『テトリス』は退屈しない工夫は色々なされているんだけど、世評…というか英語圏のcriticほど肯定的には見られなかったかなー。なんかもどかしい映画で、日にも露にも一定の仁義(どこにでもまっとうであろうとする人たちがいる)を重んじて描く志が見えるぶん「追いついてなさ」(日本語しか喋らない娘と英語しか喋らない父親で会話を成立させるのもお互いにちゃんぽんになってるかどちらかの言語に寄せるかできなかったんだろうか)が気になって仕方ない。入り口に靴がおいてある部屋で土足であがるみたいなとこもある…まあ入り口の靴は履き替え用なのかもしれんが。というのは重箱の隅なんだけど、むしろ気になったのはイエロー・フィルターならぬブルーグレー・フィルター?ともいうべきとこで、USSRはやっぱりあの色調でやらなきゃならんのか?って手癖だったり。そもそもアレクセイさんをあんな暗く描かないほうがずっと胸に染みる友情の話になったと思うんだけど。BASICいいよねーってなるとてもいいシーンが流されちゃうのもウーン?コントラクトの話にするならそっち、友情と家族の話にするならそっち、の明確さがあるほうが私の好みなのだ。評判よくなかったビーニー・バブルのとっ散らかりのほうが私は好きだナー
毎年のグラミーの結果に論争が絶えないのもこういう背景を踏まえて考えるべきことなんだよなあ、ということだったり。過去に学び続けることは大事なんよ
南部とクィア(あるいはゴシック/グロテスク)への言及にうなずき、「キング・オブ・ゴスペル・シンガーズ」ツッコミに笑い、フッテージに組み合わせる「再現」の仕方も工夫してあって面白いし、勉強になるだけでなくドキュメンタリーとしてのクオリティが非常に高いと思います。とにかくとんでもなくすごい人の話は見てるだけで元気が出る。
規格外のレジェンドのドキュメンタリーにはすごく魅力的なもの&まあまあのもの(そんなにつまらないことはあんまりない気がする、何しろレジェンドはただたどるだけでも「ほえー」となる人生の人が多い)があるけど、これは前者。少なくとも私はこういう映画にどんな視座を求めているのか(1人をたどると「イメージの歴史」が見えてくるのが好き)がわかって、そういう意味でも面白かったです。
『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』がとてもおもしろかったので、気になっている方は早めに見ておくといいのではと思います(奇跡的に当地シネコンでかかってるけど、どう考えても人はそんな入らなさそうなので…)。
ロック史においてブラックネスの消去(彼らのリズムやメロディが簒奪され漂白された)は常々問題にされてきたことだと思うし、クィアネスは近年まで「変種」扱いだったわけで、こういうの知らないと始まらないわけですよ。おだまり!なのですよ。
リトル・リチャードのブラックネスとクィアネスがロック史においてどんな意味を持っていたのか、というポップカルチャーに触れるものなら必ず知っておきたい要素に加えて、音楽家としてパフォーマーとして何より人間として尋常じゃないエネルギーがうずまき影響を与えずにいられないその存在を宇宙に見立てそれに説得力があるドキュメンタリーになっている。スター/ダスト。
ドラァグ姿でステージに立ち性的志向をオープンにしあっけらかんとポジティブに性を歌にして「ティーンエイジャーの時代」を大爆発させる。からの突如信仰を強めて女性と結婚し引退か?と思ったら……からのまたも大爆発、からのまた……と混乱したペルソナのようでいて、一貫してもいて。まあとんでもなくすごい人の話だから元気が出るよ
Apple TV+で『オン・ザ・ロック』見たよー。ソフィア・コッポラが割と真面目に「お金持ちで人たらしの父の娘であること」の心地よさと「さすがにこの年でお嬢さんやってるのもなー」に向き合っている気がした。昔ながらの父と今の人な夫の間でうろうろする話そのものはそんなに好みではなかったけども、興味深く見られた。金に困らない人の退屈ではあれど、ロジックがちゃんとしてる。
感じのいい感じの悪さ(ラフでコージーなスタイリングはファッションで武装しなくていい立場の2世特権的なんよね。とーちゃんはいつもパシッとしてるし、夫もスーツ着用のお仕事だ)は相変わらずなんだけど、ブリングリングあたりからなんかグッと抜けが良くなってるよなーと思う。ロボット掃除機が壁にぶつかってはうろうろするとこに心情を託してるようなとこの生真面目さはやはり好き。
「昔の男」である父親のセクシズム…というかジェンダーへの囚われはいつまでもプリンセス扱いされる心地よさと表裏で、その甘ったるさ(2人で食べるアイスクリームパフェ!)は好きなのよねー、と認めてるのは良いなと思った。そしてその感情は捨てなくてもしまっておけばいいのよ、をアイコンを使って具体に落とし込んだのもよかったと思う。誕生日映画だったので誕生日に見られたのもよかったよ。
「おとっつぁんは?」「ねえよ」「おっかさんは?」「ねえよ、おきんちゃんは?」「おっかさんだけ!」とか、楽屋落ち的なサービスシーンではあるんだけど、画面に溢れてるのはいうてもこどもは守ってやらなきゃならんのよという慈しみの感覚なんですよ。それは大人の言葉としては描いてないのよ、こどもさんたちを見るまなざしだけでわかるのよ。
立場の違いに差はなく同じ船に揺られていく川面、川抜けして冷えた子に火のそばに近づけさせて焼き芋を食わせてやる人足たち。大名様の「野点の御風流」のクソさはクソで返す。明日には売られる娘さんの髪をといてやる三味線引きの姉さんの手つきや若主人の無茶ともいえる行動(ここから話が封建社会の偽物性への告発の色を濃くしていく)、近くにある者へのかわいそうじゃないか、を守れもしないものがのさばっている仕組みこそおかしいのでは、と一言も台詞では言わない。まあその価値観ゆえ時代劇というか現代劇なんですけど。
昨夜はU-NEXTで『血槍富士』を見て素晴らしくてびっくりしていた。初の内田吐夢。封建社会のやるせなさを描くのは時代劇の定番ではあると思うのだけど(時代小説のほとんどは実際のところリーマン小説なんよ、と教えてくれたのは父だった)こういう描き方があるのか、と目をひらかれた感。主に仁徳があれば忠がついてくることは是とされがちなところ、それ自体に「おかしくね?」と問うてしまうところの迫力に戦後の苦難を思う。何やってんだ俺らは、とわかってしまったものの悲痛。ゴリゴリにレフトな映画ですよこれ🤗
酒乱なこと以外は実に優しく立派なお武家の若主人とおつきの者が旅路で縁あった人たちとの愉快なあたたかい人情劇を繰り広げて(しかし不協和音としてそれだけではない過酷さも映り込む)ほぼ終盤で風呂敷を畳んだあとに風呂敷を中身ごとまるっと引き裂くようなことをしていて、本当に鬼気迫るものがあった。
という筋もさることながら圧倒的なのはそのビジュアルの精緻さで、語らずして語る感情描写の黄金律を見ているよう。全ての映るものがあるべきところにある安定がすごい。露骨に書き割りの富士山であることさえも意味を持ってくる(こんなに富士という「日本一の山」を馬鹿にした映画だったのか)。ラストカットも完璧だった。
勝手がわからない