててたのではやくお声かけすればよかった!勝手ながら映画の「見方」みたいなとこで共感することが多くて、勝手に親近感を抱いてたのです…🥰
熱心な旧作ファンというほどではないのですが新旧いろんな国のいろんなものを知りたさがあるので、これからもお互いの感想シェアできたら嬉しいです✨

@ame1228 こんばんは、直接お声掛けするの初めてな気がします。いや初めてではないかな…どうだろ…どきどき…ともかく、いつも旧作邦画の感想とても素敵だなあと思いながら拝読してます。今回も私はまだ絹代様の監督作見たことないのですが、ちゃんと見たい!という思いを新たにしました✨落ち着いた雰囲気と目が離せなさ、近々確かめてみようと思います!

わーっと感想言いたくなる映画を見たさ

ついにこっちに書くのも億劫になってきた

あ、でも日本の唱歌である「しゃぼん玉」をI'm Forever Blowing Bubbles的に使うのはちょっと面白かった。でもしゃぼん玉はI'm Forever Blowing Bubblesではないのでおうち発表会では何か意味と画がずれているのであった。

なんか全体に英国っぽい映画だったな?と思ったらましゅぼんのプロダクションが入ってるのか、なるほどなるほど(英米合作)。オフィスの壁にクラウディア・シファーがわざわざ映るのは楽屋落ちなんだろうか。

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『テトリス』は退屈しない工夫は色々なされているんだけど、世評…というか英語圏のcriticほど肯定的には見られなかったかなー。なんかもどかしい映画で、日にも露にも一定の仁義(どこにでもまっとうであろうとする人たちがいる)を重んじて描く志が見えるぶん「追いついてなさ」(日本語しか喋らない娘と英語しか喋らない父親で会話を成立させるのもお互いにちゃんぽんになってるかどちらかの言語に寄せるかできなかったんだろうか)が気になって仕方ない。入り口に靴がおいてある部屋で土足であがるみたいなとこもある…まあ入り口の靴は履き替え用なのかもしれんが。というのは重箱の隅なんだけど、むしろ気になったのはイエロー・フィルターならぬブルーグレー・フィルター?ともいうべきとこで、USSRはやっぱりあの色調でやらなきゃならんのか?って手癖だったり。そもそもアレクセイさんをあんな暗く描かないほうがずっと胸に染みる友情の話になったと思うんだけど。BASICいいよねーってなるとてもいいシーンが流されちゃうのもウーン?コントラクトの話にするならそっち、友情と家族の話にするならそっち、の明確さがあるほうが私の好みなのだ。評判よくなかったビーニー・バブルのとっ散らかりのほうが私は好きだナー

毎年のグラミーの結果に論争が絶えないのもこういう背景を踏まえて考えるべきことなんだよなあ、ということだったり。過去に学び続けることは大事なんよ

南部とクィア(あるいはゴシック/グロテスク)への言及にうなずき、「キング・オブ・ゴスペル・シンガーズ」ツッコミに笑い、フッテージに組み合わせる「再現」の仕方も工夫してあって面白いし、勉強になるだけでなくドキュメンタリーとしてのクオリティが非常に高いと思います。とにかくとんでもなくすごい人の話は見てるだけで元気が出る。

規格外のレジェンドのドキュメンタリーにはすごく魅力的なもの&まあまあのもの(そんなにつまらないことはあんまりない気がする、何しろレジェンドはただたどるだけでも「ほえー」となる人生の人が多い)があるけど、これは前者。少なくとも私はこういう映画にどんな視座を求めているのか(1人をたどると「イメージの歴史」が見えてくるのが好き)がわかって、そういう意味でも面白かったです。

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『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』がとてもおもしろかったので、気になっている方は早めに見ておくといいのではと思います(奇跡的に当地シネコンでかかってるけど、どう考えても人はそんな入らなさそうなので…)。

ロック史においてブラックネスの消去(彼らのリズムやメロディが簒奪され漂白された)は常々問題にされてきたことだと思うし、クィアネスは近年まで「変種」扱いだったわけで、こういうの知らないと始まらないわけですよ。おだまり!なのですよ。

リトル・リチャードのブラックネスとクィアネスがロック史においてどんな意味を持っていたのか、というポップカルチャーに触れるものなら必ず知っておきたい要素に加えて、音楽家としてパフォーマーとして何より人間として尋常じゃないエネルギーがうずまき影響を与えずにいられないその存在を宇宙に見立てそれに説得力があるドキュメンタリーになっている。スター/ダスト。

ドラァグ姿でステージに立ち性的志向をオープンにしあっけらかんとポジティブに性を歌にして「ティーンエイジャーの時代」を大爆発させる。からの突如信仰を強めて女性と結婚し引退か?と思ったら……からのまたも大爆発、からのまた……と混乱したペルソナのようでいて、一貫してもいて。まあとんでもなくすごい人の話だから元気が出るよ

ソフィアコッポラ、長らく私の周りでは嫌われ方がすごかった(乙女カルチャー文脈でも金髪美少女フェチのパチモン認識してた人も多かった印象、ニナミカ的に。普通に好きーって人たちと知り合ったのは2010年以降)。批判理由も当然のとこもあったとはいえ、不必要に持ち上げられて不必要に好かれて嫌われて、でもまあそのあたりこそお嬢さん力の凄みというかメンタル強いというか、発展的に真面目に現在地の仕事を続けてる人、という印象

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Apple TV+で『オン・ザ・ロック』見たよー。ソフィア・コッポラが割と真面目に「お金持ちで人たらしの父の娘であること」の心地よさと「さすがにこの年でお嬢さんやってるのもなー」に向き合っている気がした。昔ながらの父と今の人な夫の間でうろうろする話そのものはそんなに好みではなかったけども、興味深く見られた。金に困らない人の退屈ではあれど、ロジックがちゃんとしてる。

感じのいい感じの悪さ(ラフでコージーなスタイリングはファッションで武装しなくていい立場の2世特権的なんよね。とーちゃんはいつもパシッとしてるし、夫もスーツ着用のお仕事だ)は相変わらずなんだけど、ブリングリングあたりからなんかグッと抜けが良くなってるよなーと思う。ロボット掃除機が壁にぶつかってはうろうろするとこに心情を託してるようなとこの生真面目さはやはり好き。

「昔の男」である父親のセクシズム…というかジェンダーへの囚われはいつまでもプリンセス扱いされる心地よさと表裏で、その甘ったるさ(2人で食べるアイスクリームパフェ!)は好きなのよねー、と認めてるのは良いなと思った。そしてその感情は捨てなくてもしまっておけばいいのよ、をアイコンを使って具体に落とし込んだのもよかったと思う。誕生日映画だったので誕生日に見られたのもよかったよ。

姪っ子ちゃんは今日が誕生日なので、本日1歳の4歳児(本人はよくわかってない)

クィアシネマの本、すげーおもしろいんだが、本当に凡ミスの誤字が目立つ。校正入れてもすっぽ抜けることはそりゃあるけど、これ本当に間違いのレベルとしてうーん?となるぞ

まあ私と好みが近い人、私が普通すぎるがゆえにあんまり思い浮かばないんですが…

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